4-10. 川面に揺れる名前
集合場所である橋に着くと、荒屋敷さんは持ち前の物腰の柔らかさで佐々本さんに挨拶をした。
「あの、今日は自分もボランティアに参加させていただきたいと思いまして。邪魔でなければ、お手伝いさせていただけませんか?」
佐々本さんは驚いたように目を丸くしたが、すぐに「もちろん! 歓迎します!」と快く受け入れてくれた。他のメンバーも、プロレスラーのような荒屋敷さんの巨体に最初は圧倒されていたが、彼の丁寧な言葉遣いと穏やかな笑顔に触れると、すぐに警戒を解いて笑い合っていた。
軍手をはめ、ゴミ袋を受け取る。今日は先週とは違う、川沿いの遊歩道を下流へと進むルートだ。荒屋敷さんと並んで歩いていると、トングをカチカチと鳴らしながら佐々本さんが声をかけてきた。
「荒屋敷さんは、藤見くんのお知り合いなんですよね?」
「ええ。自分も梅高の卒業生なんです。陸上部でした」
「えっ、梅高!? 俺は剣道部です! 何年卒業?」
佐々本さんの顔がぱっと明るくなった。同じ母校の、しかも運動部という共通点に話が弾む。
俺は内心、荒屋敷さんが「知り合い」という言葉だけでうまく誤魔化してくれたことに、深く安堵した。学校はバイト禁止だから、相談所でのことを知られるわけにはいかない。何より、高校生がこんながっしりした大人とどういう縁があるのかと突っ込まれたら、俺一人では到底説明できなかっただろう。
「じゃあ、私が入学する年に卒業されたんですね。ちょうど入れ違いでしたか」
「そうなんだなぁ。惜しかった。こんなに大きな後輩がいたら、絶対に覚えてるのにな!」
佐々本さんはハハハと大きく口を開けて笑う。荒屋敷さんもそれに合わせて、少しだけ楽しそうに目を細めた。
「剣道部ということは、練習は青道館ですよね。自分はあまり中に入ったことはなかったのですが、部室棟に行く時にいつも見かけていました。空手部の友達が、暖房がなくて冬は地獄だって嘆いていましたよ」
「そうなんだよ。俺たちは裸足だったからさ、もう足の先が冷たくて、感覚がなくなるんだ。部活が始まって動けばいいけど、準備中はもう、寒くて寒くて」
佐々本さんは懐かしそうに笑い、ふと俺の方を振り返った。
「あ、そうだ。俺たちの時代はさ、あの青道館の横にあるケヤキの木の下が、有名な告白スポットだったんだよ。でも、藤見くんは知らないって言ってたから、今はもう違うみたいなんだ。荒屋敷さんの時は、まだそうだっただろ?」
「ええ、そうですね。私には全く縁のない話でしたが、噂はよく聞いていました」
「だろ? ……いつの間にか、廃れちゃったんだなぁ」
佐々本さんが、ほんの少しだけ寂しそうな顔をして遠くを見つめた。
「佐々本さんは人気がありそうですから、そのケヤキの木の下で、誰かに告白されたことがあったんじゃないですか?」
荒屋敷さんが何気なく、冗談めかして問いかけた。
「……」
佐々本さんの足が、ぴたりと止まった。その驚きように、俺も荒屋敷さんも思わず佐々本さんのほうを見た。そんなに変な質問だっただろうか。
「……あ、いや。そうだな、まあ、あったかな……」
佐々本さんは誤魔化すように視線を泳がせたが、その声は先ほどまでの明るさを失い、どこか悲しげな響きを帯びていた。
その様子が妙に気にかかったが、これ以上踏み込んでいい話なのか分からず、俺は黙って空き缶を拾った。荒屋敷さんも何かを察したのか、すぐに「ゴミは思ったより少ないですね」と、別の話題に切り替えて歩き出した。
曇り空の下、佐々本さんの背中が、一瞬だけとても小さく見えた気がした。
清掃活動が終わると、荒屋敷さんは「すぐ戻るから、温かいところで待っていてください」と言い残し、近くに停めた車を取りに向かった。
駐車場まで一緒に行くと言ったのに、暗くなってきたからと拒否されてしまった。彼が買ってくれた温かいココアのカップを手に、俺は室内の椅子に腰を下ろした。橋のすぐそばにあるカフェの木の温もりがある広い室内は、外の寒さを忘れさせてくれる。
荒屋敷さん、本当に優しいよな……。
