73.誰かが私を
しばらくして、母の優しい声が聞こえた。
「もう大丈夫よ、アリア」
周囲を見回すと、地面が円形に焼け焦げている。
それを見て、あの恐ろしい植物はもういないと確信できた。
母の顔を見上げると、いつも通りの優しく柔らかい笑顔をしていた。
その安心感は、尋常ではない。
「母さん、あの植物は……?」
「あれは『ジェキリ』、肉食の魔法植物よ。接近者を感知すると、光を放つきれいな花を咲かせるんだけど、それにはある種の精神干渉の魔法がかかっているから、見ると無性に触ってみたくなる。そうして近寄ってきた者を……」
「近くから伸ばした別の花で、捕食する……そうなんでしょ?」
母は頷き、「未熟な魔法使いには、あまりにも危険な相手よ」と呟いた。
「恐ろしい植物がいたもんだ……でも、どうしてこんなのがここに?ここって、学院の裏の森でしょ?」
「そうね……」
植物の本体とも言える花が咲いていた株は、もうほとんど燃え尽きてはいたものの、根元の部分はそうではなかった。
茶色のひげ根で、まるで金たわしのように複雑に絡み合っていた。
「これ、まだ根っこが生きてない?」
「ええ。標本にしたり、栽培するのには都合がいいわ」
こんな恐ろしい植物を?と思ったが、栄養を与え過ぎなければ捕食機能が成熟しないため、安全な植物として育てられるらしい。
「でも妙ね……この根を見る限り、まだ若い個体よ。捕食機能が成熟してから、まだ間もないものだったはず」
その意味はよくわからなかったが、少なくとも本来この森に生えているものではない、ということだけはわかった。
あんな危ない植物が、学院の森に植えられているわけがない。
「そう言えば母さん、どうしてここがわかったの?」
「何も言わずに出ていって、帰ってこなかったからね……あなたの残した魔力を辿ってきたの」
自覚はまったくないのだが、私は常に体から微弱な魔力を出していて、それを足跡のように残していくらしい。
もっとも、それは大半の魔法使いに共通することだそうだが。
「それにしても、これは危険ね」
「そうだよね!こんなのがあったら、森に入ってこれないよ!」
「ええ、確かにそうなんだけど……もっと根本的なことを私は言ってるの」
「えっ?」
母は、私を真面目な顔で見てきた。
「ここは学院の森。そこに、ジェキリが咲いているのはおかしい……少なくとも、自然にはね」
「自然に……ってことは、もしかして」
私は母の顔を見上げた。
「誰かがここにジェキリを植えた、いや……植え替えたのかもしれない。この森は定期的に学院の調査が入るし、ジェキリは種からだと、ここまで育つのに二ヶ月はかかるから」
なるほど、それを聞かされると途端に危機感を覚える。
定期的に調査が入っているのなら、こんな危険な植物は育つ前に駆除されるだろう。
そして、学院が森の調査をサボっていたとは考えにくい。となると……。
「そもそも、アリアはなぜここに来たの?」
そう聞かれても、うまく答えられなかった。
気づいたら森の入り口にいた、それまでの記憶は曖昧でほとんどない……などと、ごまかしていると捉えられるようなことしか言えなかった。
でも、母は信じてくれた。
「……おそらく、魔法で一時的に操られていたのよ」
「えっ、私が?」
「そう考えるのが妥当でしょう?急に記憶も意識もなくなって歩き回って、気づいたら危険な場所に立ってる……ってのは、魔法で操られた者にはよくあることよ」
確かにそうかもしれない。
ここまで歩いてきたのは事実だが、その間何を考えていたか、何を見聞きして、どういうルートを通ってきたかはまったく覚えていないし、その前にどこで何をしていたかも覚えていない。
「ってことは、私は命を狙われているの?」
「断定はできないけど、何者かに目をつけられている可能性は高いと思う。これからは、気をつけて生活した方がいいわ」
もちろん、家にいる時は母が守ってくれる。でも、家の外ではそうはいかない。
屋外はもちろん、学院にいる時にも注意するように……と、母は言ってきた。
正直「参ったな」と思った。
もちろん危険が迫っているのもあるが、常に怯えて過ごさなければならないのが辛い。
前世の学校での日々を思い出す。
学校に行くのが怖いかも、と思ったのもそうだ……まあ、前世では「かも」ではなかったのだが。




