第5話
上野恩賜公園。通称上野公園。
東京都台東区に悠然と広がる緑豊かなこの公園は、美術館や博物館など数々の文化施設を内包している。県外の人間に伝わりやすい最も有名な施設を挙げるなら、上野動物園あたりだろうか。
園内には清水観音堂をはじめとした神社仏閣も立ち並び、観光客も多く訪れる。上野の民の憩いの場であり、観光地でもある公園の端に、"それ"は存在した。
「これが、逆ミステリー・サークル……!」
奈々が声を弾ませて公園の一角へと突っ走っていくのを横目に眺めながら、僕は少し感心していた。看板に偽りなく、そこにあるのは確かに逆ミステリー・サークルのようだった。
園内の端、イチョウの木が立ち並ぶ木陰の下に広がる硬い土。むき出しの茶色の上に、六角形をした緑の線が浮かび上がっている。
そう、緑の線。本来ミステリー・サークルは植物が踏み倒されることで円が浮かび上がるという現象だが、全くの逆。恩賜公園に現れたミステリー・サークルは、草の生えていない土の上に、線で引いたように六角形に生えた植物の群れだった。
「すごいすごい! 全部で六つもある!」
奈々がぴょんぴょんと弾むように駆け回りながらこちらを振り返る。弾みでツインテールがぴょこぴょこと跳ねて、まるでうさぎみたいだな、と思いながら頷く。
「ああ、どうやら噂通りみたいだ」
ひとしきり駆け回った後、奈々は六角形のうちの一つのそばにしゃがみ込んだ。僕が近寄ると、奈々はこちらを見上げる。
「偶然生えたにしては、綺麗に生えすぎだよね! 人工的な感じがする! 誰かが六角形になるように、種を撒いたのかな?」
「いや、それはないだろう」
首を横に振ると、奈々はきょとんとした顔で目を瞬かせた。
「なんで?」
「ただ種を撒いたくらいじゃ、一目見て六角形と分かるように植物を生やすのは難しいだろう。踏まれて種が移動するかもしれないし、生えたあとに伸びすぎて、形があやふやになるかもしれない」
ああ、確かに。と頷く奈々の横にしゃがみ、地面に生えた草を注意深く観察する。シロツメクサ、カタバミ、オオバコ。パッと見て名前が分かるのはそれくらいだ。
「どれも雑草だな。買おうと思えば種を売ってるところもあるが、マイナーだ。自然に生えたと考えた方がいい」
「うーん……じゃあ、どうしてこんな生え方してるわけ?」
奈々の質問に言葉が詰まる。人為的に種を撒いたわけでないなら、何故逆ミステリー・サークルが出来上がったのか。いまのところさっぱり検討がついていない。
「仮に奈々の言う通り、誰かがこうなるように仕向けたとすれば……まず六角形に生えるように土を何かで覆ったりして、それから種を撒く訳だが……」
それをして何になる、という話である。手間暇がかかる割に、出来上がるのは雑草の六角形だ。労力に見合った対価とは言い難い。
そもそも雑草が生え揃うまでそんな不自然な状況になっていたなら、目撃されていないはずがない。今になって陸上部が騒ぎ出すのは不自然だ。
「うーん……」
答えあぐねる僕を見て、奈々も首を捻って考え始める。しばらく悩んだ後、奈々はポンと手を打った。
「やっぱり、サイコパスの仕業なんじゃない!? きっと常人には理解できないような、すごい理由があるんだよ! 例えば、これが何かの事件に関連する暗号だったりとか!」
「暗号一つ作るのにどれだけ時間かけるつもりだよ。メッセージを伝えたいなら、他に良い方法はいくらでもあるだろ」
僕の反応に、奈々はムッとした顔で唇を尖らせる。
「文句ばっかり! 否定するなら、悠斗もちゃんと考えてよ!」
「今考えてるって」
とはいえ、今ある情報だけでは手詰まりだ。何か他のアプローチから考える必要があるだろう。
僕の答えをただ待つのには早々に飽きたようで、奈々は逆ミステリー・サークルの周りをぐるぐると歩き回っている。かと思えば、唐突にため息を零した。
「もし誰かが種を撒いたとしたら、桜まつりくらいの時にやったのかな? あーあ、こっちの方までちゃんと見ておけば良かったー」
「桜まつり?」
僕が首を傾げると、奈々は信じられないとばかりに目を丸くする。
「まさか悠斗、桜まつりを知らないの? 上野公園の桜まつりと言ったら、お花見シーズンに全国のニュースで放映されるくらい有名だと思うけど」
「あー……言われてみればやってるような。あれ、ちゃんとした祭りだったんだな。勝手に集まって花見してるだけかと思ってた」
僕の答えに奈々は呆れたように首を振る。
「信じられない……この世に、上野の桜まつりを知らない人間がいるなんて……」
「そんなに言うほどかよ。仕方ないだろ、僕、この辺の出身じゃないんだから」
「足立区じゃん! めちゃくちゃ近いじゃん! 日比谷線直通で一本じゃん!」
奈々の言う通り、足立区と台東区は荒川区を挟んですぐ近くだ。電車で三十分とかからない。花見に誘ってくれるような親しい友人がいなかったから知らなかっただけだ。
しかしそれを認めるのも恥ずかしいので、話を逸らすことにする。
「さくら祭りってどんなことするんだ?」
僕の質問に、奈々はにんまりと笑う。奈々は上野の祖父母の家に暮らしているらしい。地元自慢ができるのが嬉しいのだろう。
「すごいよ! 全国から集まった選りすぐりのグルメに、ライブステージ! 夜にはライトアップもされて、一日中楽しめちゃうんだから!」
奈々はスマホを操作して、画面を見せてくる。画面にはギャルっぽい女子と奈々が提灯を背に、謎のポーズをする写真が映し出されていた。
「へぇ、結構いろいろやるんだな」
「そう! 映えるから、ついいっぱい写真撮っちゃうんだよね〜」
奈々が指でスワイプすると、"映え"ているらしい写真が何枚も表示される。
「……ん? これ学校の近くだろ。こんなオブジェみたいなの、あったか?」
一枚の写真に目を止めて質問する。写真には花で出来たアーチ状のオブジェが映っていた。奈々は画面を見て、なんでもないことのように頷く。
「これは特設の映えスポット。さくら祭りの間は結構いろいろ設置されてるよ。オブジェとか、花壇とか」
「なるほどな……」
写真を見て考え込む僕を尻目に、奈々はスマホを弄りながらため息を吐いた。がっかりしたというよりは、恍惚に近い感情がありありと感じられる。
「でもさ、やっぱりこんな綺麗な景色を放っておいて逆ミステリー・サークルを作るなんて、それってやっぱりサイコパスの……」
「サイコパスなんていないさ」
僕の言葉に、奈々が弾かれたように顔を上げる。その顔を見て、僕は唇を吊り上げた。
「やはり、本物のサイコパスはこの僕だけみたいだな」




