37.言いかけた言葉
そんなこんなで、一ヶ月半が経った。
二年生になってからの授業にも慣れ始め、私たちはいつも通りの日常を送っていた。
今日も授業が終わり、先生が課題を黒板に書き残して教室を出ていく。
「終わったー!眠い……」
ユエが机に突っ伏した。
「まだ昼前でしょ」
ノエルが苦笑する。
「だって、難しいんだもん」
「ちゃんと聞いてなかっただけじゃない?」
すると、
「それは本当」
珍しくリーネが同意した。
「さっきも半分くらい寝てた」
「は……?この裏切り者!」
「事実だから」
ユエは大げさに嘆き、周囲が笑う。
私も笑いながら鞄を整理していた。
……その時。
「アリア」
リーネがこちらを見る。
「なに?」
「さっきの課題」
「うん」
「あなた、解法間違えてた」
「え?」
思わず見返す。
「いや、合ってると思うけど」
「途中式、飛ばしてる」
見直してみると、確かに抜けていた。
「あ、本当だ」
「最近そういうの多いよ。もう少し丁寧にやった方がいい」
リーネは淡々と言う。
別に、間違ったことは言っていない。言っていない……のだが。
「リーネさぁ、なんでアリアにだけそんな厳しいの?」
ユエが頬を膨らませる。
「は?」
「だって、今の別にいいじゃん」
「良くないでしょ」
「でも、先生も何も言ってなかったし」
「だから?」
リーネは首を傾げる。
本当に意味が分からないらしい。
「間違いは間違いなんだから言うでしょ」
「いや、そうなんだけどさ……」
ユエは納得していない顔だった。
昼休み。
ノエルと共に食堂へ向かっていたら、ユエが小声で話しかけてきた。
「やっぱりさ、リーネ……変じゃない?」
「うーん、まあ……少し思う。アリアにだけ厳しい気がする」
ノエルも小さく頷く。
「だよね?」
「でも、本人に悪気はなさそう」
「それが余計に変なんだよ」
当のリーネは、全く気づいていないだろう。
……私たちの目の前数メートルを歩いているのだが。
その日の実技訓練。
火球を撃ち終えた私に、「今のは良かった」とリーネが言ってきた。
「お、珍しく褒めたな」
マシュルが笑う。
しかし、次の瞬間。
「でも、無駄が多い」
「いや、どっちよ!」
思わずツッコむ。
「褒めてるのか貶してるのか分からない!」
「両方」
「なによそれ!」
教室に笑いが起きる。
けれど、笑いながら私は少し考えていた。
リーネは確かに私に厳しい。でも嫌っているようには見えない。むしろ――。
(なんだろう)
どこか、昔から私を知っている人間みたいな……そんな違和感があった。
数日後。
放課後の教室には、まだ何人かの生徒が残っていた。
私は先生に呼ばれて職員室へ行っていたため、その場にはいなかった。
教室の窓際では、ユエとリーネが課題を広げている。
「ねえ」
不意にユエが口を開いた。
「前から思ってたんだけどさ」
「なに?」
「リーネって、アリアにだけ厳しくない?」
リーネの手が止まる。
「またその話?」
「だって本当じゃん」
「気のせいでしょ」
「気のせいじゃないって」
ユエは頬を膨らませた。
「私にもノエルにもマシュルにも普通なのに、アリアだけ細かいこと言うじゃん」
「細かいことじゃないわ」
「ほら、それ!」
リーネは眉をひそめる。
なぜだろう。この話題になると、妙に苛立つ。
「別に嫌ってるわけじゃない」
「じゃあなんで?」
「知らない」
「知らないって何よ」
「だから、知らないって言ってるでしょ」
少し声が強くなる。
ユエが驚いたように目を瞬かせた。
リーネ自身も、一瞬だけ戸惑った。
なぜ怒っているのか、自分でも分からないのだろう。
「なんか……見てると気になるのよ」
「だから何が?」
「全部」
「全部?」
「危なっかしいし、無茶するし、周り見えなくなるし……それなのに、平気な顔してるし」
言葉が止まらない。
「それ、心配してるだけじゃない?」
「違う」
即答だった。
だが、その否定に自信はなかった。
「……リーネ」
ユエの声が少し真剣になる。
「もしかしてさ」
「なによ」
「アリアに何かあるの?」
「ない」
「本当に?」
「ないってば」
その時、教室の扉が開いた。
「ただいまー」
入ってきたのは私だった。
先生との話を終え、教室へ戻ってきたところだったのだ。
そしてすぐ、二人の空気がおかしいことに気がついた。
「どうしたの?」
私が近づくと、リーネが立ち上がった。
顔色が少し悪い。
「別に」
「いや、別にって顔じゃないけど」
「関係ないでしょ」
その言い方に、私も少し戸惑う。
ユエが慌てて口を挟んだ。
「ご、ごめんアリア!ちょっと私がリーネに――」
「だから……放っておいてって言ってるでしょ!」
珍しくリーネが声を荒げた。
教室が静まり、周囲の生徒たちまでこちらを見た。
リーネは息を荒くしていた。そして――。
「だって、あんたみたいな奴は昔から……!」
そう言いかけた瞬間、リーネ自身が固まった。
教室も静まり返る。
「……え?」
私が思わず聞き返す。
昔から……って、何の話だ?
私たちは二年生になって初めて同じクラスになったはずなのに。
リーネの顔から、血の気が引いていく。
「ち、違う」
「リーネ?」
「今のは……」
彼女は頭を押さえ、困惑している。
「なんでもない」
「いやいや、なんでもなくないでしょ」
ユエが言う。
「今、昔からって――」
「し、知らない!知らないわよ!」
リーネは遮るように叫び、そのまま鞄を掴んで教室を飛び出していった。
残された私たちは、しばらく動けなかった。
「……なんだったんだろ」
ユエが呟く。
ノエルも困惑していた。
「リーネらしくなかったね」
私は答えなかった。
胸の奥が妙にざわついていたからだ。
今の言葉、たった一言だったが……妙に引っかかる。
『あんたみたいな奴は昔から──』
その続きを、私は知らない。
知らないはずなのに……なぜだろう。
背筋を冷たいものが這い上がる。
ユエや遺跡での出来事とは比べ物にならないほど、強い違和感。
まるで、もう少しで何かを思い出してしまいそうな……そんな胸騒ぎだった。
けれど、その正体はまだ分からない。
分からないまま、私の中で静かに大きくなり始めていた。




