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幕間 1-2


 「おはようございます」


 優しい声色とともに入ってきたのは、荒屋敷(あらやしき)(まこと)さんだった。

 彼が頭をかがめることなく入ってこれるのは、扉の背が高いから。そんな長身でガタイの良い誠さんは、私より先にこの相談所で働いている。と言っても、彼は相談者の話を丁寧に聞くことができて、調査や現場仕事もオールラウンダーにこなせる人格者。だから『私は彼の後輩です!』と胸を張って言うのは、ちょっとおこがましいレベルだ。

 挨拶を返し、彼にも飲み物を入れるため立ち上がる。コーヒーを淹れながら、テーブルにつく彼を眺めた。


「シロさん、この時間からいるのは珍しいですね」

梨奈(りな)にも言われたよ。俺も早起きすることはあるさ」

「ええ、分かっていますよ。でもここに来る前に、どこかへ寄ってくることが多いでしょう」


 朝の、良い意味でゆるく穏やかな会話。私がコーヒーを持っていくと、ちょうど話はつい先日起きた事件についてだった。


「シロさん、(ゆい)くんに電話してくださったんですよね。非常に助かりました」

「それなら良かったよ。その場にいなかったからな、ヒントにでもなればいいと思ったんだが」


 まさかドンピシャとはな、とシロさんは笑った。


「えっ、じゃあ原因に気づいたわけじゃなかったんですか?」


 思わず声を上げると、シロさんは「さすがにあの説明じゃあな」とわざとらしく肩を竦めた。

 バイトの惟くんが、クラスメイトの女子――に憑りついていた女子高校生の幽霊にストーカーされていた事件。ストーカーという言い方は、適切ではないけれど。

 幽霊には幽霊になってしまった事情があって、悲しい出来事、辛い気持ち、やるせない思いがあるから、一方的に悪いとは言えないこともある。今回は特に、生前の約束のためにそこに居続けたいじらしい少女だ。

 でも私としては、惟くんを困らせて怖がらせたことに対する怒りがちょっとだけある。口には出さないけど。

 惟くんはシロさんが連れてきた男の子で、最近高校二年生になったばかり。

 本人から直接聞いたわけではないけれど、生まれたときから幽霊や妖怪が見える。そのせいで色々あったりして、シロさんが言うには友達が一人もいないそうだ。

 惟くんはたしかに表情は乏しいし、今時の高校生っぽくない――流行りに疎いし、スマホも持っていない。部活にも入っていないし、スポーツも授業でやる程度。かといって、自室でアニメや漫画を読みふけっていたり、パソコンに詳しいわけでもない。 

 けれど、いい子だ。

 『いい子』って抽象的な言い方だけど、例えば挨拶はちゃんとするし、物を散らかしたりゴミを放置したりはしない。清潔にしているし、だらしないところはあまり見たことがない。細かいところでちゃんとしつけられていることが分かる、と言うのかな。お父さんとお爺さんは小さい頃に亡くなっているそうだけど、一緒に暮らすお母さんとお婆さんに大事に育てられたんだろうなっていうのを見ていて感じる。

 友達がいないというけれど、僻みっぽいとか短気だとか、そういう性格の悪いところも見たことない。

 年齢のわりに大人びている気はする。けれど今時のことをよく知らない、まだ未成年だということ以上に世間知らずなところもあるから、心配になることもあるけど、それは私のお節介な気もする。

 背も高くてちょっと痩せ型だけど、顔だってけっこう可愛いと思うし……これは好みの問題と、贔屓目があるかもだけど。

 とにかく、根は素直で、かわいい弟のような惟くんがしんどい思いをさせたことに、私は少しだけもやもやしているのだ。


「……まぁ、そんなに心配するほどのことでもなかったんだろ」


 シロさんの軽い口調に、誠さんは眉を下げて微笑んだ。シロさんの言い分も誠さんの反応もなんだか真意がつかめなくて、つい口を尖らせてしまう。


「心配はしましたよ! だって惟くんは自分で幽霊を追い払えないじゃないですか」

「それは追い払う力があるのに、何も学んでないからだ」


 そんな、惟くんが悪いみたいな……。


「えぇ……でも習ってないことはできないですよ」

「習うって、学校で教えてもらうようなことじゃないだろう」


 呆れたようなシロさんの視線に、言葉が詰まる。惟くんが悪いみたいな言い方されると、なんだか納得ができない気がする。考えていることが顔に出ていたのか、誠さんが「梨奈さんが惟くんを心配する気持ちは分かりますよ」と言ってくれた。


「俺だって、梨奈があいつをかわいがっていることは知ってる。ただ、あいつは怖がりすぎなんだよ」


 怖がりすぎ……どういう意味か分からず、首をかしげてしまう。私の反応にちょっと口角を上げると、シロさんは話を続けた。


「落ち着いてゆっくり観察すれば、悪意を持って攻撃してくるようなものじゃないって分かったはずだ。……得体の知れないものだから怖い、昔怖い思いをしたからきっとまた怖いものだ、自分にしか見えてないから自分だけがこの恐怖を味わっているんだ。そういう考えが無意識にあいつを縛っているんだよ」

「……んー……でもそれって、トラウマとかそういうのってことですよね。だったら一人ではどうにもならないんじゃないですか?」

「たしかに得体の知れないものであることは事実だし、怖い思いをしたことも本当だろう。でも、より恐怖を増幅させているのは自分自身だ。……今回の場合、何もできない自分一人きりだったから、余計にな。最初から俺たちが一緒にいる状況だったら、同じようなことが起きてもそんなに狼狽えなかっただろうな。要は他力本願なんだ」

「そりゃあ、お二人が一緒にいたら心の余裕が違いますよ」


 シロさんは残っていたコーヒーを飲み干した。


「今年十七歳、来年は成人になる。いつまでも怖がってばかりじゃいられないだろ」

「……」


 シロさんの言うことは、なんとなく分かる。いつでも助けてあげられるとは限らないし、惟くんだって大人になる。

 幽霊が見える人、見えるようになった人は聞くけれど、『見えなくなった人』というのは聞いたことがない。死ぬまでずっと付き合っていく問題なんだというのは、私がここで働くことになったときに言われたことでもある。

 ずっと静かに聞いていた誠さんが「でも、」と口を開いた。


「この間は、惟くんが自分から浄霊についていきたいと言い出しました。終わったあと、表情がちょっと変わったように思います」


 そのときのことを思い出しているように、誠さんは優しく目を細めた。


「だからきっと、心配ないですよ」


 誠さんの言葉が、すとんと胸に染みてくる。

 惟くんなら心配ない。心配はするけど、そういうことじゃなくて、もっとこれから続いていく日々のこと。

 シロさんもああ言いながら、無理に惟くんに色々教え込もうとしないのは、彼自身の意識が変わるのを待っているのかな。


「そうですね……」


 微笑む誠さんが頷いてくれた。

 私はシロさんの手元で空になったカップを示した。


「おかわりいりますか?」

「ああ、頼む」


 シロさんからカップを受け取って、新しくコーヒーを淹れるべく立ち上がった。



『幕間1』 完

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