31.ここにいていい
それからまたしばらくの月日が経ち、風が冷たくなってきた。
とはいえ、まだ冬の冷たさではない。
そこまで強く冷え込んでいるわけでもなく、今くらいの気温がちょうどいいと感じる。
紅葉が始まった並木道を抜け、私たちは学院の裏にある、坂の上の小さなベンチに座っていた。
「ふぅー……やっぱり、訓練終わりにここ来るのは定番だよなぁ」
最初に声を上げたのはライド。
雷の魔法を扱う彼は、いつも通り服の上着を脱いで、シャツの袖を無造作にまくっていた。
「そのまま風邪ひくわよ、ライド」
シルフィンが呆れたように言う。
赤い瞳が、どこか優しげに揺れている。
「はいはい。お姉さん、今日も厳しいねー」
「別にお姉さんじゃないし」
「いや、包容力的な意味で」
「え?まあ……それは否定しないけど」
二人のやり取りに、思わず笑ってしまう。
その横で、マシュルが静かに水筒のふたを開けていた。
「ほら、ハーブティー。冷えてきたから、温かいのを淹れてきたよ」
「ありがとう、マシュル。あなた、最近なんか気が利くよね」
「最近って……まあいいや。気を利かせてるっていうか……なんかアリア、最近すぐ疲れてる気がするからさ」
そう言われて、少しだけ苦笑する。
確かに最近は、勉強関連のことであれこれ考えることが多くて、心がフル回転していた。でも、それに気づいていたのがマシュルなのが意外だ。
「うん……でも、少しずつ整理はついてきたよ。いろいろね」
「そっか。そりゃよかったな」
温かいハーブティーの香りが、風にふわりと混ざっていく。
その静かな時間が、なんだかとても愛おしく思えた。
「……秋って、いいよね」
ふと、シルフィンが呟いた。
「空気が澄んでて、葉っぱが色づいて、風も穏やかで……ちょっと切ないけど、落ち着くというか」
「シルフィンらしいな、それ」
「えっ、なにが?」
「“詩人かよ”って言いたいのさ」
「詩的で何が悪いのよ」
シルフィンがちょっと膨れて、マシュルが笑い、ライドがそのやり取りを眺めて小さく笑う。
私もまた、ふっと頬を緩める。
こんな時間が、好きだった。
何かを争うでもなく、憎しみ合うでもなく、ただ一緒に過ごすだけの時間。
かつては、そういう“普通”は私には遠いものだった。でも、今は違う。
私はここにいていい……そう思える自分が、胸の中に芽生えてきていた。
「そうだ、四人でどっか出かけようよ。今度は、学院の外に」
私がそう言うと、シルフィンが目を輝かせた。
「それいいね! 秋の森とか、見に行きたいな。焼き栗とか食べながら」
「食べ物が目的なのかよ……いや、いいんだけどさ」
マシュルは呆れたように言いながらも、どこか楽しげだ。
「外に出るなら、事前に魔力検査の申請通す必要があるな。町の外では魔物も増える時期だし」
ライドが現実的なことを挟むのも、いつも通りだった。
「そっか。じゃあ、明日先生に聞いてみるよ」
「じゃ、任せた。おれたちは栗を楽しみにしてる」
「もう、それ完全に遠足じゃん」
「いや、これら遠足だよ。青春ってやつだ」
冗談を言い合いながら、夕陽が沈んでいく。
ひんやりした秋風が、赤く染まった葉をゆっくりと舞い上げた。
その時、石段の方から軽い足音が聞こえた。
「──あ、やっぱりここにいた」
振り返ると、ノエルが小さく手を振っていた。肩からバッグを提げ、少し息を弾ませている。
「ノエル?」
「うん。ちょっと用事が長引いちゃって。でも、まだ間に合うかなって思って」
「全然間に合ったよ。ちょうどよかったまである」
ライドが栗の入った袋を見せると、ノエルがふっと笑う。
「それは良かった。秋の森と焼き栗なんて、ちょっと絵本みたい」
「詩人が増えたな」
マシュルの軽口に、ノエルが肩をすくめる。
「そういう空気だったから、つい」
彼女はベンチの端に腰を下ろすと、私の隣に少しだけ寄り添うように座った。
それは自然な距離で、けれどどこか、あたたかいものを含んでいた。
「遅れてごめん。みんなの輪に入っていい?」
「なに言ってんの。もう入ってるよ、ずっと前から」
私がそう返すと、ノエルは小さく息を吐いて、笑った。
そうして、また話し声が重なっていく。
静かな風に、落ち葉が揺れ、笑い声が溶けていく。
とても、とても小さな安心だけど──この小さな安心は、後になって大きな安心に変わっていくはずだ。
私は、そう信じていた。




