26.許されざる言い訳
放課後──。
陽が傾き、校舎の裏は長く伸びた影と静寂に包まれていた。
風が吹き抜け、誰もいない空間が、ただ時間の経過を告げている。
私は、そこに立っていた。
待っていた。ずっと──。
陽は赤く、空を染めていく。
あの頃、何度も見上げたはずの空。
けれど、当時の私はそれを綺麗だと思ったことは一度もなかった。
学校にいる時間のすべてが、地獄だったからだ。
(美沙──)
私は心の中で、そう呼びかける。
ノエルではなく、かつての名前で。
覚えてる?靴がなくなった日のこと。
机の中がゴミで埋まっていた朝のこと。
水筒の味が変だった昼休み。
ロッカーに入った瞬間に漂ってきた腐臭。
放課後の部室で、誰にも気づかれないように押し込められたあの時間。
私がどんな顔をして、黙って涙を飲み込んだか──覚えてないよね。
というか、知る由もないよね。
あんたたちにとっては、ただの“遊び”だったんだもの。
誰かを傷つけることに、意味なんてなかった。ただ、「そうすればウケる」から、「そうしたほうが面白い」から。
それだけで、私を壊した。
私は毎日が地獄だった。
体は生きていても、心は常に死んでいた。
だけど、それでも私は懸命に日々を生きていた。
あいつらが私を虐げて笑い、楽しみ、何の罰も受けずに過ごしていたあの日々……私は毎秒、歯を食いしばって耐えてた。
──それを、どう思うのか。
何なら、私の体験した記憶を「記憶投影の魔法」で見せてやってもいい。
あの頃の私の涙、悲しみ、怒り……それらをすべて思い知ったら、どんな顔をするだろうか。
ゆっくりと日が沈み、空が紫がかる。
それでも、誰も来ない。
(……逃げた、か)
まあ、当然と言えば当然だ。
この期に及んで、逃げるような女だったのだ……あの頃から、ずっと。
だが、その時──
「……アリア」
かすれた声がした。
校舎の影から、ゆっくりと奴が姿を現した。
服のリボンは少し乱れ、肩はかすかに震えていた。目の下には赤みが残り、瞳はどこか曇っていた。
「……ごめん、遅くなって」
私は何も言わない。ただ、じっと見つめた。
「まずは、ごめんね。私、前世であなたにひどいことしてた。全部じゃないけど、思い出してきた。まだ夢みたいだけど……あれは私の記憶。間違いなく、私がやったこと」
美沙──いや、今はノエルと呼ばれている彼女は、震える声でそう言った。
とはいえ、つい昨日まで親しい友人だった間柄だし、彼女といたことで楽しい経験ができたのも確かだ。だから、少しだけ情けをかけてやるつもりではいた。
この場で心からの謝罪をし、反省していることを私に伝え、心を動かしてくれるのなら、あるいは……。
そう思っていたのだが、次に口にした言葉が、私の胸に釘を打ち込んだ。
「でも……仕方なかったの。あの時は、状況が状況で……逆らったら、自分がやられるかもしれなくて。周りに合わせるしかなかった。ごめんね。別に悪気があったわけじゃないし、あなたを傷つけたかったわけでもないの」
その瞬間、私の中の何かが切れた。
ゴオッ──という音が響いたのは、風のせいじゃない。
私の背後で、赤い炎が燃え上がった。
空気が震え、地面が揺れる。
夕焼けの赤よりも、遥かに深く、熱く、鋭い色が私の身体から噴き出していた。
美沙の顔が青ざめ、引きつる。
それでも、私は止まらなかった。
「……言い訳?」
低く、怒気を噛み殺した声。
「悪気はなかった?仕方なかった? 合わせるしかなかった?……ふざけるな!」
言葉と同時に、炎が炸裂するように広がる。
草が焦げ、空気がひび割れる。
「お前が周りに合わせただけで、私は苦しんだ。苦しんで、悲しんで……自ら死ぬ羽目になったんだよ!!」
叫んだ声に、自分でも驚くほどの怒りが混じっていた。
全身が震えていた。
怒りで、苦しみで。ようやく言葉にできた絶望で。
「私を苦しめて、それを笑っておいて……やり返されそうになったら、被害者面して保身か?よくもそんな、厚かましいことができるな!!」
私の怒鳴り声を聞き、美沙がビクッとする。
だが、そんなのは関係ない。
感情のままに、想いを吐き出す。
「私はな、毎日毎日怯えて生きてたんだよ……楽しいことも楽しめず、自分らしい生活もできず。お前たちさえいなきゃ、私は……!」
魔力が爆ぜる。
背後に燃え上がる炎は、赤ではなく、もはや深紅だった。
「ああ、そうだ……さっきお前が言ってたこと、そのまま返してやる。これからお前を焼き尽くすこの炎も、私の怒りも……全部、悪気はない。仕方ないものなんだ」
「えっ、みは……!な、何する気……!?」
美沙はひどく怯えた顔をしていた。
だが、それはかつて私が何度もこいつに見せたのと同じ顔だ。
「決まってんだろ?復讐……仕返しだよ。私はお前たちに苦しめられて、最後には殺された。それとおんなじことを、今からしてやる」
意味を察したのか、美沙は慌てて後退する。
しかし、足が震えているせいですぐに転倒した。
「正直、ちょっとは期待してたよ。ついこの前まで、仲のいい友達だったしね。けど……結局お前は、何も変わってなかったんだね。私をいじめたことも、言い訳まみれの適当な謝罪で許されると思ってたんだね?」
「いや……そんな!私、そんなこと言ってない……!」
「同じことでしょ?行動で示したんだから」
私は一歩、前に出た。
「ごめんって言うだけで、何もかもがチャラになるとでも思ってた?私は悪くなかったんです、仕方なかったんです……って言って、許されるとでも思ってた?……お前たちは、私をバカにしすぎだ!!」
もはや、自分でも止められない。
長らく眠っていた私の中の炎は、激しく燃え上がる。
さらに一歩、また一歩と近づく。
美沙は何も言えず、動けず、ただ震えていた。
顔は蒼白で、手が地面を掴んでいた。
「許さない……絶対に、絶対に許さない。お前がそういう態度を取るんなら、容赦はしない。かつての私と同じ、惨めな最期を辿らせてやる」
地面が割れ、私の魔力は大地の奥から炎を引き出す。
それはまるで地獄の火口のようで、赤く脈打ち、唸り声を上げていた。
「人を殺した奴は、その命で罪を償うものだよな?なら、お前もそうなって当然だ。私という人間を自殺させて、殺したんだから」
ここで改めて、私を結果的に殺したという事実を突きつける。
同時に、美沙への死刑宣告でもある。
それでも私は、特に何かを思ったりはしない。
この女に、長年逃れていた当然の報いを……裁きを受けさせるというだけのことだから。




