第47話
「……な、おい、起きろよ。奈々」
名前を呼ばれ、奈々は重たい瞼を開ける。懐かしい夢を見ていた。突っ伏していた机から頭を上げると、教室は夕焼けでオレンジに染まっていた。寝ぼけ眼を擦ると、ぼんやりした視界に見慣れた姿が映る。
「おはよ、悠斗」
奈々が寝起きの挨拶をすると、悠斗は困ったように眉を下げた。
「おはようじゃないって。いつまで寝てるんだよ。ほら、帰るぞ」
西日が苦笑した悠斗の顔を照らす。へにゃりと下がった眉、細められた目、中途半端に上がった口角。どこを見ても特別なところなんてない、普通の男子高校生の顔だ。それが愛おしくて、奈々は目を細める。
「……うん、帰ろう。一緒に」
奈々は立ち上がり、カバンを手にした。悠斗は奈々が歩き出すのを待って、背中を向ける。西日に照らされた背中がどうにも懐かしくて、奈々は思いっきりその背中に飛びついた。
悠斗は一瞬体勢を崩すが、すぐに踏ん張って持ち直す。
「な、なんだよ奈々。どうしたんだ、急に」
動揺して悠斗の声が少し震えている。何度ボディタッチをしても全然慣れない。昔は何でもないみたいに触れてくれたのにな、なんて思いながら、奈々は首を振る。
「なんでもないよ〜!」
それから奈々は悠斗の背中によじ登って、勝手におんぶの体勢を作る。首に腕を回すと、悠斗は諦めたように奈々の体を腕で支えた。
「おい」
「よーし、悠斗号、しゅっぱ〜つ!」
「お前なあ」
悠斗は呆れたように言うが、その耳が赤くなっている。しばらく悠斗は奈々を支えたまま立ち止まっていたが、ゆっくり歩き出した。
「……下駄箱までだぞ」
「やったー!」
奈々は悠斗の首に回す腕に力を込める。首筋に顔を埋めると、悠斗の匂いがした。香水の匂いでも、制汗剤の匂いでもない。世間一般的に良い匂いかと問われれば、恐らく違う。それでも、奈々にとっては世界一安心する香りだった。
――自分を助けてくれる人の匂いだった。
「悠斗?」
「なんだよ」
奈々が名前を呼ぶと、悠斗はぶっきらぼうに答える。照れ隠しだ。奈々はくすくすと笑った後、囁くように呟く。
「……これからも、ずっとそばにいてね」
「……おう」
西日は廊下までオレンジに照らしている。悠斗の背中で、奈々は仄暗い笑みを浮かべた。先日の誘拐事件の時に、備品倉庫で浮かべたのと、同じ笑みだ。底知れぬ執着心を感じさせる、狂気の笑顔。
前に図書委員の土田に言われた言葉が、不意に奈々の脳裏に浮かぶ。「あんた、ほんと男の趣味悪いわ」
それでいい。悠斗の魅力は誰にも伝わらなくていい。自分だけが知っていればいいのだ。
だってそうしたら、悠斗はずっとアタシだけを見てくれるのだから。
(ずっと、ずーっと、アタシだけの最高のサイコパスでいてね、悠斗――♡)
背中におぶった奈々の表情を、悠斗は見ることができない。だから彼は知らない。奈々がどれだけ自分に惚れ込んでいるのか。だから彼は今日も、明日も、ずっと空回りを続けるのだ。
――"本物のサイコパス"に、なるために。




