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IURA-異浦なんでも相談所  作者: 相川 ヒゲ
4. 川面に揺れる名前
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4-8. 川面に揺れる名前


 話がまとまると、梨奈さんはテーブルの上の写真を手際よく片付け、代わりに数枚の古い新聞記事を広げた。

「彼女の話は一旦置いといて……。これは、ここ三十年の市内の高校に関する死亡事故を調べたもの。梅森(うめもり)高校に絞って、私がいくつかコピーしてきたの」

 ケヤキの木の件だよ、と梨奈さんが指で新聞記事を示した。

「梅森高校は百年以上の歴史があるから、これでもほんの一部なんだけどね。とりあえずこの三十年で亡くなった生徒たちの記事。……交通事故や不慮の事故だけで、ケヤキの木が直接の原因や現場になったものは一つもなかった。事件性があるものもなし。ただ、これはあくまで表向きの報道だから、当事者にしか分からない事実が隠れている可能性はゼロじゃないけど」

 掠れたインクの文字が、テーブルの上に冷たく並ぶ。

 梨奈さんが「女子生徒なら、この四つ」と言って、俺の目の前に四枚の新聞記事を差し出した。


――日付は二十八年前

信号機(しんごうき)のない横断歩道(おうだんほどう)で、女子生徒死亡』

石森(いしもり)市内の○○環状線沿いで車にはねられた女性が倒れているのが見つかり、その後病院で死亡が確認されました。警察はひき逃げ事件とみて捜査しています。被害者は県立石森女子高等学校※に通う、阿部(あべ)美佳子(みかこ)さん(17)。

(※県立石森女子高等学校……共学になる前、女子高だった頃の学校名)


――日付は十七年前

『夏休み中の痛ましい事故』

一級河川の旧北神川(きゅうきたかみがわ)で発生。遊んでいた小学二年生の弟が流され、救助しようと川に入った姉が、弟を岸に引き上げた後に自身は流された。死亡したのは梅森高等学校に通う、渡辺(わたなべ)翔子(しょうこ)さん(16)。


――日付は十三年前

『飲酒運転事故、家族三人の命奪う』

 ――被告は酒を飲んだ状態で車を運転し、反対車線にはみ出して乗用車と正面衝突し、乗用車を運転していた石川(いしかわ)浩正(ひろまさ)さん(39)と妻の石川(いしかわ)正美(まさみ)さん(38)、そして同乗していた長女で梅森高等学校に通う石川(いしかわ)美希(みき)さん(18)の命を奪っていた。


――日付は八年前

『アパートでの火災事故』

石森市内のアパート一室から火が出ていると通報があり、焼け跡から一人の遺体が見つかりました。亡くなったのはこの部屋に住む梅森高等学校三年の高橋(たかはし)由紀奈(ゆきな)さん(17)。警察が出火原因を詳しく調べています。


 梨奈さんは腕を組み、「見ての通り、ケヤキの木、ましてや学校内で起きた事故はなかったの」とため息をついた。

「近隣の他校なら、自殺や部活中の不慮の事故の記事もいくつかあったんだけど、梅森高校では見当たらなかった」

「……ありがとうございます」

 仕事が早い、と感心してお礼を言うと、「今日暇だったからね」と梨奈さんが笑った。

 俺たち三人は、テーブルに並んだ記事を見つめたまま「うーん」と顔を見合わせた。梨奈さんが「もう少し、調べる範囲を広げてみるね」と申し出てくれたので、俺はまた「ありがとうございます」と頭を下げた。

 学校の外で起きた、不幸な事故の数々。それらは確かに痛ましいが、あのケヤキの下にいた影とは、どうしても結びつかない気がした。

 ……じゃあ、あれはいったい何なんだ?

 人間の幽霊だと思ったけど、違うのか。いやでも、そうだとしたら人型には見えないと思うんだけど……。

 三木さんに話しかけられて、ケヤキの木には正体不明の幽霊がいて、また三木さんとすれ違って……あの日は、俺にとって厄日だったのか。

 ケヤキのほうは近づかなければいいから、三木さんの件と比べたらあまり深刻に捉えてはいないけれど。でもあの日、青道館(せいどうかん)を覗こうなんてバカなことを考えなければ、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。

『あそこの木の下で告白すると成功する、ってジンクスがあったんだ』

 俺の脳裏に、あの爽やかな笑顔を浮かべていた佐々本(ささもと)さんの姿が、ふと浮かんで消えた。

 呪われるかもしれない、にジンクスは書き換えたほうがいいかもしれない。


 相談所から出ると外はもうすっかり暗くなっていた。

 荒屋敷さんの大きな紺色のSUVに俺の折り畳み自転車を積み込み、家まで送ってもらった。車窓から流れる市街地の景色を眺めていたが、家に着くまでの間、三木さんらしき影を見ることはなかった。



