幕間 1-1
朝、私はいつものように愛車のムーヴキャンバスで出勤する。
車の外側を彩るツートンカラーはホワイトとスカイブルー。ピンクやレッドとも散々迷った上で、最終的に爽やかさを選択したんだけど、ごくたまに別なツートンカラーを見かけては「やっぱりかわいいなぁ」とちょっと羨ましく思ったりする。もちろん、夏涼しげで冬景色にも合うスカイブルーだってお気に入りなんだけどね。
『……昨夜、市内北部の〇〇付近で体長一メートルほどのクマ一頭が目撃されました。警察や市役所では……』
車内のBGMはNHKのラジオ。何がどう繋がるか分からないから、常に情報を取り入れるのは大事なことだと思っている。事務員である私は業務上大したことはできないけれど、相談者と話をするときや調査を手伝う際に、無知では大事な情報を取りこぼしてしまうかもしれない。
『……国会では、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる、いわゆる裏金問題について、衆議院の特別委員会で議論が続いています。野党側は、真相解明が極めて不十分であるとして、関係議員のさらなる説明責任を厳しく追及する方針です。一方……』
退屈な政治のニュースは右耳から左耳へ流れてしまうこともある。気が滅入るような事件――こないだの子供が行方不明になった事件なんかは、聞くたびに胸がきゅっと痛くなる。体の中に、どんよりとした雨雲が広がっていくような感覚。不快感と、悲しい気持ちは似てるようで違うから、マーブルソフトのように混ざり合っても、全く同じになることはない。
と、そんなことを考えながら、ほどほどに混んでいるインターチェンジ付近を通り抜け、国道45号線を進む。
この辺りには高速道路に通じているせいか、車も多いし、大型ショッピングモール、ロードサイドの大型店がそろい、飲食などの個人店も個性豊かだ。
2011年の震災以降は、沿岸部の津波被災者の集団移転地となり、人口が急増。震災復興に伴う土地区画整理事業で、いくつかの新町名が生まれている。正直、新町名が生まれたのは私が宮城県へ移住する前の話だから、実感としては薄いけれど。でも現在、この辺りは石森市の中心地と言っても過言ではないと思う。
勤務先である『異浦なんでも相談所』は、この市内随一の人口密集地域に存在している。
一つ道路を横道に入ると徐々に住宅街が見え始める中に、モノトーンの外壁の二階建てが、深緑色の屋根を乗せている。同色の背の高いドアの横には、小さな表札。これで『本日のおすすめ』なんかが描いてあるメニューボードがもしあれば、外観は完璧にオシャレなカフェになる。
人口密集地と言っても、短い大学時代を過ごした東京と比べると、人は少ない。はっきり言って田舎だ。いやスタバもあるし、Amazonは届くから、田舎は言い過ぎかな。都会とは呼べないと思うけど。
でもそのおかげで、隣近所とは物理的に程良い距離感を保ち、数台停められる駐車場にもゆとりがある。
私は相談所の裏に車を停めると、バッグから鍵を取り出しながら入口へ向かった。
深緑色の重い木製の扉は鍵がかかっている。
一番に出勤するのは、たった一人の事務員である私の役目。自主的にそう考えている。
いつものように鍵を差し込んで、カチッと鍵が開く手応えがないことに、違和感を抱く。
ふっと、不安が纏わりつく。鍵を抜いてそっとドアノブを回すと、扉が開いていた。
恐る恐る扉を少しだけ開き、そっと室内を覗くと、鼻を掠めたのはコーヒーの香り。
中央のテーブルに足を組んで座り、優雅にコーヒーを啜る男がいた。
「……おはようございます。帰ってたんですね」
「ああ、おはよう」
彼は白椛祐介――通称シロさん、この相談所のまとめ役だ。
「昨日鍵かけ忘れたのかと思って焦りましたよ。連絡くれたらよかったのに」
ホッとした安心感からつい文句をぶつけてしまうと、シロさんは「すまんすまん」と全く悪いと思っていなさそうな顔で口角を少し上げた。
見た目だけなら二十代後半くらいだけど、貫禄っていうのかな、落ち着いていて余裕のある仕草や語り口だから、もう少し年を重ねているようにも見える。本当の年はもっと上だけど、彼にとってはたいした問題ではないのだ。
朝の清掃も済ませてくれていたようで、お礼を言うと「別に君の仕事ってわけじゃないだろう」と言ってくれた。普段は自分勝手なところもあって困ることもあるけれど、こういうところが憎めないんだよなぁ、と思う。
荷物を置いてから、ノートパソコンのスイッチを入れて、沸かしてくれていたお湯で紅茶を淹れた。今日はグレープフルーツジャスミンティー。コーヒーも飲むけど、私は紅茶のほうが好きだ。
「にしても早いですね。何かあったんですか?」
先日東京出張から帰ってきたばかり、そして昨日は岩手県へ行っていた。もしかして何かあったのかな、暗にそれも含めて聞けば、「早く目が覚めただけだ」と返ってきた。
「やることもなかったからな。たまには一番乗りもいいもんだ」
「そうですか。岩手はどうでした? わんちゃんたちに会ってきたんですよね」
三月、シロさんは惟くんを連れて相談のあった依頼人の元――岩手へ行った。二泊三日で解決して帰ってきた依頼人の家では、最終的に犬を二匹飼うことになった、と聞いている。アフターフォローというほどではないけれど、シロさんは「その後問題ないか確認してくる」と行って出かけたのだ。
「元気だったよ。まだ一か月と少しか? それくらいしか経ってないのに、一回り大きくなってたよ」
「子犬って、あっという間に大きくなりますからね。お家のほうは大丈夫でしたか?」
「ああ、問題ない。軽く話をして、食事をごちそうになって帰ってきた」
「それは良かったですね」
シロさんは相手の懐に入るのが上手い。こうやって、依頼人と仲良くなることもよくあることだ。
「……狐狸の箱を作ったやつの手がかりは、見つからなかったけどな」
そう言って、シロさんは持っているカップを見つめて真面目な顔をした。
――『狐狸の箱』、依頼人の家に妖怪を棲みつかせる要因になったものだ。
依頼人の親族が、恨みから手に入れた狐狸の箱を敷地内に持ち込んだが、そもそもその狐狸の箱の入手ルートは、明らかになっていない。親族の男が、誰からもらったのか覚えていないのだ。シロさんが言うには、その男が嘘をついているわけではなくて、おそらく人間ではないものの気まぐれや悪意のある悪戯だろうとのことだけど、じゃあしょうがないね、とはならない。突き止めるのは限りなく難しいけれど、何か手がかりがないか改めて聞きに行くというのも今回の目的の一つだったそうだ。
依頼を受けているわけではないから、本格的な調査はできないけれど。
「そうですか。同じような物が、またどこかで持ち込まれている……なんてことが起きないといいんですけど」
私は幽霊や妖怪は見えない。ここで働くことになった要因では見えたけど、それっきりだ。
だから現場仕事はできない。何の力添えも出来ないこと、当たり障りのないことしか言えないのが、ひどくもどかしい。
ほんの少し無言の間が続いて、話題を変えようと頭を回転させる。
そういえば、岩手はシロさんの故郷でもある。何か話をしようと口を開いたとき、扉がベルを鳴らした。




