第9話
「奈々、ちょっと付き合ってくれないか」
昼休み、お弁当を手に立ち上がりかけた奈々に声をかけると、奈々はきょとんとした顔で僕を見た。
「いいけど……どこ行くの?」
「いいから、ちょっと来てくれ」
手招きした後、僕は奈々と一緒に廊下に出る。廊下の先に目当ての人物を見つけて、僕は指を立てて静かにするように奈々に伝えた。それから廊下の先にいる人物に視線を送る。
「あれって……流星だよね?」
「そうだ」
奈々の小声の質問に答えながら、ゆっくりと後を追う。松本は鞄を肩にかけて、どこかへと向かっているようだ。付かず離れずの距離を意識してついて行くと、松本は体育倉庫へと入っていった。
奈々とともに物陰に隠れて待っていると、十分ほどで松本が体育倉庫から出てくる。肩にカバンをかけたまま、松本はまた移動を始めた。追いかけていくと、松本は校門を出て、学校の敷地外へと出ていく。
続けて後を追いかけようとすると、奈々に腕を引かれた。振り返ると、目を丸くした奈々と目が合う。
「え、どこ行くつもり? 学校の外?」
「ああ」
簡潔に答えると、奈々は目を瞬かせた後に、にやりとイタズラっぽく笑った。
「えー! 悠斗、午後の授業サボるつもり?」
「いや? そこまで長居するつもりはないぞ。多分すぐ終わるからな」
奈々はガッカリした様子で肩を落とす。
「なーんだ、悠斗とサボれるかと思ったのにっ」
気を取り直して、二人並んで松本の後を追う。松本は不忍池横の道を歩いた後、花園稲荷神社へと向かった。そのまま階段を上がって、上野公園へと入っていく。
少し遅れて階段を上がると、低木を突っ切って草むらへと向かう松本の姿が遠くに見えた。同じように低木を突っ切る。奈々の方を振り向くと、むっとした顔で僕を睨んでいた。
「えー……ここ通るの? 枝が脚に刺さりそう……」
「跨げばいいだろ」
「そしたらパンツ見えちゃうじゃん!」
ん、と奈々が僕に向かって両手を伸ばす。
「……なんだ?」
「抱えて!」
「……」
近寄ると、奈々の手が僕の首に回される。なるべく意識しないように、奈々の腰を抱えて持ち上げる。体が密着して、柔らかさと温かさが伝わるのを、素数を数えることでやり過ごした。
「ありがと♡」
「……おう」
奈々の体から手を離して、周囲を見渡す。少し先の茂みにしゃがみこむ松本の姿があった。松本はカバンを開け、中に手を突っ込む。それから何かを取り出した。
「あ! 牛乳!」
奈々が指差す。松本の手に握られているのは白と青のパッケージが特徴的な、飲みきりサイズの牛乳パックだった。
ゆっくりと松本に近づく。背後に立って、僕は口を開いた。
「牛乳を与えるのは、あんまり良くないらしいぞ」
松本が驚いた様子で振り返る。僕の顔を見ると、松本は怪訝な顔をした。
「……あ?」
「乳糖不耐症って言って、牛乳に含まれる乳糖を消化できずにお腹をくだすことがあるんだ」
「にゃあ」
僕の言葉に返事するように、小さな鳴き声が響く。奈々は松本の手元を覗き込んで、目を見開いた。
「あ! 猫だ!」
バツが悪そうに頬をかく松本を見下ろす。松本は僕を見上げて、肩をすくめた。
「なんで分かった?」
「牛乳をこっそり買わなきゃいけない理由が何か、考えてみたんだ」
松本の膝の上の猫はまだ子猫のようだ。生後半年くらいだろうか。まん丸の瞳で僕らを見つめている。松本が頭を撫でると、にゃあ、とまた鳴いた。
「まあ、何かしら隠したいことがあるんだろうなと思ったんだよ。こっそり身長を伸ばしたくて飲んでるとか、あるいは、他のやつにあげるとか」
「内緒の事情があるってことだよね」
僕の横で話を聞く奈々が、ふんふんと頷く。
「そして数日前から、アレルギー体質の芹沢さんにアレルギー症状が出ている。誰かしら身近な人にアレルゲンがあるんじゃないかと思ったんだよ。例えば、彼氏の制服に猫の毛がついてる、とか」
奈々は、「あ」と小さく呟いた。
「確かに、松本くんが横を通った時に、カホちがくしゃみしてたよね」
「そうだ。多分芹沢は猫アレルギーなんだろう。消えた牛乳と、最近頻発する芹沢のアレルギー。この二つを合わせれば、芹沢の彼氏の松本が、隠れて猫に牛乳をやってるんじゃないかと推測できる」
僕は子猫を指さす。子猫は僕の指を見て首を傾げた。
「なるほど〜!」
奈々は納得した様子でぽんと手を打った。目をキラキラさせて、奈々は松本の前にしゃがみ込む。
「猫ちゃん可愛い〜! 野良ちゃんなのかな?」
猫は松本と奈々の顔を見比べて、にゃあと鳴いた。
「この子、流星が飼うの?」
奈々の言葉に、松本は苦々しい顔をする。
「……いや、ウチはちょっと……母ちゃん、動物飼うの嫌がってるし」
「でも、ずっとこのままってわけにはいかないだろ」
僕が口を挟むと、松本はうんざりした様子でため息を吐く。
「分かってるけどよ……」
「不用意に人に懐かせているけど、世の中良い人間ばかりじゃないんだ。人懐こい猫を狙って、良くないことをしようとする輩もいる。飼うなり里親を探すなり、責任を取るべきだ」
はっきり伝えると、松本は僕を睨んだ。同級生とはいえ僕より体格が良いヤンキーに睨まれると怖いのだが、こればかりは引けない。僕も負けじと睨み返す。
「はいはい! 喧嘩しない!」
無言で睨み合う僕らの間に、奈々が挟まるように滑り込んだ。奈々は松本の膝でくつろぐ猫を見て目を細める。
「アタシ的には、その子、流星に飼ってほしいなぁ。すっごく懐いてるもん。ねー?」
「にゃあ」
答えるように猫がピンとしっぽを立てる。若い猫特有の艶のある毛が、木漏れ日を浴びて光った。
「……分かったよ、聞くだけ聞いてみるよ」
松本は大きなため息を吐いた後、猫を抱えて立ち上がる。そのまま学校とは反対方向に向かって歩いていった。
「サボりだね」
「だな」
遠くなる松本の背中を見つめていると、奈々が顔を覗き込んでくる。その顔はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「アタシたちも、サボっちゃう?」
「却下だ。つまらないことで教師に目を付けられたらめんどくさい」
「ちぇっ」
僕はくるりと背を向けて、学校に向けて歩き出す。奈々はくすくすと笑いながら、僕の後ろをついてきた。




