1-2. 記憶の無い男
車が止まったのは、二階建ての建物の前だった。
大型のショッピングモールにほど近い市街地の中、その建物は深緑色の屋根に同色の背の高いドア、モノトーンの外壁には駐車場側から見て窓がないため、中の様子は見えない。小さなレストランや美容院のような洒落た外観だった。
近づくと、ドア横に小さな表札が見える。
「I、U、RA……イウラ?」
「ああ、ここだ」
シラカバさんが躊躇なくドアを開けると、ドアベルの高い音が鳴った。
後に続いて入っていくと、会話や挨拶が聞こえてくる。何人か人がいるようだ。中は喫茶店のような造りで、テーブルや椅子が並び、奥にはカウンターのようなテーブルが見えた。うるさくない程度のジャズのBGMが流れ、コーヒー豆の匂いがする。ここは何かの店なんだろうか。
シラカバさんの後について店内を見回していると、ドア近くでノートパソコンの前に座っていた若い女性が俺たちに気付いて駆け寄って来た。
「シロさん、今日ちょっと遅かったですね。…そちらの方は?」
「ああ、ちょっとな。すまんが彼にコーヒーを一つ。ミルクや砂糖はいるかい?」
「えっ、あ、いえ、いらないです」
シロさんと呼ばれたシラカバさんは若い女性に自分の飲み物も頼むと、いくつか並んだテーブルのうちの一つに腰かけ、俺にも座るよう促した。
若い女性はすぐに飲み物を持ってきた。「どうぞ」とコースターの上にカップを置くと、彼女はお盆を片づけてそのまま座っていたテーブルへ戻っていった。彼女と入れ替わるように、シラカバさんは「すまんがそれを飲んでちょっと待っててくれ」と言い残し、スマホ片手にカウンター奥の扉の向こうに消えて行った。
知り合いのいない中に一人残されて、急激に居心地の悪さを感じる。仕事の内容もまだ聞いていないし、何も考えずに着いて来てしまったのは良くなかっただろうか。
視線だけ動かしてゆっくりと店内を見渡していると、何人かいる人たちはノートパソコンを前に仕事をしているような雰囲気だった。店の客なんだろうか。俺を気にする様子はないが、一人だけ若い男が俺と目が合った途端、あからさまに逸らされた。
感じが悪いなと思ったが、テーブルに広げているのは教科書やノートのようだから学生――座っていても背は高そうに見えるが、顔にはまだ少しだけ幼さが残る。高校生くらいだろうか。
コーヒーを飲み終わる頃、時間にして十五分程度でシラカバさんは扉から戻って来た。
俺のところに来る前に、他のテーブルに寄って何やら話をしていた。
相手の女と男が立ち上がり、荷物を持ってドアから出て行った。後ろに髪をまとめた女(横顔しか見えなかったが美人だった)と、プロレスラーのようにガタイのいい男だった。「いってらっしゃい」「お疲れ様です」などと店内にいる人間と声をかけあっていたから、彼らは客ではなく知り合いなのかもしれない。
「待たせて悪いな、紹介するよ。ユイ、ワカコ!」
シラカバさんは俺のいるテーブルへ戻ってくるなり、人を呼んだ。
ユイと呼ばれたのは、さっき俺と目が合ったのに逸らした男子高校生だった。「げっ」とでも言いたげに眉をしかめ、渋々近づいてくる。視線は俺に向けられたり、目が合うと逸らされたりと落ち着きがなく、近づくほどに口元が固く結ばれていく。何なんだよ、さっきから……。
ワカコと呼ばれたのは、感じの良い笑みを浮かべた小太りの女性だった。明るい色のブラウスを着て、身綺麗にしている。パッと見は若い印象だが、コーヒーを運んできた若い女性と比べると、三十歳を過ぎたくらいだろうか。
「二人は俺の仕事仲間なんだ。これから向かう現場に一緒に行く」
男子高校生が「えっ」と声を上げた。
「今日はシフトに入っているわけじゃなくて…」
小声で言い訳をするように呟くが、シラカバさんに「じゃあ何で今日来てるんだ?」と返され、口を噤んだ。言い返したいのに、ぐっと飲み込んだように見える。
「よろしくお願いしますね」
「あ、よろしくお願いします」
ワカコと呼ばれた女性が俺に声をかけてきたから、同じように返す。男子高校生のほうを見たが、俺と目を合わせようとはせず、距離を取ろうとしているのが伝わってくる。……感じの悪い奴だ。
