表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IURA-異浦なんでも相談所  作者: 相川 ヒゲ
4. 川面に揺れる名前
32/37

4-4. 川面に揺れる名前

 翌朝の目覚めは、人生で指折りの最悪さだった。

 何度頭を振っても、昨夜カーテンの隙間から見た白い無表情が網膜に張り付いて離れない。暗闇の中で、微動だにせず俺の部屋を見上げていた姿。あれは間違いなく、三木(みき)さんだった。

「……はぁ」

「どうしたの(ゆい)、食欲ないの?」

「……別に、そういうわけじゃないよ」

 母にそう答えたが、朝食の白米を口に運んでも、味噌汁をすすっても、味がしなかった。無理やり胃に押し込み、玄関の前に立つ。

 ……玄関の扉を開けた瞬間、そこに彼女が立っていたらどうしよう。

 そう思うと、玄関の引き戸にかけた手がわずかに震えた。これなら幽霊や妖怪の方がまだマシだ。いや、それは言い過ぎか……。

 クラスメイトの女子という、俺にとって幽霊以上に未知で、得体のしれない生き物にどう対応すればいいのか。というか、あれは本当に人間だよな。まだ見たことはないが、生霊と呼べるような存在として現れたとか……まさか昨日死んで幽霊になったとか? いや、さすがにそれはないか……。

 不謹慎なことだと思っても、そんな考えも浮かんでしまう。考えれば考えるほど、分からなかった。

 重い足取りで玄関を開け、外へ出る。玄関の外にはいない、恐る恐る覗き込んだ庭にも夜見えた姿はなかった。

 ほっと胸を撫で下ろしたものの、運の悪いことに今日は祖母が出かけに自転車を使うため、徒歩での登校だった。

 視界の外から急に現れるような気がして、落ち着かない。進む速度がゆっくりな分、余計にそう思うのかもしれない。

 結果として通学路の曲がり角や電柱の影にも彼女の姿はなかったが、どこからか現れるんじゃないかという不安の影は、朝の柔らかい陽差しに透かされても、うっすらと肌にまとわりついていた。



 無事に教室へ辿り着いたものの、そこにも平穏はなかった。出席確認の際、担任は昨日と同じように「三木は今日も体調不良で休みだ」とだけ短く告げた。

 空席のままの彼女の席。でも昨日の今日だ、彼女がそこにいなくても、学校のどこかに潜んでいるのではないかという疑念が胸に溜まって消えてはくれない。


 授業中、俺は一度も窓の外を見なかった。

 空は朝日が消え、昨日と同じ、今にも降り出しそうで堪えているような、どんよりとした曇天になっていた。校庭の梅の花も、このまま雨が降れば無残に散ってしまうだろう。

「……?」

 そっと肌を撫でるように、執拗で不快な視線がちらちらと俺の横顔を打った。

 その正体を探るため、俺は教科書をめくるふりをして視線を横に走らせた。視線の主はすぐに分かった。少し茶色がかった髪、平行な眉――三木さんの友達の女子生徒だった。

 彼女は俺と目が合いそうになると、さっと顔を背けた。さりげない視線のやり方だけど、俺のことを盗み見ていたと思う。

 黒板のほうを向いて、ブレザーの肩につきそうな細い毛先が揺れていた。

 ……当たり前だけど、彼女は人間だ。嫌な気配も感じない、普通の人間だ。

 何だろう、俺に何か言いたいことでも……そこまで考えて、三木さんに声をかけられたときのことを思い出し、喉が詰まるような不快感が蘇る。

 頭を振って、黒板に視線を戻した。


 それから金曜日までの二日間、俺の平穏は音を立てて崩れていった。

 学校の教室や家の中にいる間は、まだいい。けれど、一歩外に出て一人で歩き始めると、途端に制服姿の女子の姿が視界の端にちらつき、じっと見られているような視線が吸いついている。

 自室で過ごしていても、カーテンのわずかな隙間から、誰かがこちらを覗き込んでいるような不安感は消えなかった。確認はしていない。視線の主をはっきりと見てしまうのが怖くて、俺は頑なに窓の外を見るのを避けていた。けれど、確信めいたものはあった。

 あれは、三木さんだ。

 視界の端に姿がちらつくたび、彼女の友だちの視線が絡みつくたびに、確信は強くなった。

 もしも、三木さんがただのストーカーなら、まだ理解の範疇だ。……いや、俺に対して急にそんなことありえないと思うし、断じてストーカーに理解を示しているわけではないけれど。

