4話
「ベレニケ」
優しい声。ああ、やっぱり兄様の声は素敵だわ。低くて、よく通る、少しだけ艶やかな声……。
「ベレニケ、起きて!」
「目を覚まさないのなら、キスしましょうか」
「ちょっと先生、ずるい!」
「ベレニケに……触るな……」
テーセウス兄様の声に続いて聞こえた4つの声に、わたしはぱっと飛び起きた。一瞬クリスト先生がち、と舌打ちしたの、ばっちり見たわよ。それにさりげなくライサンダーがわたしの太ももを触ってる。ワンコ系のくせに、さりげなくセクハラよ。
「ベレニケ、大丈夫か」
傍らにいた兄様に優しく問われて、わたしは微笑んだ。うん、と返すと兄様も安心したように笑ってくれた。その光景に、レノやライサンダーが抗議の声をあげた。クリスト先生やソロンも不満げな表情をしている。む、やはりおかしいわ。さっきの台詞もおかしいと思ったけど、やっぱりこれって。
「ちょっと。全然自由になってないじゃない!」
『やだなあ、ちゃんと直したよ?』
神様が不満そうに声を発した。見せてあげて、とその声に促されて、攻略対象たちは右手を動かす。ピロリン、とSEが鳴って、見覚えのある映像が出現した。
だけど、それはこれまでの映像とは違っていた。そこに彼らの名前があるのは一緒。しかし、先ほどまでそこにあった5つのハートマークは跡形もなく消え去っていた。
「や、やった!!ありがとう神様!!」
『どういたしまして』
神様へのお礼もそこそこに、わたしはすぐ横にいた兄様の手をぎゅっと握って、兄様の目を見つめた。
「兄様。テーセウス兄様。これで自由よ」
「ベレニケ……」
待ちに待った瞬間だった。わたしはついにやってきたその瞬間、世界で一番大好きな人に自分の思いを告げた。
「テーセウス兄様。わたし、ずっとあなたが好きだったの。わたしと、付き合ってください」
ぎゅ、とその大きな手を握り締めて。目をつぶって兄様の言葉を待つわたしに、次の瞬間、とんでもない台詞が襲ってきた。
「俺、攻略対象じゃないんだよ……本当に、ごめんな」
「……………………………………は?」
ようやく絞り出すことができた言葉は、それだった。
今兄様が言った言葉の意味が、本気で理解できない。え、なに?わたし今異世界にいるの?なんなの?は?
混乱を通り越して頭痛を覚え始めたわたしに理解させるように、兄様はわたしの手をほどくと、自分の右手をゆっくり動かした。現れる映像。テーセウス兄様の名前と、灰色に染まった5つのハートマーク……え?
「え、なんで!?」
攻略対象どものハートマークはなくなったのに!
「どういうことよ神様!!!」
わたしが上に向かって怒鳴ると、飄々とした声が空中に響く。
『だから、どうなるかわかんないけどやってみる、って言ったでしょ。そもそも攻略対象じゃないテーセウスに、修正は効かなかったみたいなんだよね」
「なにそれ!?」
『攻略対象の4人は自由にしてあげたんだから、いいじゃない。ちゃんとお願いは聞いてあげたでしょ?』
「兄様が変わってなかったらなんの意味もないわよ!!!」
『だったら最初からテーセウスを攻略対象にしてって言えばいいのに~』
「じゃあ今から言うわよ!」
『残念。お願いはもう無効。それにそろそろ時間だから帰らないと。終電なくなっちゃう。じゃあね』
「ちょっと!終電ってなによ!神様!!!出てきなさいよ!!!」
それからいくら叫んでも神様は帰ってこなかった。残されたのはわたしと、灰色ハートマーク5つのテーセウス兄様。それに4人の(元)攻略対象たち。
なにやら嫌な予感がして、わたしはいつのまにやらすぐそばに寄ってきていた4人におそるおそる尋ねた。
「……ねえ、確認だけど、あなたたち、(元)攻略対象でいいのよね……?」
「まあ、肩書で言えばそうでしょうね」
「自由に……なったから……」
先生とソロンが肯定する。でもそのわりに二人の手がわたしの手を握り締めてるんですけど?
「でも、自由になってもやっぱり、俺はベレニケが好きだよ」
「うん、ボク、先輩のこと前よりもっと好きになっちゃった!」
レノとライサンダーがにっこり笑う。
わたしは、どうやら最悪の状況に陥ったらしいということに、ようやく今気づいた。
「いいいいやよ!わたしはテーセウス兄様のことが好きなんだもの!」
「でも恋愛は自由にするものでしょ?」
「そういう意味じゃないわよ!っていうかなんで兄様だけ自由にならないのよ!」
「ごめんな」
「謝らないで兄様!」
「もう潔く観念して、私のものになったらどうです?」
「あきらめないわよ!みんなこそあきらめなさいよ!」
「いや……」
「きっぱり言わないで!」
「先輩、自由な恋愛って、いいね!」
「よくない!!!」
***
「ベレニケ」
なんとか地獄から抜け出して家に帰ってきて。自室まで送ってくれた兄様が、ふと立ち止まって言う。
「なに?わたしと付き合う気になった?」
ヤケになってそう聞くと、テーセウス兄様は「いや」ときっぱり拒否。ああもう泣きたい。
「もういいわよ。なに、兄様?明日の朝ごはん当番なら変わらないわよ」
わたしの言葉に、兄様は小さく笑って。身を少しかがめると、わたしの耳元で、低く、小さく、囁いた。
「乙女ゲームには、続編っていうものがあるのを忘れるなよ?」
テーセウス兄様の攻略対象昇格をお願いする感想メールをメーカーに送り続ける日々が、どうやら始まりそうだった。了
お付き合いいただきありがとうございました。
お待たせした挙句、勢いで書きすぎました。