第8話
「おはよー、カホち!」
「うん、おはよ」
声をかけてきたのは奈々の友人のギャル軍団の一人、芹沢カホだった。脱色した髪を軽くウェーブさせている姿は、少しアメリカン・コッカースパニエルという犬種に似ていると、僕の中で密かに話題だ。
「で、奈々はなんで朝からそんなに不機嫌なの?」
カホの言葉に、奈々はハッとした様子で頬を膨らませる。
「そうそう! 聞いてよカホち! 不思議な事件があったから、その話を悠斗にしてあげたのに。悠斗ったら全っ然真剣に話を聞いてくれないの!」
「不思議な事件って?」
カホが聞いた瞬間、奈々の目がきらりと輝いた。余計なスイッチを押したことに気づいたのか、カホの顔が引き攣る。
「よくぞ聞いてくれました! あのねあのね……」
そこからかくかくしかじか、と奈々が説明し始める。特に目新しい情報もないので、僕は欠伸をしながら外を眺めて、奈々の説明が終わるのを待つ。
「……ってことなんだけど、これってやっぱり、サイコパスの仕業だと思わない!?」
「あーね……」
奈々の説明を聴き終わったカホは苦笑しながら、軽く首を傾げる。
「でもま、確かに不思議な話だよね」
「でしょ! それに、久住屋先輩のたまり場の話なら、カホちの彼氏も関係あるんじゃない?」
カホはあー、と小さく呟いた後、照れくさそうに頬をかく。
「流星? 確かにそうかも。アイツ、久住屋先輩とは中学の頃から知り合いとか言ってたし。昼もいつも体育倉庫行ってるしね」
「でしょでしょ! 何か新情報とか持ってないかな?」
「どうだろうねー。アイツあんま人のこと、興味ないからなぁ」
と、奈々とカホが話していると、ガラリと教室の扉が開く。顔を覗かせたのは同じクラスの松本流星だ。制服のネクタイを結ばず、シャツの第二ボタンまでガッツリ外している。不機嫌そうな顔には、どこか昭和のイケメン俳優のような雰囲気が漂っている。
松本は真っ直ぐこちらに近づいてくると、立ち話していた奈々とカホに目を向ける。
「はよ」
「流星、おはよー」
「おっはよー!」
簡単に挨拶が交わされた後、松本は僕の二つ後ろの自分の席に行こうと足を踏み出す。
「あ、流星! 待って待って」
奈々が声をかけると、松本は怪訝そうな顔で足を止めた。
「……どした、浦野」
「あのさ、佐藤くんから聞いたんだけど、久住屋先輩のたまり場で、面白い事件が起こってるんでしょ?」
すぐになんのことか思い至ったようで、松本はめんどくさそうに頭を搔く。
「あー……。べつに、そんな面白い話じゃないと思うけどな」
「そんなことないでしょ! 消えた牛乳の謎だよ!? アタシもう気になって気になって!」
「んー……」
松本はいかにもこの話題を終わらせたそうに唸っているが、そんなものはサイコパスの可能性に目を輝かせた奈々には通用しない。奈々は松本に詰め寄る。
「流星から見て、どう? 怪しい人とか不審な行動とか、何か気になることはなかった?」
「わからん。俺、あんま細かいこと気にしねぇし」
「ほら、コイツマジで興味ないことにはとことん興味ないんだよね」
カホが横から助け舟を出す。松本はカホを見てホッとした顔をした。そういえばこの二人、付き合ってるんだっけか。
僕は二人の顔を交互に眺める。キャピキャピした高校生カップルというよりは、熟年夫婦みたいな落ち着きようだ。二人ともギャルやヤンキー軍団の中では目立つほうではないので、そこに惹かれあうところがあったのかもしれない。まあ、僕の知るところではないが。
「とにかく、俺はなんもしらん」
松本は力強く言い切って歩きはじめる。松本がカホを避けるように歩いた瞬間、カホが口元を手で抑えた。
「……へっくち!」
「あれ、カホち風邪?」
奈々が心配そうにカホの顔を覗き込む。カホはふるふると首を横に振ると、カバンからポケットティッシュを取り出して鼻をかんだ。
「ううん、アレルギーだと思う。アタシ、かなりのアレルギー体質だからさ。数日前からひどくって。花粉かな?」
「あー、今イネ科とかやばいらしいよね」
奈々が同情した顔でカホの肩を叩く。その顔には花粉症の者同士特有の謎の労りが生まれていた。
僕は生まれてこの方花粉症になったことがないので分からないのだが、花粉症ってやつは謎の連帯感が生まれるくらいにはしんどいらしい。
「おーい、席に着け〜」
チャイムとともに、担任教師が教室に入ってくる。グレーの細身のスーツに身を包んだ若い女教師は、まだ騒つく教室内に向かって手を叩く。気さくで良い先生なのだが、僕ら生徒を扱う時に、たまに犬でも扱うような雑さがあるのが気になるところだ。
席に向かう奈々の背中を見ながら、僕は顎に手をやり考える。まだ推測に過ぎないが、何となく事情は理解できてきた気がする。奈々がこの件に首を突っ込んでいくのも厄介だし、早めに決着をつけた方が良いだろう。




