第46話
夕焼けが差し込む、薄暗い部屋の中。一人の少女が倒れている。床に散らばったゴミの中に埋もれるようにして横たわる少女の体は、頼りないほど細い。子供特有の健康的な細さではない。もう何日も食事を摂っていない人間特有の、骨に皮が張り付いたような細さだ。
昨日から、息をするたびに少女の肺はヒューヒューと音を立てるようになった。少女が息を吸うと、部屋の中の生ゴミの匂いが肺を満たす。冷たく硬い床は容赦なく少女のなけなしの体力を奪っていく。
少女は虚ろな目で、つけっぱなしのテレビの画面を眺めていた。母親が出ていく時に消していかなかったものだ。有名なホラー映画が放映されている。ヒロインが家に逃げ込むと、斧を手にしたサイコパスが扉をぶち破って追いかけてくる。サイコパスがニヤリと不気味な笑顔を浮かべるのが、ドアップで映し出された。
(――いいなぁ)
サイコパスの笑顔を見つめながら、少女は思う。
(あんな風に誰か、全部めちゃくちゃにして、壊して、ここから連れ出してくれたらいいのにな……)
少女の瞼がゆっくりと落ちる。もう目を開けているのも限界だった。死神の足音が耳元で聞こえたような気がする。濃厚な死の気配がワンルームの部屋に漂っていた。
(――誰か、助けにきてくれたらいいのにな)
ガシャン。
ガラスの割れるような音に、閉じかけていた少女の瞼が開く。外からギャアギャアと騒がしい声が聞こえてきて、少女は力を振り絞って、音の方に寝返りを打った。キッチンの横の窓が割れている。声はそこから聞こえていた。
「あなた! なんてことしてるの!」
ヒステリックな年配の女性の声が聞こえる。少女は耳を澄ます。
「だって、さっきから責任がどうとか言って、全然話が進まないからさ。中に女の子が一人で取り残されてるかもしれないんだろ?」
答えたのは少年の声だった。声変わり前の頼りない少年の声なのに、妙に落ち着き払った様子の話し方だ。
小さい手が窓枠に残ったガラスを落として、割っていく。子供一人分通れそうな大きさの穴ができると、窓枠を掴んで、一人の少年が穴の間をくぐり抜けてきた。
途中、ガラスの破片が少年の頬を引っ掻いて小さい傷を作ったが、少年は気にした様子もない。そのまま土足でガラスの上に降り立つと、少年は少女を見た。丸い黒目が細められる。
「良かった、いた」
少年は少女の倒れるそばまで歩いてきて、しゃがみ込む。
「大丈夫?」
西日が少年の顔を照らしている。目立った特徴はないが、一目で人の良さが分かる柔和な顔つきだった。オレンジに染まった少年の顔から、少女は目を離せなかった。
「立てるか?」
少女が力なく首を横に振ると、少年は迷わず少女の体に腕を回した。そこからうんうん唸りながら少女の体を起こし、背中に背負う。背負われた拍子に、少年の汗の匂いが香った。
「よし、行こう」
少年はドアに向かって歩き出す。鍵を開けて外に出ると、複数人の大人が少年を取り囲んだ。
「あなた! 何を勝手なことを!」
メガネのきつい顔をした女性が目を吊り上げて怒鳴る。先程聞こえた年配女性の声と同じ声だ。キンキンと耳に響く声に少女は身をすくませたが、少年は動じる様子がなく答える。
「何をって、目の前で困ってる人がいたら助けなさいって、学校で習うだろ。そっちこそ、なにを当たり前のことを言ってるんだよ」
「そういうことじゃないの! こういうのはね、正式な手続きってものが必要なのよ! あなたのやってることは立派な犯罪なの、分かる!?」
年配女性はなおもヒステリックに叫ぶが、少年は不思議そうに首を傾げる。
「犯罪がどうとかって、関係あるか? どうでもいいだろ、そんなこと」
「なっ――」
年配女性は少年の言葉に絶句する。周りの大人も動揺したように顔を見合わせた。うち一人の男性が静かに少年に歩み寄る。
「……あのね、君の言いたいことは分かるよ。でも、犯罪をすると捕まっちゃうんだ。だから、どんなに正しいことでも、正しいやり方をしないといけなくて――」
「じゃあ捕まってもいいよ。だってもう、助けられたし」
今度こそ大人たちは絶句した。固まってしまった大人たちが頼りにならないと踏んだのか、少年は少女を背負ったまま大人たちの横をすり抜ける。
「待ちなさい!」
少年の後ろ姿に向かって、年配女性は吠えるように叫ぶ。
「あなたは、なんで……なんでそんなやり方をするの!」
少年は立ち止まって、悩むように首を捻った。それから首だけで年配女性を振り返って、こう言った。
「――だってこれが、いちばん手っ取り早いだろ?」