 夜、お風呂から上がって自室に戻ると、ベッドの上に放り出していた携帯に不在着信が一件残っていることに気づいた。画面を確認すると、相手はシロさんだった。

 慌てて折り返すと、数回のコールの後、聞き慣れた飄々とした声が耳に届いた。

『惟、なんだか大変なことになってるんだってな』

 久しぶりに聞くシロさんの声は、相変わらずどこか他人事のように軽やかだった。梨奈さんや荒屋敷さんから既に報告を受けているらしい。

「……はい。シロさんは今、東京ですよね? 何か別の調査中なんですか?」

『ああ、まあな。こっちも少し面倒な件でな。だが来週にはそっちに戻れるはずだ』

 シロさんはそれ以上自分の仕事については語らず、本題へと切り込んできた。

『梨奈が手がかりが見つからないって嘆いてたよ。俺にも聞かせてくれるか?』

 俺はこれまでの経緯を、記憶を辿りながらできる限り丁寧に話した。クラスメイトの三木さんが連絡先を聞いてきたこと、俺が携帯を出した途端に不機嫌になったこと。そして青道館を覗いた帰り道に、彼女たちが話しているのを偶然聞いてしまったこと。

『タイミングが悪いな。女子のそういう内密な会話ってのは、聞かない方が身のためだ』

「……分かってますよ。俺だって、聞きたくて聞いたわけじゃないですし」

 俺の反論に、シロさんは電話の向こうで小さく笑った。

『にしても、七不思議なんてものを見に行こうとするなんて、君にしては意外なことをするな』

「……本当に何かいたら、もう近づかないようにしようと思ったんです」

『で、何かいたのか?』

 シロさんの声から、少しだけ遊び心が消えた。俺は一瞬言葉に詰まった後、あの時の光景を思い出しながら答えた。

「……青道館を確認する前に、横に生えてる大きなケヤキの木の下に……何かがいることに気づきました。黒い人型の、モヤみたいな。……たぶん、幽霊です」

 シロさんは『ふーん』と、少し考えるような声を漏らした。

『……地縛霊か。あるいは、たまたまそこにいただけか』

 独り言のように呟くシロさんの言葉が、夜の静かな部屋に重く響いた。

「……えっ?」

 シロさんの問いかけに、俺は思わず聞き返した。シロさんは俺の戸惑いを気にする様子もなく、言葉を継いだ。

『クラスメイトの会話を聞いたと言っていたが、その時、何か話したのか?』

 すれ違った時の、あの妙に冷えた空気。

「いえ……気まずい感じになって、そのまま黙って通り過ぎていきました」

『本当にそれだけか? 何か言ったり、言われたりしてないのか?』

「いえ、何も……あ」

 記憶の端が、ぴくりと跳ねた。そうだ、あの時は俺の方が先に彼女たちに気づいたんだ。

『何か思い出したか?』

「あ、いや……別に彼女たちに何か言ったわけじゃなくて」

 一人で言い訳をするような、妙な居心地の悪さが胸に広がる。

「その……会うと思ってなかったから、つい名前を口に出しちゃったというか。『あ、三木さん』 みたいに。で、それで向こうが俺に気づいて……でも、何も言わなくても、どうせ俺には気づいたと思いますし」

 ただクラスメイトの名前を呼んだだけだ。それなのに、説明すればするほど、自分だけ空回りしていたみたいで、変に恥ずかしくなってくる。無視されたわけでも、会話を拒まれたわけでもない。ただ、向こう側の日常に自分が入り込めなかった事実を突きつけられたような、言葉にしがたい情けなさが喉の奥に張り付いた。

『名前、か……』

 シロさんの声が、一変して低くなった。

 何か重大なことを言っただろうか。続きを待っていても、電話の向こうからは沈黙が返ってくる。俺が沈黙に耐えきれず口を開こうとした瞬間、シロさんが再び喋りだした。

『名前というのは、大事なものだ。人間にとっては特に、一生付き合っていくものだからな』

「……?」

『事故や不慮の事故で死んだ場合、自分が死んだことを自覚できないこともある。人間の幽霊がこの世に残っているのは、強い未練があるか、あるいは死を自覚できていない場合が主だ。自分が何者で、なぜここにいるのか。この世に留まっている時間が長くなればなるほど、生きていた頃の記憶は磨り減り、薄れていく』

 シロさんの声が、俺の耳に溶け込むように深く響く。

『だが名前は、たとえ記憶が欠けていっても、根底に必ず残るものだ。呼ばれたことで、思い出す。呼ばれたことで、自分が呼ばれたのだと気づく。……特に、君のように霊感の強い人間が発する声は、あちら側からはよく見えるんだろうな。他の生徒が呼んで届かなくても、君が呼べば、呼ばれたと確信することもあるだろう』

 意味は分かる。言葉の意味は理解できるが、それが今の状況とどう結びつくのかが分からない。思考がぐるぐると混乱する。

「……三木さんの名前を呼んだから、あの日から彼女が……。でもそれって、三木さんが幽霊だったってこと……じゃないですよね?」

 自分でも何を言いたいのかよく分からない俺の問いに、電話の向こうでシロさんが短く笑った。

『俺もその幽霊らしきものを実際に見ていないし、君から話を聞いているだけだからな。今の時点じゃ、何も断定はできない』

「でも、……」

『あ、すまん、来客だ。切るぞ』

「えっ、ちょっと、シロさん!」

『じゃあ、頑張れよ』

 俺の呼びかけも虚しく、耳元で無機質な切断音が響いた。手の中に残ったのは、熱を帯びた携帯電話と、解けないまま膨らみ続ける不吉な予感だけだった。


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