62.夫が遺した宝
四月も後半に入った頃の休日、久しぶりにユエたちと遊んだ。
彼女たちはまたも同じクラスになったことで、わだかまりも解けてきているようだった。
芽依が、かつての奈々と美沙と仲良く打ち解けているなんて……前世の彼女からすれば、想像もできなかったことだろう。
もちろん、私からしても同様だ。
大通りに繰り出し、友人たちと楽しく喋り合い、笑い合って過ごす姿は、もはや悲惨な過去と復讐心を秘めている少女には見えない──芽依を見て、自分にもそんな思いを重ねた。
そんな中、ノエルからこんなことを聞かれた。
「そう言えばさ、アリアのお父さんって何してるの?」
「……えっ?」
「何となく気になって。アリアのお母さんがセリエナ様なのはみんな知ってるけど、お父さんがどうなのかは知らないもの」
言われてみて、はっとした。
そう言えば、私には父がいない。
生まれてこの方、名前すら聞いたことがない。
母と二人きりの生活が当たり前になっていたので、忘れていた。
「うーん……よく知らないんだよね。母さんからも聞いたことないし」
「え、そうなの?それはなんか変な感じ」
ノエルはユエに「そういうこと言うの、やめたほうがいいよ」と注意されていたが、言われてみれば確かに気になる。
だから、今日帰ったら聞いてみることにした。
帰宅後しばらくして、私は母に尋ねた。
「今日、ノエルに言われて思ったんだけど……私の父さんって、どこにいるの?」
すると、母は神妙な顔をした。
「そう言えば、まだ言ってなかったわね。なら、今から行きましょうか」
「え?」
家の裏庭、フェンスで囲まれた敷地。
そこを超えた先には小さな森があるのだが、母は私を連れてそこに足を踏み入れた。
小さくても森である。
春の夕暮れに照らされ、芽吹き始めて間もない木々はきれいなオレンジ色に染まっていた。
ちなみにこの森は母が管理しており、秋にはここで薪を採ったり、キノコ類を採ったりしている。
なんでも、今生えている木はすべて母が苗木から育ててきたものだという……二百年生きているのは伊達ではない。
で、そんな森の奥深く、普段は決して立ち入らないくらい深いところまで来て、母は足を止めた。
「ここよ」
そこにあったのは、高さ一メートル程度の白い岩。
正面には、「レオナール」と彫られている。
「これって……お墓?」
「ええ。あなたの父……レオナールの眠っている場所」
母はその墓標に寄り添い、そこに掘られた名前に手を当てた。
おそらく十年以上前からあるのだろうが、それにしてはきれいだ……母が丁寧に手入れしてきたのだろう。
「彼と出会ったのは、今から十五年前のこと。春先の朝、ちょうどここで倒れていたところを保護したのがきっかけだったわ」
当時、母はいつも通り木々の手入れのために森に入ってきた。すると、そこで倒れている青年を発見した。
まだ息はあったので家の中に連れ込み、魔法を駆使して世話をして意識を取り戻させたのだが、彼は記憶喪失になっており自分の名前しか覚えていなかった。
このまま離すわけにもいかないので、母は彼を住まわせてあげることにした。
同棲し、色々と手伝ってもらっているうちに互いに惹かれ合っていき、とうとう結婚に至った。
しかし、彼は一介の炎の魔法使い。
魔法の道を究め、人間であることをやめた「大魔女」である母とは、その命が根本的に違っていた。
「魔法使いと大魔女って、一緒になれないの?」
「そんなことはないわ。でも、彼の場合は問題があった。彼は……病気だったのよ。私と会った時……いや、生まれてきた時からね」
その病は、心臓の筋肉が徐々に衰えていくというもの。
ゆっくりと進むものではあったが、今の医療や魔法ではどうすることもできない、不治の病だった。
「彼は、そのことをずっと黙っていたの。おそらく思い出してはいたけど、私を傷つけたくなかったんでしょう……むしろ逆なのに」
母は、どうにかして彼の病を治せないかと奔走したが、彼の言葉に嘘はなかったようで、どうにもできなかった。
ならば、せめて彼が確かにいた証を残そう。
私が初めて愛した男の、生きた痕跡を残そう。
そう考えた母は、彼と……レオナールとの間に子供を作ることにした。
大魔女になった時、母は自らの本能的な欲を封印していたが、それを解放して一ヶ月に渡って彼を求め続け、子供を作ろうとした。
そうしてついに母は子供……つまり、私を妊娠した。
レオナールもまた、それを心から祝ってくれた。
でも、妊娠が判明してからおよそ二ヶ月後、母と出会ってから三年あまりが経った夏の日に、彼は限界を迎えた。
後でわかったが、医者の予想よりずっと長く生きていたという。
その後母は、かつて出会った場所に彼を埋葬し、墓標も作った。
今でも年に一度、命日である八月十日には必ず来ているらしい。
「あれ?でも、私……」
「そうね、アリアを連れてきたことはなかった。彼の遺言で、『もし無事に子供が生まれたら、その子には私のことを言わないでくれ』と言われていたから」
「それはまた……どうしてだろう?」
「たぶん、彼は自分が父親と呼ばれるに値しないと思っていたのよ。謙遜しがちな人だったし、何より……まあおそらくではあるけど、子供の顔を見る前に死ぬことを感じていたから」
「そんな……」
私は墓標を眺めた。
この下に眠る、会ったこともない父親に、思いを馳せた。
「そうだ、いいものを見せてあげる。今まで見せてあげなくて、ごめんね」
母が取り出したのは、一枚の写真。
それには、今と変わらぬ姿の母と並び立って笑う、赤髪の若い男性が映っていた。
「あ、もしかしてこれって」
「結婚当日に撮ったものよ。お互いに、これで幸せになれると思ってたけど……そんな生活は、二年も続かなかったわ」
だからこそ、と母は私を見てきた。
「私にとってあなたは、夫が遺してくれた最後の宝。私と彼の血を受け継いだ、この世に一人だけの魔法使い。私が彼を愛し、共に生きた何よりの証なの」
そう微笑む母の目から、光る雫が零れたような気がした。




