第45話
「……重機なんか乗り回して、下手したら轢き殺していたかもしれない。奈々を助けるためにしたってやり過ぎだろう。それとも君は、久住屋たちを殺すつもりだったのかい?」
ミナトの問いかけに、悠斗は慌てて首を横に振る。
「そんなわけないだろ! 殺人なんてコスパが悪いこと、するわけない!」
「じゃあ、なぜ? なぜ君は、そこまでのリスクを負って……」
悠斗はうーんと唸る。首を何度も左右に捻って、それからミナトを見つめた。
「――だって、これが一番手っ取り早いだろ?」
備品倉庫に静寂が満ちた。しんとした空気の中で、奈々は自分の鼓動が高鳴るのを感じていた。
(アタシを、助けるために――?)
ドクンドクンと、耳元に心臓があるかのように自分の鼓動が聞こえる。奈々は胸を抑えた。
(人を殺しちゃうかもしれないのに、捕まっちゃうかもしれないのに)
(アタシを助けるのに手っ取り早いからって、それだけの理由で、こんな大それたことをしたの?)
(それって、それって――)
途端、奈々は弾かれたように悠斗に飛びついた。奈々の体を支えきれずに悠斗が倒れる。その体に奈々は力いっぱい抱きついた。ホイールローダーから転げ落ちた時に汚れた体から、埃と汗の匂いがする。
奈々はその香りを胸いっぱいに吸ってから、叫ぶ。
「――やっぱり悠斗は、最高のサイコパスだね!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられた悠斗は、押し付けられた奈々の体の柔らかさに目を白黒させている。奈々は構わず、悠斗を抱きしめた腕に力を込めた。
「アタシの、アタシだけの――"最高のサイコパス"……♡」
悠斗に見えない位置にある奈々の顔が、奇妙な感情に歪んでいる。喜びと好意と独占欲が入り交じった形容しがたい顔だ。奈々の目が、仄暗い感情を浮かべて怪しく光る。
(やっぱり悠斗は、アタシの理想のサイコパスなんだ……♡)
「……はぁ」
不意に響いたため息に、奈々と悠斗の視線が声の主に向けられる。視線の先にいるミナトは頭から流れた血を乱雑に袖で拭ってから、諦めたような笑顔で笑った。
「分かった。僕の完敗だ。――秋津悠斗くん、君は"本物"だよ」
ミナトの笑顔は苦々しいが、どこか晴れやかでもあった。まるで憑き物が落ちたかのようにさっぱりした様子で、ミナトは悠斗に拍手した。パチパチと乾いた音が鳴る。
「……なんて?」
「そうか、君のような"本物"でも、できるんだね。そういう風に。人と関わって、心を動かす生き方が」
ミナトは勝手に一人でわけのわからないことを言いながらうんうんと頷く。それからくるりと背を向けた。
「おい、どこ行くんだよ」
歩き出した背中に悠斗が声をかけると、ミナトは首だけで振り返った。
「……もう少し、僕も頑張ってみようかなと思ってね。それなりに羨ましいと思ったんだよ。君のことが」
「それはどういう……」
悠斗の質問に、ミナトは答えなかった。前を向き直して、悠斗が空けた壁の穴から外に出る。
いつの間にか雨は上がっていた。ミナトは空を見上げる。雨に洗われた綺麗な空気の中で、夜空に眩い星がいくつも輝いていた。満天の星空とは言わないまでも、都会ではなかなか見ない数の星だった。
そのひとつひとつが瞬くのを眺めて、ミナトはため息を吐く。空にいくつ星が輝いてようが、ミナトの人生にはなんの関係もない。なんの関係もないはずなのに、ああ、これはなかなかに――
「綺麗、だな」
――
その頃、倉庫内。
「なんだったんだ、アイツ……」
僕はミナトが消えていった穴の方を見ながら呟く。その間も奈々は僕に抱きつきっぱなしだ。というか、腕の力が強すぎる。そろそろ血流が止まりそうだ。
トントンと奈々の肩を叩くと、ようやく奈々の体が離れた。肺を圧迫する勢いで押し付けられていた胸の圧力から解放され、大きく息を吸う。酸素が美味しい。
「もうじき警察が来るはずだから、そこの久住屋先輩を引き渡さないとな」
床に伸びっぱなしの久住屋先輩を指差すが、奈々の目は僕を見つめたまま微動だにしない。とろんと蕩けた目には完全にハートマークが浮かんでいる。
というか、奈々は抱きしめるのをやめただけで、まだ全然倒れた僕の上に乗っているわけで。今この状態で警察が来たら、なんだか非常に面倒なことになりそうな予感がする。
「えっと……奈々」
「うん」
「ちょっとどいてもらってもいいか?」
「うん」
奈々は素直に返事する。が、全然どく気配がない。上の空で頷いているだけのようだ。外傷はないと思っていたけれど、実は頭を打ってたのだろうか。少し不安になってきた。
「ねえ悠斗」
「何だ?」
「なんで重機を盗んで壁をぶち破ったのか、もう一回理由を聞かせて」
おかしなお願いだ。でも、奈々の目は真剣だった。好きな子にこんなに真面目にお願いされたら、断れない。僕は口を開く。
「――奈々を助けるためには、それが一番手っ取り早かったからだ」
「――うん」
奈々がへにゃりと笑う。メイクも落ちてぐちゃぐちゃになった顔だけど、はっとするくらい可愛い笑顔だった。
ふと、奈々の顔が近づいてくる。その近さに驚くよりも前に、唇に柔らかいものが触れた。奈々の瞳が、細いまつ毛に縁取られた瞼に隠れて見えなくなる。しっとりとして柔らかい感触はほんの数秒で離れていった。
離れていったのに、唇が、熱い。
「助けに来てくれて、ありがとう」
今しがた僕に触れていた唇がゆっくりと動く。その蠱惑的な桃色から、目が離せなくなっていた。
ゆるりと奈々の唇が弧を描く。
「愛してるよ、悠斗」
遠くからサイレンの音が近づいてくる。ぐわんぐわんと脳を揺さぶられるような大きな音なのに、僕にはもう、自分の鼓動の音しか聞こえなかった。




