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IURA-異浦なんでも相談所  作者: 相川 ヒゲ
1. 記憶の無い男
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1-3. 記憶の無い男

「この人、やっぱりおかしいのよ」

 経験したことのない恐怖で動けなくなる俺を現実に引き戻したのは、俺を責める声だった。

 ゆっくりそちらへ顔を向けると、受付越しに女職員が気持ち悪いものを見るような表情をしていた。女職員が呼んだのか、いつの間にか男性職員も数人やってきている。気付かなかった。そのうちの一人が俺に恐る恐る声をかけてきた。

「具合悪いんですか? 立てますか?」

 顔を覗き込まれて初めて、自分がハッ、ハッと息を切らしていることに気がついた。

 ――何が起きていた?

 視界の端に映る段ボールの中には、開けたとき同様に化粧台が鎮座している。鏡は、ただ目の前の光景を映しているだけのように見える。

 吐き気を堪えて、「……お、俺の、……ハァ、……後ろに……」 絞り出した声は小さかった。

「後ろですか? 何かありましたか?」

 チラリと職員が視線を落としたのは、俺が握っているカッターだった。段ボールを開けたときに使って、そのまま握っていた。

「転んだんですか?」と、職員は俺の背中や床へ視線を向けた。

 男たちは――いなくなったのか、それとも俺以外には最初から見えていないのか。

 どちらなのかは分からない。ただ、今は背後に気配を感じない。

 ほんの少しだけ、胸の奥の緊張がゆるみ、息が漏れた。だが同時に、冷たいものが背中を這っていく。

 今は消えているだけだ。また現れるかもしれない……助かったわけじゃない。まだ終わっていない。

 こめかみから顎にかけて、汗が伝っている。肌にへばりつく服の感覚が気持ち悪い。心臓がまだ暴れ続けていて、安心なんて到底できなかった。

「何もないようですが……大丈夫ですか?」

 職員の顔を見て、俺を送り迎えして街中を案内してくれた人だと気づいた。そうだ、今日行った寺のある日鳥山にも、この人が連れて行ってくれた。

 ふと、ポケットに入っている名刺の存在を思い出した。

 なぜ俺の元にこの化粧台が届けられたのかは分からないが、とにかく連絡しなきゃいけない気がする。

 足に力を入れると、今度は立つことができた。電話を貸してほしいと言えば、職員は「具合が悪いのか」「病院へ行くなら一緒についていく」と心配してくれたが、ただ煩わしかった。

 声をかけてくれた職員以外は皆、警戒するようにこちらを見ていた。女職員は相変わらず不信感を露わに俺を睨んでいた。

 とにかく、白椛(しらかば)さんへ連絡するしかないと思った。


 受付脇にある公衆電話からかけると、白椛さんは数コールで出てくれた。

 男たちが近くに現れたことは説明すべきか迷う。結局、どもりながら化粧台が届いていることだけを伝えた。白椛さんはすぐに来ると言ってくれ、胸の奥で少しだけ安堵が広がる。

 こちらの様子を窺っていた職員たちには、知り合いの物で誤配送だからこれから取りに来てもらう……と、ややぎこちなく説明する。言葉に詰まりそうになりながらも、なるべく平静を装った。女職員は相変わらずぶつぶつと何か言っていたが、耳に入らないふりをする。

 俺は受付近くに立ったまま、白椛さんが来るのを待った。一人にはなりたくなかった。

 ……化粧台に映った女たちのことも、男二人のことも、俺は知っていた。

 見かけるたびに感じていた不快感の理由も、すべて思い出してしまった。


 約二十分経って、白椛さんは到着した。

 思わず白いSUVに駆け寄ると、後部座席にユイと呼ばれていた男子高校生が乗っていた。

 白椛さんは女職員へ愛想良く誤配送の謝罪をしながら、男子高校生と手早く車のトランクに化粧台を運ぶ。俺は立ち尽くしたまま、その様子を見ていた。

「化粧台はまた寺へ運ぶが、君はどうする?」

 問いかけられて、俺はゆっくりと助手席に乗り込んだ。


 俺の心臓は落ち着きを取り戻していたが、身体は落ち着いていても、思考がまとまらなかった。頭の中は、台風のような灰色の嵐が頭の中を吹き荒れている。

 白椛さんに、何をどこまで伝えるべきか。俺にとっての、安全に問題を解決する方法を考えていた。

「すまなかったな、まさかそちらに届くとは。……石巖寺へ確認したら、住職はあの後も予定が立て込んでいて、化粧台を見ていなかったそうだ。若い坊主たちはたしかに本堂の使われていない部屋へ運んだが、いつの間にか無くなっていたらしい」