「よし、じゃあ行くか」
シラカバさんが手を合わせると、パンと小気味良い音が鳴った。促されて、俺たち四人は店を出てまた白いSUVに乗り込んだ。
運転席にシラカバさん、助手席に俺、後部座席にワカコさんと男子高校生が乗り込んだ。
白いSUVは市街を通って、変わり映えしない風景を過ぎていく。石森市は東北地方の最大都市である仙台市から車で一時間かかる位置にある。地方都市で、午後の中途半端な時間は特に車も人もあまり多くはない。
車内ではワカコさんと男子高校生が時折何やら世間話をしているようだったが、俺に話が振られることは無かった。
促されるままに車に乗ってしまったが、今頃になって居心地の悪さより不安を覚え始めていた。見えないものが見える、という共通点につられて、深く考えずに着いて来てしまった。シラカバさんが俺を連れてきた目的は一体何なんだ。
「この車はどこへ向かってるんですか?」
堪らず質問すると、シラカバさんは運転しながら「ああ、そういえば言ってなかったな」と独り言のような呑気な言葉を漏らした。
「これから依頼人のところへ行くんだ」
「依頼人、ですか?」
俺とシラカバさんの会話が聞こえていたのか、「シロさん何も説明してないの?」と後ろからワカコさんの声がした。それに対しシラカバさんは薄く笑っただけだった。
「さっき寄ったのは『イウラなんでも相談所』の事務所だ。なんでも相談所、その名の通り何かしら困りごとの相談や依頼を受けている」
赤信号でちょうど車が止まり、シラカバさんは車内のサンバイザーポケットから名刺を取り出すと俺に渡してきた。
『 異浦なんでも相談所 調査員 白椛祐介 』
メールアドレスと電話番号も書かれていた。苗字を見て、「シロさん」という呼び名に合点がいく。
さきほど寄った建物のドア横に『IURA』と書いてある小さな表札があったことを思い出す。『IURA』は『異浦』だったのか。
受け取った名刺はシャツの胸ポケットにしまった。
「相談って、もしかして幽霊を退治するんですか?」
白椛さんは「はは、幽霊退治か。そう断言できれば楽なんだがな」と笑った。半信半疑で口にしたが、どうやら完全に的外れではないらしい。
「俺たちは霊媒師や祓い屋としてやっているわけじゃないが、相談を受けて、その内容を調査し、必要であれば原因に対処する」
具体的な話が出てこなくてイメージが湧かなかったが、見える力――霊感を利用した業務であることはやはり間違いなさそうだ。
霊感商法、と聞くとどうも胡散臭さを感じてしまうが、俺自身にも二人の男が見えていることは事実だ。あの男たちが見える前までならきっと嘘だと決めつけていたかもしれない。いや……そう考えるということは、俺は記憶を失くす前は幽霊は見えなかったのだろうか。
ルームミラーで後部座席を見る。ワカコさんと男子高校生も、幽霊が見えるのか。
俺の視線に気づいたらしい白椛さんは、わざとらしく肩をすくめて笑った。
「ワカコは見えないが、ユイは見える。こいつは令和の陰陽師だからな」
「ちょ、やめてくださいって!」
男子高校生が慌てて否定する。だが声は少し上ずっていて、照れているのか苛立っているのか分からない。
「俺はただの高校生ですよ。……昔から、こういうのに巻き込まれることが多かっただけで」
語尾が小さくなり、視線が窓の外に逃げる。言葉を探すように口が開いては閉じる。
白椛さんとワカコさんはからかうように笑っているが、男子高校生自身は反論しきれないようだった。不満そうに唇を尖らせながらも、完全には否定できない様子が妙に子供っぽい。
男子高校生は相変わらず俺とは目を合わせようとせず、窓の外を向いた。
もう少し具体的な内容を聞きたくて、俺は話を戻した。
「今から幽霊の相談をしてきた依頼人のところに行くんですよね。俺は何をすればいいんですか?」
「……今日はとりあえず一緒に来てくれればいい」
白椛さんは軽くハンドルを切って車を進める。
俺は窓の外を眺めながら、ふと自問した。
――本当に、着いてきて良かったんだろうか。




