4-7. 川面に揺れる名前
翌日、月曜日の朝。学校へ向かう足取りは、石を詰め込んだ鞄を背負っているかのように重かった。
教室に入り席に着くと、三木さんの友達がすぐに小走りで寄ってきた。
「……藤見くん。呪いの写真を持ってる子がいて、今日、その子に送ってもらうようにお願いしたの。でも、やっぱり見るの怖いし、私も誰かに送らなきゃいけないんだよね……」
彼女はスマホを握りしめたまま、小さな声で続けた。
受け取ったら、誰かに送らなくてはならないルール。
印刷して渡す、では意味がないのか……。俺が頼んだことだけど、そもそも俺はスマホから写真が印刷できるかどうかもよく知らない。俺の携帯に送ってもらえば済む話かもしれないけど、スマホの写真と携帯の写真が同じように見られるのかも分からなかった。
予鈴が鳴って席に着いたあと、俺はこっそり梨奈さんへショートメールで状況を伝えた。すぐに返信が来た。
『じゃあ、私に送ってもらっていいよ。いとこのお姉さんに送る、って言えば、その子もルール通り誰かに送ったことになるし、そのあと写真を消せるでしょ? 私たちが今日中身を確認できるしね!』
読んで、小さく安堵の息が漏れた。追ってメッセージアプリの連絡先が送られてきた。
梨奈さんに迷惑はかからないかと尋ねると、『誠さんがいるから大丈夫。惟くんも放課後、相談所に来れる?』と返ってきた。
移動教室の直前、教室に俺とその子以外に誰もいなくなったタイミングを見計らって、俺は梨奈さんの連絡先を教えた。
「……送ったよ。本当に大丈夫なのかな、これで」
震える手で操作する彼女の横から、俺はスマホの画面をそっと覗き込んだ。そこには、小さな家族写真のようなものが映っていた。どこにでもある、ありふれた記念写真に見える。画面越しだからか、俺の感覚には何も引っかからなかった。
その後の授業は、まるで時間が止まってしまったかのように長く感じられた。
相変わらず、教室を移動するときや、窓の外から刺すような視線を感じる。……三木さんだろうか。
彼女はただ見ているだけで、直接何かを仕掛けてくる様子はない。
俺は自分の体の感覚を確かめるように、そっと肩を回した。最近寝つきが悪いのは事実だが、それは単に神経質になっているせいだろう。幽霊や妖怪に取り憑かれた時のように、肩が異常に重かったり、吐き気を催したりするような不調は出ていない。
少しだけ冷静に考えられるようになって、ふと気づく。
三木さんが見てくるようになってから、特に変化がない。例えば極端に近づいてくるとか、もっと体に変調が出るとか。……俺が意図して見ないように、近づかないようにしているから、そう思うだけだろうか。
呪いって、時間の経過とともに悪化していくものだと思っていたけど、そういう決まりがあるわけではないんだろうか。
それとも――呪い、ではないのだろうか。
放課後のチャイムが鳴ると同時に、俺は誰よりも早く教室を飛び出した。今日は自転車での登校だ。ペダルを力任せに漕ぎ、異浦なんでも相談所へと向かった。
交差点の赤信号で止まった時、視界の端に女子生徒の制服姿が映り、心臓がどっと嫌な音を立てた。けれど、俺は頑なに顔を上げず、信号が変わるのを待って一気に自転車を飛ばした。
「……はぁ、はぁ……」
相談所に辿り着き、重い扉を開ける。そこには荒屋敷さんと梨奈さんの姿があった。
「そんなに急がなくても。連絡をくれたら、車で迎えに行きましたよ」
荒屋敷さんが立ち上がり、いつもの穏やかな声音で俺を気遣ってくれた。
「いえ、自転車なので大丈夫です」
俺は少しだけ強がって答え、息を整えた。
「惟くん、お疲れさま。そこに座って」
梨奈さんがそう言って、俺の分の紅茶を淹れるために席を立った。俺はコートを椅子の背にかけ、二人が座っていたテーブルへと歩み寄った。
テーブルの上には、梨奈さんと荒屋敷さんのノートパソコンが並び、その傍らには数枚の紙が広げられていた。そこに印刷されていたのは、紛れもなくあの呪いの写真だった。