 分からないのは、人間だと思うのに、嫌な黒い気配を感じることだった。幽霊ではない、あれは生きている三木さんだ。それなのに、どろりとした嫌な感覚が、日に日に濃くなる。

 何もかもが噛み合わないまま、金曜日の放課後を迎えた俺の口からは、自分でも嫌になるほど重いため息が漏れた。

 ……明日、シロさんに相談するか。

 明日は久しぶりにバイトがある。……正直、シロさんに「クラスの女子に付きまとわれている」なんて言えば、ニヤニヤしながら面白がられるのは目に見えている。でも、もう限界だ。幽霊絡みなのか、人間関係のトラブルなのか。俺一人の手には負えそうにない。女子の心理なんてさっぱり分からないし、せめて梨奈(りな)さんにだけでも話を聞いてもらいたい。


 一人にならないよう、部活へ向かう生徒たちの波に紛れて帰ろうと、俺は急いで荷物をまとめた。だが、その目論見は無情にも打ち砕かれた。

「――ちょっと、いい?」

 聞き覚えのある声に足を止めると、そこには三木さんの友達が立っていた。他の生徒が教室からいなくなるのを待っていたのだろう。彼女は硬い表情のまま、俺を真っ直ぐに射貫いた。

綾花(あやか)のこと怒ってるのかもしれないけど……その、嫌がらせみたいなことは、もうやめてほしい」

 突きつけられた言葉に、俺の思考は一瞬停止した。

「は……?」

 アヤカ……あぁ、三木さんのことか。

「綾花が学校に来なくなったの、藤見(ふじみ)くんのせいでしょ。中学のとき一緒だった子に聞いたから」

 女子生徒は、混乱する俺を置き去りにして言葉を畳みかけてくる。

「あの写真のこと……綾花が送ろうとしたのは悪かったと思うし、それで呪われちゃったのかもって思ったけど、でもだからって、あんなの……綾花がかわいそう」

「……何のことか、さっぱり分からないんだけど」

 掠れた声で返すと、彼女は苛立ちを露わにして一歩踏み込んできた。

「だから、写真! 送ろうとしたし、それに、『どうでもいい奴だから』って言ってたのも聞いてたんでしょ。だから怒って、綾花に何かしたんでしょ!」

 ――『だって仲良い子に送るわけにいかないじゃん。どうなってもいい奴に送らないと』

 あの放課後、部室棟のそばですれ違った時に耳にした三木さんの言葉が、鮮明に蘇る。彼女が俺に送ろうとしていたもの、それが写真ってことか? でも、何の?

 呪われた、って言ってるけど、一体何が……?

 ここ数日の三木さんの件について、何か掴めそうな気がした。

「えっと……何のことか本当に分からないんだけど、写真って何?」

「だから、写真! 呪いの写真送ろうとしたから、仕返ししてるんでしょ!」

 彼女の言葉は支離滅裂に聞こえた。「みんな送ってるじゃん、知ってるでしょ」 そう言いながら、俺と視線を合わせたり、すぐ逸らしたり、俺を非難する態度にはどこか怯えが滲んでいるようだった。

「みんな送ってる、って言われても……俺、送ってくる相手いないし」

 言ってから、自分でも情けないと思ったが事実だ。呪いの写真が何なのか、知りようがない。

「えっ……」

 彼女はぽかんと目を瞬かせた。



 なぜか落ち着きを取り戻してくれた彼女と、要領を得ないやり取りを何度か交わしながら、彼女の言い分を頭の中で整理した。

 話は、今学校で流行っているという『呪いの写真』が関係しているようだった。

 どこから始まったのかは分からないらしいが、誰かが誰かに、スマホで呪いの写真を送った。その呪いの写真は、持っていると呪われる。だから、自分を守るためには別の誰かにその写真を送りつけなければならない。写真を送った後ならスマホから削除してもいいが、誰にも送らずに持ったままだったり、送る前に削除したりすれば、その瞬間に呪いが降りかかるのだという。

 三木さんは、その写真を俺に送ろうとしていた。

 呪いの写真なんて、仲の良い友達には送りたくない。でも、自分が持っていたら呪われてしまうから、何とかしなきゃいけない。……その気持ちは、分からなくはない。

 けれど、俺が持っていたのは二つ折りの携帯電話だった。当てが外れた彼女は、連絡先を交換せずに踵を返したのだ。……まぁ、携帯電話にも写真は送れると思うけど。たぶん。

 友達は彼女を嗜めたそうだが、三木さんは聞く耳を持たなかったらしい。

「……あの日から、綾花がなんかおかしいの」

 部活終わり、三木さんは顔を真っ青にして「具合が悪い」と漏らしていたという。その時は風邪でも引いたのかと見過ごしたが、翌日から彼女は学校に来なくなった。スマホでメッセージを送っても返信はなく、電話にも出ない。

