22話目
これにて完結です。長い間ありがとうございました。
それから平安京では大きな天災が起き、追い打ちをかけるように疫病が流行る。人々は祟りを恐れ大きな社を建てたが、まるでそれをも恨むように社に雷が落ち、そのまま焼け落ちる事態まで起こった。これによって藤原四家の内、三家が衰退した。燈江の叔父は藤原式家と強いつながりがあったが、衰退の一途をたどりそのまま没落していった。
平安の貴族の間でささやかれる噂では、北に位置する羅城門に鬼が出ると言うことだ。それは口が裂けていた、だの目がぎらぎら光っていただの、見る者によって話は異なった。だが共通するものが唯一あった。
「えも言えぬ腐臭と死なぬ死なぬと繰り返す掠れ声がした」と言うことだ。
燐姫は山奥の屋敷にある大きな泉を覗き込んで微笑んでいた。澄んだ水の中には平安京がはっきりと映る。時折指を浸して水の波紋で揺らぐ平安京に無邪気な笑い声を発てた。
「燐姫様」
振り返ると婆が朱塗りの縁側に立ち手招いている。黄菊の着物を着、長い白髪は後ろで綺麗に束ねている。だがその背はもう、折りたたんだように曲がってはいない。婆はこの山に流れる甘露の水を飲み、少しずつではあるが容姿を若返えらせている。
燐姫はその場を離れると、婆の立つ縁側に座る。
「婆様、都はほんに大変そう。黒房様はあんなに大きな闇になられて、さぞ苦しかろうに」
燐の静かな声に婆は頬をほころばせて頷く。
ここは夜叉たちの生きる場所よりもはるかに現世が近い。鼻のきく夜叉と言えど人間のにおいに混じる燐や、怨霊と化した婆や燐の父にまず気付きはしない。ここは三人の静かな世界だ。
長い縁側の廊下がたゆんで軋む。
光を反射させる金色の長い髪を床まで引き摺って、燐の父蘇芳が姿を現す。銀の羽織には燻銀の菊模様が艶やかに刺繍され、大きな身体の蘇芳をより凛と気高く見せる。浩々と光る朱眼は燐と同じものだ。
二人を見つけ微笑む口元からは、似つかわしくないほどの鋭い牙が覗く。
「ここにおったか、燐や」
「父様、燐は泉より平安の都を覗いておりました。黒房様の影は都の憎悪を一点に集めたようにございまする」
ふうと燐は息をつき、空虚を見上げた。
蘇芳は婆の横に立ち、空を見上げるあどけない燐姫に問う。
「燐姫や、辛いか」
燐姫は目をしばたたいて蘇芳を振り返る。こちらを真っ直ぐに見詰める赤い四つの瞳に燐は微笑みかける。
「何をおっしゃいますやら。お二人とも心配し過ぎにございます。むしろわたくしはとても嬉しいのです」
燐はまた前を向くと、膨らみかけた自分の腹にそっと両手を重ねた。
「父様と婆様、そしてこのやや子と暮らせるのですから。憎悪の中で芽吹いた命。このやや子は立派な鬼になりましょう」
燐姫は高い声を押し殺したように肩を震わせ笑う。
風が吹き、屋敷を囲う竹林が波打つ。緑と土の湿った香りが鼻を掠め、けたたましくなく鳥たちの声が聞こえる。
燐はその音に耳を澄まし、冷えた甘い空気を吸い込む。
燐の長く漆黒の濡れたような髪の毛がそのふくよかな頬を撫でる。伏した目にはたっぷりと睫毛がそろっている。白い肌に陶器のようになめらかな指の腹で自分の下腹部をゆっくりとなぞる燐姫は妖艶な不気味さと美しさがある。
「燐姫様はどんどんお美しくなられる。貴女様から立ち上る雰囲気は夜叉の子であるに相応しい」
婆は涙を浮かべ、その小さな背を後ろから抱きしめた。
「静かに、暮らしましょうぞ、婆様。燐は寂しくなどございませぬ。愛しい黒房様はどんどんこの腹に芽吹いております」
まだ沢山の皺が刻まれた骨ばった婆の両手を摩りながら、燐は艶めかしい微笑みを浮かべ目を閉じる。
「ああ、ほんに燐は幸せ者にございます」
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
長編のため大変読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んで下さった方に心から感謝申し上げたいと思います。
この話はパラレルワールドの平安京を舞台としております。
実際にこのような生活を貴族が送っていたかどうかは定かではありませんが、実際に出てくる建築物や色については沢山の資料を参考にして書いておりました。時には大学時代の教授に相談しにも行きました。
また、後半最後に藤原家などが時折出てきますが、藤原四家の没落は平安京に遷都する前の人物たちであり、ここでも悩んだのですが、一つのパラレルワールドと言うことで出させていただきました。
わたしにとって大変想い入れが深い作品となりました。
もともとは大学1年の時に書いた作品ですが、今回書きなおしてみるにあたって、かなり書き直しを入れました。もっと短い作品だったのですが、描写を増やして情景を思い浮かべやすく、人の心を分かりやすく…などと考えていましたら、こんなにも長くなってしまい(笑)
黒房や燈江は元はここまで酷い目には合わないのですが、夜叉の子である燐姫の憎しみとそれにも増す人の心の闇を徹底的に現そうとしたら、このように閲覧注意なほどのものになってしまいました。
わたしとしては、平安の女の怖さ、執着、嫉妬、憎悪、これらをひっくるめたしっぺ返しはこれくらい必要かなぁと思ったんです。
グロ描写や鬱描写に抵抗がある方にとっては少し厳しい作品になってしまったかもしれません。ですが、その場面で読んでいて思わず顔をしかめてしまう読者様がいれば、わたしとしては大成功の作品です。
その場面を浮かべやすいように、作品に入って行きやすいように注意しながら書いたので…
一番、書いていて楽しい場面は燈江が侍女を苛め倒すシーンです。思わずにやけ顔で書いてました。きっとわたしの中にも燈江のような女の心があるのだと思います。
平安を舞台にした物語はどうしても長編が多くなりますが、また書いてみたいなと思っております。その時はどうぞまた、この平安と言う黒い世界に巻かれてみてください。
本当に長い間のお付き合い、ありがとうございました。
これからの参考にしていきたいので、よろしければ読み終えた感想など、頂けると幸いです。