 俺は一瞬、眉をひそめた。どうして消えた? ……いや、今は言わない方がいい。口を開くと焦りが漏れそうだ。

 外はすっかり暗く、車のライトに照らされている夜道は静かだ。

 前を見て運転しながら、白椛さんは分かっていることについて説明してくれた。

「これは推測だが、おそらくこの化粧台は自分の意志で移動しているんだ。化粧台に憑りついているもの、といったほうがいいかもな。選んだ者のところへ運ばれて、呪ったか、憑りついたか、はたまた……今日、受け取りに行ったときに、きっと君が気に入られてしまった」

 納得できる内容ではないが、理屈が通じるものではないのかもしれない。俺も、女たちにとってはそうだったんだろう。

 後部座席の男子高校生は時折運転席の様子を伺うように視線を彷徨わせている気配がしたが、口は閉じたままだった。

 俺が返事をしなくても、白椛さんは説明を続けた。

「まぁ、驚いただろうな。これから寺へ持っていくが、住職に直接受け取ってもらえるよう頼んである。またどこかに行かれちゃあ困るからな。今日中に供養してくれるだろう」

 口調は軽やかで、深刻な響きはどこにもない。白椛さんにとっては、たいしたことじゃないのだろうか。

 まだそれほど遅い時間ではないはずだが、すれ違う車はまばらだった。車通りが少ない道を通っているのか、辺りには人工的な光が少ない。

 心の中で小さなざわめきが続く。頭の片隅で、断片的な記憶がフラッシュのように蘇る。

 ――人通りもほとんどない夜道、俺とあいつらがフラフラと歩く…

 ――危機感も持たずのこのこついてくるような、頭の悪い女…

 ――血で汚れた裸で、命乞いをしている…

 俺は白椛さんへ問いかけた。

「……俺は、もう大丈夫なんでしょうか」

「ああ。化粧台のことならもう心配はいらない」

 断言されて、そっと息を吐いた。安心はまだできないが、とりあえず一つ目の問題は片付いたと思っても良いのだろう。

 幽霊なんて信じていなかったのに、まさか今になってこんな体験をするなんて。事故に遭ったことがきっかけで、霊感に目覚めたのだとしたら、とんだ不幸だ……いや、自業自得なのか。

 自業自得だったとしても、俺は自分を守りたい。死にたくはないし、このままバレずに生き延びたい。

 何か方法はあるはずだ。白椛さんに出会えたことだってそう、運は俺に味方している。

 BGMも何もない、静かな車内で俺は口を開いた。

「……幽霊から身を守る方法はあるんですか? 幽霊退治もするって言ってましたよね」

「必要であれば原因に対処する、と言ったんだ。でもそうだな、今回のように供養を依頼したり、結果的に自分たちで祓うこともあるな」

「退治のやり方を教えてもらえますか?」

「どうして?」

「……今日みたいなことがあったら怖いじゃないですか。自分で何とか出来るようになっておきたいし、そうすれば白椛さんたちにこうやって迷惑をかけることもないし」

「迷惑なんてことはないさ。俺たちはこれが仕事なんだ」

「俺にも、仕事を手伝えますか?」

「手伝う必要はない」

「はい? ……じゃあ何で今日、俺を連れてったんですか?」

 膝が小刻みに揺れる。

 いいからさっさと教えてくれよ。男二人を、俺の前から消したいんだよ。

 苛立ちが募っていく。

 大体俺を化粧台の前へ連れて行ったのだって、お前だろ。気に入られたとかそれらしいことを言ってるが、俺が見た鏡に映る女たちは、俺たちが殺した女たちだった。化粧台は関係ないんだよ。

 暴力的な衝動が体の中から湧き上がってくるようだった。

 俺は記憶喪失になる前はよく、この衝動を発散していた。

 白椛は涼しい横顔のまま口を開いたが、俺の問いに対する答えじゃなかった。

「勘違いをしているようだから教えてやろう。なんでも相談所はその名の通り、受けつけている相談は何も幽霊絡みだけじゃない。人探し、浮気調査、進路相談、庭の手入れ、もちろん内容によっては断る場合もあるが。……あとはそうだなぁ、事件捜査の手伝いを依頼されることなんかもある。猟奇的な殺人事件とかな」

 胸の内を探られているような、ヒヤリとした感覚がした。

 思わず横目で白椛を見たが、飄々とした表情を崩さず運転を続けていた。

「異浦何でも相談所は、東京にもあるんだ。そっちには警察関係者に知り合いがいてな……最近、とある連続殺人事件捜査の手伝いを頼まれたんだ」

 警察、殺人事件……。

「都内の川から若い女性の凄惨な遺体がいくつも発見された。この痛ましい事件は、約一か月前に犯人と思われる男二人の遺体が見つかり、警察は現場の様子から仲間割れのち殺し合いが行われたと判断し、被疑者死亡で一旦解決した」