 昨日、放課後に様子を見に行った彼女の友達は、三木さんの母親から「様子がおかしくて」と困惑した顔で迎えられたそうだ。その時、ちょうど三木さんが二階の自室から下りてきた。真っ白な顔で、友達が必死に話しかけても彼女は完全に無視し、導かれるように玄関から外へ出ていこうとした。あきらかに正気ではないその姿に、彼女は「本当に呪われたのかもしれない」と戦慄したのだという。

 ……けれど、本当に写真で呪われたのか? あんなの、ちょっとした流行りみたいな、お遊び的なもので、本当に呪われるなんて……。そう半信半疑だった彼女は、ふと俺の存在を思い出した。

「藤見くんって、幽霊が見えるんでしょ。小学生のとき、いじめてきた友達に幽霊を憑りつかせたことがあるって聞いたよ」

 ……そんなこと、一度もしたことはない。

 確かに、俺を変な奴だと、執拗にちょっかいを出してくる奴はいた。でも、そいつに対して俺が直接何かしたことはない。勝手に自滅したか、あるいは運悪く不幸が重なっただけだ。なのに周囲は、俺が何か呪いでもかけたかのように語ったのだ。

「だから、綾花がこうなったのも……」

 震える声で告発する彼女を前に、俺はただ考え込んでいた。

 繋がったようで、繋がっていない。

「……呪いの写真のせいで三木さんはおかしくなって、俺をつけてるってことか……?」

 独り言のように漏らした言葉は、湿った空気の中に力なく消えた。三木さんが俺に写真を送ろうとして失敗し、呪いが彼女自身のところで止まってしまった。そのやり場のなくなった呪いの矛先が、送り損ねた相手である俺に向いた……ということなのだろうか。

 正直、いまいちしっくりこない。

 けれど、彼女の友達から聞いた話を繋ぎ合わせると、今のところそれ以外の結論には辿り着けそうになかった。どちらにしても、正体不明の呪い?――三木さんをこのまま放置するわけにはいかない。

 まずはその根源である写真を、見てみる必要がある。

「……その写真、見せてもらえる?」

 俺の言葉に、彼女の友達はあからさまに顔を強張らせ、首を振った。

「私には送られてきてないから、持ってないよ。……それに、藤見くんが何かしたから、綾花がこうなったんじゃないの?」

 彼女の瞳には、依然として俺に対する不信感と恐怖が混ざり合っていた。けれど、最初に声をかけてきたときの責めるような態度はなくなっていた。

「俺は何もしてないよ。写真のことも知らなかったし。……何だったんだろう、とは思ってたけど」

 信じてもらえるとは思ってないが、それでも俺は口を開いた。

「……三木さんのこと、調べてみるよ。だから、その呪いの写真、誰か持っている人がいたらもらってきてほしいんだけど……できれば、紙に印刷してもらえると助かる」

 三木さんのため、というか、……正直、俺のためでもある。

 彼女は渋々といった様子で何度か頷くと、逃げるように教室から出ていった。


 一人になった俺は、深くため息をついて帰路についた。

 住宅街の細い道を歩きながらも、あの刺すような視線が絶え間なく背中を打つ。やり過ごそうと努めていたが、あまりの執拗さに、俺は視界の端でそっと後方を確認した。

 家々の生け垣の陰、夕闇に紛れるようにして、女子生徒の制服が揺れていた。……顔までは見えなかったけど、三木さんだと思う。

 背筋を這い上がるような、あのどろりとした嫌な気配。悪意や敵意は感じない……と思うけど、幽霊や妖怪といったあっち側の存在と対峙した時と同じ感じがする。

 でも、あれは人間だと、やはり感覚で分かる。

 彼女自身が何かに取り憑かれているのか、あるいは呪いそのものが彼女を動かしているのか。

 どっちにしても、俺一人でどうにかできる問題ではない。

 明日相談所へ行ったら、すぐにシロさんたちに相談しよう。

 そう心に決めて、俺は背後の気配を振り切るように、足早に家へと急いだ。……振り返る勇気は、最後まで出なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