第7話
「牛乳好きのサイコパスがいるかもしれない!」
開口一番全く意味の分からないことを言う奈々に、僕は閉口する。
朝のホームルーム十分前。いつも通りギリギリの時間に登校してきた奈々は、クラスメイトたちに挨拶をしながら僕の机に駆け寄ってきた。そして口にしたのが、これだ。
僕はため息を吐き、鷹揚に天井を見上げる。
「おっ、いいな。今度はどんなサイコパスだ? スーパーの牛乳ばかり盗むサイコパスか? 乳牛から乳をそのまま飲むサイコパスか?」
「ふざけてないで真面目に聞いてよ!」
奈々はぶんぶんと拳を振って、頬を膨らませる。そんなことを言われても、朝から牛乳好きのサイコパスなんて意味の分からない言葉を聞かされたら、誰だって会話を放棄したくなる。
とはいえ、あまりいじめると後が怖い。話を真剣に聞いてくれない人は嫌だ、なんてそっぽを向かれたりしたら立ち直れない。僕は天井から視線を下ろし、奈々を見つめた。
「分かった分かった。真面目に聞くから、順を追って話してくれないか」
奈々は勢いよく頷いてから、「あのね」と話し始める。
「うちのクラスに佐藤くんっているじゃん」
「……えーっと」
「ほら、ツンツン頭で、眼鏡かけてる子」
奈々の説明でやっと顔が思い浮かぶ。ちょっと気弱で根暗っぽいやつだ。入学式の時にやたら馴れ馴れしく話しかけてきた記憶がある。
どう見ても僕と同じ陰キャ側の人間だったが、高校デビューがしたかったのか、やたらチャラぶった言動をしていた。その様子が痛々しくて塩対応をしてしまったため、今は気まずくなっている。
「佐藤がどうしたんだ?」
「あの子ね、三年の久住屋先輩によくパシられてて、お昼休みにお弁当とか飲み物とか買いに行かされてるんだけど」
「ああ……」
乾いた笑いが口から漏れる。まあ不良グループに入れてもらったと考えれば、ある意味で高校デビューは成功かもしれない。
「久住屋先輩たちっていつも体育倉庫に居座ってて、そこの黒板に、その日買ってきて欲しいものを書き込むんだって。で、佐藤くんはそれを見て購買に買いに行くの」
そこで奈々はピンと人差し指を立てて、僕の前にずいと上半身を乗り出した。急に整った顔が近づいてきて、僕は思わず息を止める。
「ここからが問題なの! その日も佐藤くんは黒板を見て、書かれていた通りのものを買ってきた。でも戻ってきて黒板を見たら、牛乳の文字だけ消えてたんだって!」
「……見間違えたんじゃないのか?」
奈々はぶんぶんと力強く首を横に振る。
「それがね、次の日も、また次の日も、佐藤くんが買い出し前に黒板を見ると、必ず牛乳って書かれてて、戻ってくると消えてるらしいの!」
ふぅん、と気のない返事をしつつ、僕は頭を捻る。買い出しに行く前には書かれていた牛乳の文字が、戻ってくると消えている。しかも毎度。
「実際に牛乳を頼んだ人はいるのか?」
「佐藤くんが全員に聞いてみても、誰も牛乳なんて頼んでないって言うらしいの。それで佐藤くん、おつかいもできないのかーって、久住屋先輩に殴られたらしくて」
「おいおい……」
流石に佐藤に同情してしまう。買ってきたものが足りないならまだしも、一つ二つ余計なものを買ってきたくらいで殴らなくてもいいだろう。
「久住屋先輩って、噂には聞いてたけど本当にやばい先輩なんだな」
「うん。とにかく怒りっぽくて喧嘩っ早いんだよね。しかも一度プライドを傷つけられたと思うと、しつこく粘着するタイプらしいよ。そういう人、アタシきらーいっ」
奈々はべーっと舌を出す。
「それで、買ってきた牛乳は結局どうしたんだ? 佐藤が飲んだのか?」
僕の問いに、奈々はハッとした顔をする。それからひどく真剣な顔で口を開く。
「それがね、佐藤くんが久住屋先輩にボコボコにされている間に、いつの間にか牛乳が無くなってたらしいの」
「無くなってた?」
「そう! 他のものといっしょに机の上に置いてあったはずなのに、気づいたら牛乳だけないんだって!」
奈々の目がギラギラと光り出す。いきいきとした奈々の様子を見ながら、僕は肩をすくめた。
「これはつまり……! 牛乳好きのサイコパスが、佐藤くんの買うものリストに牛乳を紛れ込ませ、佐藤くんが殴られている間に何食わぬ顔をして牛乳を盗んだ……ってことだよね!?」
「ってことなわけないだろ。何なんだよ牛乳好きのサイコパスって。何が目的でそんなことするってんだ」
「うーん、何だろうね……。実は、佐藤くんに恨みがある、とか?」
奈々はこてんと首を傾げて考えている。真剣に悩む顔も可愛い。
「その可能性もなくはないが、やり方が回りくどすぎる。そんなことしなくても、佐藤が久住屋先輩の悪口言ってたとでも言えば、一発でボコボコだろ」
「うーん……じゃあ、やっぱり目的は牛乳ってこと?」
「それにしたって変だろ。牛乳が欲しいだけなら、普通に佐藤に頼めばいいだけだ。わざわざ牛乳を頼んでないフリをする理由がない」
「確かにそうだけどぉ……」
奈々は唸りながら顔を顰める。しわくちゃになった顔も、どこぞの劇場版電気ネズミみたいで可愛かった。
「じゃあ悠斗はなんだと思うの、この事件の真相!」
奈々に聞かれて、僕は目を細める。奈々の妄想に文句を言ってはいるが、別に良い推理が思いついたわけでもなかった。
「おはよ、なーに話してんの?」
前方から聞こえてきた声に、僕と奈々は揃って声の主に視線を向ける。