そんなことを考えながらココアを啜っていると、カランとドアが開き、先ほどまで一緒にゴミを拾っていた有志グループの数人が入ってきた。その中に、佐々本さんの姿もあった。
「あれ、藤見くん。一人?」
佐々本さんが俺に気づいて声をかけてくれた。他のメンバーは彼に軽く手を挙げて、奥にあるガラスで仕切られたスペースへと入っていく。
「あ、はい。荒屋敷さんが車を取ってくるのを待ってるんです」
「そうか。……あそこは予約制の会議室になっててさ、時々あそこで活動の相談をするんだ」
俺が他のメンバーを目で追っていることに気づき、教えてくれた。
佐々本さんはカウンターでコーヒーを買うと、俺のテーブルにやってきて向かい合わせに座った。
「今日も参加してくれてありがとうな。……こういうのって、すぐ来なくなる子も多いんだよ。現に今日は、先週より人数が少なかっただろ? 続けていくのって、意外と大変なんだ」
少しだけ苦労を感じさせる苦笑い。けれどその瞳には、何かをやり遂げようとする強い意志が宿っているように見えた。
俺はふとした疑問を口にした。
「……どうして、ゴミ拾いを始めたんですか?」
佐々本さんは少しだけ目を見開いた後、「どうして、か……」と小さく呟いた。
「夏に大きな花火大会があるだろ。藤見くん、あれがどういう経緯で始まったか知ってるか?」
俺が首を横に振ると、彼は旧北神川を改修した先祖への感謝と、水難者の慰霊のために始まったのだと教えてくれた。
「報恩感謝と街の繁栄……それから慰霊。俺も高校生の頃は、そんなこと考えもしなかったんだけどさ」
佐々本さんは自分のコーヒーカップを見つめたまま、言葉を紡ぎ出した。
「高校の時さ、一緒に祭りに行こうって約束した子がいたんだ。結局、お互いの部活の都合がつかなくて一緒には行けなかったんだけど……。俺さ、その子と二人きりになったら告白しようとか思ってたんだ。でもタイミングを逃しちゃって。いつまでも仲の良い友達のまま、明日が卒業式っていう日になっちゃったんだよ」
佐々本さんの声が、少しだけ震えた。
「だから俺、その子に言ったんだ。『明日、卒業式が終わったらあのケヤキの木の下に来てほしい』って。もう告白みたいなもんだよな。その子も『分かった、行くね』って笑ってくれてさ。……でも、来なかった。来られなかったんだ」
俺は息を呑んだ。
「その日の夜、家族で食事に行っていた帰りに車の事故に遭って……そのまま死んじゃったんだ。そっからずっと考えてる。なんでもっと早く言わなかったんだろうって。告白して、来年こそ一緒に祭りに行こうって、言えばよかったって」
大人になった今でも、一緒に祭りに行きたかったと思う。その未練を、どうにかして形にしたくて始めたのが、この川のゴミ拾いなんだ。
そう言って、佐々本さんは俺の目を見ずに笑った。
「俺にできることなんて、これくらいだから。……ごめんな、重い話をして」
何て言えばいいのか分からない。俺みたいな高校生相手に思い出を話してくれたこと、そして聞いた話が頭の中で繋がった動揺で口が開いたまま、「いえ、……あの、全然…」と意味のない言葉が漏れるだけだった。
窓の外に、荒屋敷さんの紺色のSUVが滑り込んできた。
「来たみたいだな。じゃあ、俺はこれで。またな」
立ち上がり、会議スペースへ向かう佐々本さんの後ろ姿に挨拶をして、逃げるように車に乗り込んだ。
シートベルトを締め、車が走り出す。俺は震える手で携帯を取り出し、昨日撮影した新聞記事の写真を開いた。
シロさんが言っていたこと――あの日すれ違った時に、俺が呼んでしまった彼女の名前。
一枚の写真を選択し、画面を拡大する。そこには、飲酒運転の被害に遭った一家の記事が載っていた。
日付を確認する。たしか荒屋敷さんは今二十八歳、だから卒業したのが十年前……それで、佐々本さんは入れ違いで卒業したから……。
「……道路が混んできましたね。少し遠回りします」
運転席の荒屋敷さんに、俺は掠れた声で呟いた。
「……荒屋敷さん。あのケヤキの下にいた幽霊が誰なのか、分かったかもしれません」