「お友達に送ってもらってから、すぐ印刷したの。あ、お友達には、お互いの連絡先は消すよう話はしてあるからね」
「……ありがとうございます」
そこまで考えてなかった。梨奈さんの気遣いに、自然と頭が下がった。
椅子に座り、テーブルに並べられた物理的な紙を改めて手に取って見ると、写真はどこか古臭い印象を受けた。
家の前に並ぶ五人の家族。両親と、三人の子供。笑顔を浮かべてはいるが、子供たちは両親に全く似ていないし、なんとなく全員が華やかというか、特に母親はやけに整った顔立ちをしている。
「お待たせ。はい、これ飲んで落ち着いて」
梨奈さんが運んできてくれた紅茶を受け取り、一口喉を通す。氷少なめのアイスティーだった。
「……この写真ですけど」
「うん。それなんだけどね、荒屋敷さんは『何も感じない』って。惟くんはどう?」
梨奈さんの問いに、俺はもう一度写真を凝視した。やはり、何の気配も感じない。どろりとした悪意も、霊的な澱みもない。むしろ、どこか作り物めいた違和感ばかりが目につく。
「……何も、感じません」
「そうだよね。だってこれ、これを見て」
梨奈さんが俺の方に自分のパソコンの画面を向けた。そこには、今俺が手にしているのと同じ写真が映っていた。それだけじゃない。同じ家族が、別の場所で、別のポーズで笑っている写真が何枚も並んでいる。タイトルのようなポップな文字が並んでいるものも……。
「これ……もしかして、ドラマか何かですか?」
「正解!」
梨奈さんがいたずらっぽく微笑んだ。
「平成の初期に放送されていた昼ドラの一場面みたい。関東の一部で放送されていただけで、こっちの東北では流れてなかったし、内容的にもあまり人気が出なかったらしくて。私たちですら生まれる前の作品だから、今の高校生が知らないのも無理はないよ」
梨奈さんはパソコンを自分の方へ戻すと、手際よくマウスを動かした。
「わざと写真の明度や彩度を落として、暗くて不気味な呪いの写真風に加工してあるだけ。完全な偽物。誰かが面白半分で作って、ネットに放流した代物だよ」
「偽物……」
その言葉が、すとんと胸の中に落ちた。
一気に身体から力が抜け、背もたれに深く体重を預けた。じゃあ、呪いなんて最初から存在しなかったのか。
だとしたら、三木さんは一体……。
「……呪いの写真は偽物だった。となると、惟くんを困らせている彼女の方は、きっと違う何かが原因なんだね」
梨奈さんがそう切り出すと、荒屋敷さんも深く頷いた。
「ええ。少なくとも流行っているあの写真自体に呪力はなく、今回の現象とは直接の関係はないと言っていいはずです。彼女と惟くんの間に初めてやり取りがあった理由があの写真だった、というだけで。きっかけにはなったのでしょうが……」
荒屋敷さんが手に持っていた呪いの写真のコピーをテーブルに戻し、梨奈さんと俺と、三人で顔を見合わせた。
呪いの写真が原因でないとすると、何が起きているんだ……。他に原因になるようなこと……改めて考えると、俺は三木さんのことをほとんど知らないし、友達の名前すらいまだに分かっていないくらいだ。
「……原因を特定するのは今の段階では難しいですね」
荒屋敷さんが腕を組み、静かに口を開いた。
「流行っている写真は偽物だった。けれど、霊感の強い惟くんに、彼女が執着している。となると、彼女が何かに憑かれている可能性は高い気がしますが……それが何なのか、まだはっきりしません」
荒屋敷さんはテーブルの上の資料を片付けると、俺の方を見て穏やかに提案した。
「惟くん。明日の放課後、学校まで迎えに行きます。帰り道を少し一緒に歩いて、彼女の様子を実際に見てみましょう。一人で対応するのは危険ですからやめてほしいですが、このままでは調査も進みませんから」
荒屋敷さんの言葉に、俺はこくりと頷いた。一人で立ち向かうのは正直怖かったが、荒屋敷さんがいてくれるなら心強い。明日の放課後、彼と一緒に歩き、三木さんの――背後の正体を確認することに決まった。




