76.母の仕事
夏休みも中盤に差し掛かったある日。
私は今日の分の宿題を終わらせ、母の仕事の手伝いをしていた。
母の仕事は、魔力が宿った書物「魔導書」を書くこと。
見た目は図鑑のような厚さの本だが、その性質上本ではなく武器の一種と言って差し支えない。
「母さん、インクの瓶開けといたよ」
「ありがとう。そこの棚の上に置いておいて」
「わかった」
この書物に書かれているのは知識でもなければ、物語でもない。
多種多様なルーン文字の羅列が、ページの隅から隅までびっしりと書かれ、それが最初のページから最後まで続いている。
もちろん解読ができるような内容ではない、というか文章として成り立つ内容でもない。
しかし、その文字の羅列によってページに魔力が宿っており、これがあるからこそ魔導書は意味をなす。
魔導書というのは、それぞれのページに書かれている文字を読むものではない。
それぞれの本に実際に存在する魔法のタイトルがつけられており、魔導書を手にしてその魔法を唱えると実際に放つことができるものだ。
例えば「ハードブレス」、炎の攻撃魔法の魔導書を手にした状態で「ハードブレス」と詠唱すれば、実際にハードブレスを放つことができる。
この方法で放つ魔法の威力は固定であり、詠唱者の魔力の消費や技量、天賦の影響はない。
逆を言えば、魔力や天賦による適性をまったく持たない者であっても、その魔導書に記された魔法なら使える。
ただし魔導書は、記された魔法を一回使うごとにページが消費されて減っていき、なくなると使えなくなってしまう。
つまるところ、回数制限つきかつ一種類限定で魔法を誰でも使えるようにする書物というわけである。
昔は全ての魔導書が手書きで作られていたため流通量が少なく、とても普通の人が手に入れられる代物ではなかった。
しかし現在は、筆記の魔法というものを使うことで自動かつ高速で一冊を書き上げることができるようになり、それによって量産された魔導書は比較的安価で手に入るようになっている。
これらは製本にかかる時間と労力を抑え、安価で量産することが重視されているため、ページに込められた魔力がやや弱く、放てる魔法の威力は魔力を消費して放つ魔法には劣る。
一方で昔ながらの手書きの魔導書は、コストも時間も嵩むため高価なものの、その分ページに込められた魔力が強く、魔力消費ありの魔法と同じ威力を一回で出せる。
ページの数については、前者は数百ページに及ぶことが多く使用可能回数が多いが、その分厚く重くなりやすい。
後者は多くても一冊あたり百ページ程度しかないが、薄くて軽いため持ち運びやすい……とそれぞれ特徴がある。
で、母はその魔導書を手書きで作っている。
基本的なものから強力なものまで、多様な炎魔法を記した一冊あたり百ページの魔導書を、毎日数時間机に向かって書いているのだ。
私が生まれる前からやっていたらしいが、集中力が求められる大変な作業であることは想像に難くない。
そんな母を少しでも助けたいと、私は新しいインクの瓶の封を切ったり、紙や飲み物を持ってきたりといった手伝いをしている。
母の書いた魔導書は、『灼炎の女皇』の手書きということもあって高価で売買される。
元々手書きの魔導書の方がいいという人間や魔法使いも一定数おり、そうした層にはたとえ高価であっても需要があるのだそうだ。
「しかしまあ……大変な仕事だよね」
「ええ。でもその分、労力に見合った見返りがある仕事でもあるわ」
母の書いた魔導書は高級品。ということは言わずもがな、それに見合った収入も入る。
この国の平均月収は三十万テルンほどであるとされるが、母の場合その三倍はある。
つまるところ、私の家は実は金持ちなのだ。
「普通は楽な方法で量産するものを、あえて昔ながらの地道なやり方で作る……っていうの、なんか好き。職人魂みたいなものを感じる」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。そうね……私もそう思う。人の手でやることでしか感じ得ない魅力、達成感。そうしたものを感じる人がいるからこそ、私も誇りと情熱を持ってこの仕事を続けてこられたのよ」
そう語りながらペンを走らせる母の姿は、もはや魔女ではなく作家のようだ。
しかし、この姿にも私は尊敬の念を感じる。
偉大な魔女であると同時に、誇りと情熱を持って、昔ながらのやり方で魔導書を作り続ける職人でもある……そう思うと、改めて母はすごい人だと実感する。
私もいつか、母のようになれるだろうか。




