↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
52/56

5-10. 垢を舐める

 

 翌日、五月五日のこどもの日。

 午後の相談所には、シロさんと梨奈(りな)さんの他、和華子(わかこ)さん、そして出張から帰ってきたばかりの荒屋敷(あらやしき)さんの姿があった。

 テーブルの上には市内の老舗和菓子店から買ってきたと思われる柏餅が、山のように並んでいる。梨奈さん、和華子さん、荒屋敷さんがそれぞれ良かれと思って差し入れに買ってきた結果、見事なまでに被ってしまったらしい。中身もみそあん、つぶあん、こしあん、ずんだなど、実にバラエティ豊かだった。


「あの岩之湯(いわのゆ)で、そんな大変なことがあったんですね……」


 緑色の柏餅を手に取った和華子さんが、心底驚いたように息を吐いた。ネットでの噂は少し耳にしていたようだが、まさかここにその依頼が持ち込まれていたとは知らなかったらしい。



 今日の午前中、梨奈さんはその頭脳をフル稼働させて、今後の対策について色々と調べ尽くしてくれていた。


「まず一回休業した方がいいと思うの」


 梨奈さんが言うには、臨時休業という形で長期間ではないものの少しだけお休みを挟んだ方がいい、ということだった。

 これには、自称コンサルタントの裏切りや盗撮騒動で精神的に深く傷ついてしまった岩渕(いわぶち)さんのケアという意味合いも大きいそうだ。


「それから、SNSの基本的な知識とか、あと運用方法については私が伝えます。市の高齢者向けのセミナーとかもあるし、そういうのに参加するのもいいけど……個人向けじゃないから、一旦は私が」


 その上で、地元の商工会議所や民間の地域総合経済団体などを通し、公的なサポートを受けながら経営状態を根本から見直していく、という結論に至った。

 ひたすら地道で、時間のかかるやり方だ。けれど、それが岩渕さんの歩幅に合わせてやっていける精一杯の方法なんだと思う。

 俺は、梨奈さんが調べたことをシロさんとああでもないこうでもないと方針を話し合っていたのを、ただ静かに聞いていた。

 ……きっと色々工夫したとしても、今SNSで盛り上がっているほど、若い人がたくさん来ることはもうないんだろうな……。

 岩渕さんの年齢も考えると、そんな現実的な考えがぼんやりと頭をよぎる。

 ブームが去り、元の静けさに戻っていく。こうやって、俺が生まれる前からある古い街並みは少しずつ消えていくのかもしれない。懐かしさを覚えるほどの思い出も無いはずなのに、なんだか少し寂しかった。


 和華子さんと荒屋敷さんも事情を聞いて、議論に加わってくれていた。


「話だけ聞くと、その近藤(こんどう)って男が逃げたのはちょっと悔しい気持ちもあるね。いっそ警察に突き出して、岩渕さんは騙されていたっていうことを世間に伝える手もあったのかなって思っちゃうけど……。もちろん、シロさんのことだからそのあたりも考えていたんでしょう?」


 和華子さんが聞くと、シロさんが柏餅を皿に置いて頷いた。


「ああ。真実を公表すれば、『老人を騙すなんてひどい、可哀そうに』……と同情も集まるだろうが、『責任者として管理不足だ』『本当は知ってて黙認していたんじゃないか』なんて、別な攻撃が集まる可能性もある。さらに注目を集めることになれば、岩渕さんは今度こそ疲れ果ててしまうだろうな」


 和華子さんが「そっか」とつぶやき、荒屋敷さんが小さく頷いた。


「……俺も事件を握りつぶすようなやり方が一番とは思っていない。もっといいやり方があれば、とは思うが……このご時世、情報が瞬時に広まる代わりに、思ってもみない方向から消費される。だから、そう都合よく収まる方法なんてない」


 そう言って、シロさんは柏餅を口に運んだ。


 ひとまずの方針が決まり、午後からシロさんが岩渕さんの元へ詳しい報告と提案をしに行く予定だ。



「――それで、(ゆい)くん。件の垢嘗(あかな)めはどうしたんですか?」


 柏餅を綺麗に口へ運びながら、荒屋敷さんがそっと俺に問いかけてきた。


「……昨日は現れなかったんです」


 近藤が去った昨夜、俺とシロさんはそのまま店に残り、精神的に疲れ果てていた岩渕さんの代わりに、営業後の掃除や片付けを行った。

 けれど、夜が更けて深夜になっても、あの垢嘗めが姿を現すことはなかった。


「だから、もう少し様子を見ることになりました。……もし、また現れるようなことがあったら、そのとき改めて考えます」


 言葉にしながら、俺はなんとなく、あの垢嘗めがもう二度と現れることはないような気がしていた。

 あの病気の垢嘗めは、薬を求めるようにして必死に菖蒲の葉を舐めていた。

 けれどこの臨時休業の期間中、そして営業が再開される頃にはもう五月五日を過ぎて、菖蒲湯の時期は完全に終わってしまっている。

 菖蒲の葉を舐めるようになる以前、もし垢嘗めがずっと岩之湯にひっそりと存在していたのだとしても、これまで目撃したという話はなさそうだった。よっぽどのことがないと人前に姿を表すことはないのだとしたら、また元の静かな場所へ戻ってこっそり垢を舐め続ける生活に戻るか、あるいは自分の病気を治すために、別の何か薬になるものを探しにどこかへ行ってしまったのか……。

 妖怪の行動基準なんて俺には分からないけれど、ただ、あの垢嘗めを力づくで追い出したり、退治したりするような結末にならなくて良かったと、俺は胸の内でこっそり安堵していた。

 俺の回答を聞いた荒屋敷さんは、少し意外そうに目を瞬かせたあと、シロさんを見た。


「なるほど……。シロさん、それでいいんですか?」

「ああ、いいさ。本人の下した決断だからな」


 シロさんはニヤリと笑うと、テーブルの上の柏餅の山を見つめた。


「にしても、一人三個はさすがに多いな……。惟、若いんだから君がいっぱい食え」

「いや、俺だけ多くても困りますけど……」


 決して和菓子が嫌いなわけではないけれど、そんなにいっぱいは食べられない……と思う。

 俺は苦笑いしながら、梨奈さんが淹れてくれた冷たいアイスティーを相棒にひたすら柏餅を食べ進めることになった。

 ……今日一日で、数年分の柏餅を食べた気がした。


 夕方、柏餅によってお腹がパンパンに膨れた俺は、今日の夕食はかなり少なめに作ってもらおうと心に決めて帰宅した。

 ガラガラと玄関の戸を開けると、台所から母が顔を覗かせる。


「あ、惟、おかえり。ちょうど良かった、今日はおばあちゃんが奮発して、いつもの美味しいお店の柏餅をたくさん買ってきてくれたのよ」

「えっ……」

「夕ご飯のあとでもいいし、先に食べてもいいからね」


 「お母さんとおばあちゃんはおやつに一つ食べたから」と続いた母の言葉が遠くに感じた。

 ……そうだった。我が家でも毎年、五月五日は欠かさず柏餅を食べる習慣があったのを、すっかり失念していた。

 満腹の胃袋が、内側からグェッと悲鳴を上げた気がした。

 しばらく、柏餅は見なくていいかな……。




 第5章『垢を舐める』 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。