「と、思われた」 そう区切られたとき、赤信号で車が止まった。

 白椛が俺のほうを向いた気配がしたが、俺は前を向き、目を合わせなかった。

 青信号になるまでの僅かな時間の沈黙が、肌に刺さる。心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。

 車が発進して、変わり映えのしない暗い景色を等間隔に現れる街灯の明かりだけが照らしている。

「犯人がどこの誰で、なぜ仲間割れをしたのか。警察は調べていくうちに、現場が偽装工作されていることに気付いたんだ。つまり殺されていた二人以外にも、共犯者がいたはずだってな」

 手の平が、じっとりと汗ばんでいる。

「共犯者は大方遺体が見つかって、犯人たちの手がかりが残ってしまっていたことにでも気付いたんだろう。捕まるのも時間の問題、だったらいっそ仲間を差し出して自分だけ逃げればいいと考えた。仲間割れして相打ちしたように見せかければ、上手くいけば自分だけは逃げおおせて、遠い地で心機一転。そうだな、東北の都会すぎない街なんかいいかもしれない。偽装工作がバレたとしても、逃げるための時間稼ぎにはなる。……だが、途中で事故に遭い、記憶喪失になることは想定外だったか」

 心臓の音は車内に響いてるんじゃないか。そう思えるほどに、バクバクと荒く波打っていた。

 ――俺が誰なのか、気づいてる。

 じりじりする頭の中で、どうするか考える。

 こいつらを殺して逃げるか。

 パンツの腰ポケットには、借りたままのカッターがある。隣に座るこいつをやってから、後部座席に座る男子高校生か。

 しかし殺した後どうする。死体を隠す場所の見当もつかない。まだこの街の地図は頭に入ってない。

 俺の焦燥に気づく様子もなく、白椛は続ける。

「轢き逃げに遭ったときに、荷物は盗られてしまったんだろうな。この辺はほとんど防犯カメラもない。事故は起きても、事件が起きることは稀だからな。治安が良いと言うか、田舎だからなぁなぁに済まされてしまうことも多い。轢き逃げが故意だったのか、たまたま起きてしまったのかは分からないが、幸か不幸かここで足止めをくらうことになった」

 顎を伝う汗がポタリと落ちて、ふとおかしなことに気付く。

 この車はどこへ行こうとしているんだ? とっくに寺に着いていてもおかしくないだろ。どこを走り続けてるんだ。

 視線だけを動かして外の景色を確認すれば、対向車線にも前にも車はいない。県道沿いなのか、市街地からは外れている。田畑が続いてるように見える。

『殺そうぜ』

 耳元で、声が聞こえた。

『やれるだろ、今までもやってきたじゃねぇか』

 そうだ、いつだって、あいつらと女を乱暴して、殺して、川に捨てた。

 今までだってやれたんだから、これからだってやれるだろ。

『俺はまた女がいいなぁ、若い女がいい』

『気が済むまで遊んで、殺したらまた捕まえてくればいいじゃねぇか。気を付ければ、バレないんだろ?』

 そうだ、俺はバレるようなマネはしない。あいつらが死んだのは、ヘマしたせいだ。証拠を残して、俺に迷惑をかけたんだから、殺されたって仕方ないだろ。あいつら自身のせいだ。

 俺一人なら、上手くやれる。

「見えるようになったのは、恨みを買いすぎたせいかもしれないな。この場合、恨みというか呪いかもしれないが。念というのは時に強く、あちら側から干渉してくるんだ。化粧台も、憑りついてた女ではなく、殺された女たちの無念と憎悪の念が鏡を通して反応したのかもしれない」

 静かに手の平の汗をぬぐった。

 話し続ける白椛に気付かれないよう、そっと手を伸ばし、ポケットの中のプラスチックの感触を握る。カッターの存在を確かめた。

 さっき防犯カメラはないと言っていた。他に車の影もない。

 タイヤの路面音だけが響く沈黙の中、俺はポケットの中で慎重にカッターの刃を出す。ゆっくりと、ほんの少しずつ。

 首を狙って、そのあとは素早くハンドルを奪えばいい。

 車を止めて、次は後部座席だ。

 シートベルトを外すと同時に、やるぞ。

 俺は息を呑みこんで、素早く取り出したカッターの刃を――白椛の首元めがけて突き立てた。


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