第43話
――とある廃工場の、プレハブ式の備品倉庫。
プレハブの屋根を大粒の雨が叩く音が響く。埃っぽい室内で、数人の男がパイプ椅子に腰掛けて何事か話している。時折下卑た笑いをあげる男たちを睨みつけてから、奈々は目の前の青年に目を向ける。
「……アタシのこと、売ったんだね、佐藤くん」
「あ、いやぁ、売ったというか……へへ……」
奈々の目の前で体育座りで地面に座っていた佐藤はへらへらと笑う。奈々に睨みつけられても、そのにやけ面は変わらない。
「サイテー」
「いやいや……俺は何もしてないよ。ただ、ほら、久住屋先輩がね、浦野さんと話したいって言うから」
「アタシは話すことなんかないし」
ぷいと奈々がそっぽを向くと、視線の先に足があった。いつの間にか久住屋が奈々の近くに立っている。久住屋はしゃがんで奈々と視線を合わせると、ニヤリと笑った。
「つれないこと言うなよ。俺とお前の仲じゃねぇか、奈々」
「アンタとなんか、なんの関係もないし」
「今に一生忘れられない男になる」
久住屋の言葉に、後方の不良生徒達が大声で笑う。
「なるわけないでしょ、気持ち悪い」
奈々が吐き捨てるように言った瞬間、頬に鋭い衝撃が走った。奈々が頬を抑えると、ジンジンと熱と痺れのような痛みが広がる。奈々が睨みつけると、久住屋は奈々の頬を叩いた手を軽く擦った。
「あんまり生意気なこと言うなよ」
低く脅すように言ったあと、久住屋の手が奈々の髪に伸びる。次は何をされるのかと、奈々は身を硬くした。
ガチャリ。
備品倉庫の扉が開く。久住屋は手を止め、扉の方に視線を向けた。それから警戒するように立ち上がる。
「誰だお前」
「一年二組の高嶺ミナトです。どうぞお見知り置きを」
奈々は弾かれたように顔を上げる。
「ミナト!」
「やあ。お待たせ、奈々」
ミナトは場に似つかわしくないほど爽やかに微笑む。土砂降りの中を歩いてきたので体はずぶ濡れだが、それすら映画のワンシーンの演出のようだった。
ミナトはつかつかと歩き、備品倉庫の中に入る。部屋の隅に無造作に投げ捨てられたスプレー缶の残骸を見て、ミナトは目を細めた。
「……随分好き放題やっていたようですね。窃盗に、器物破損に、ストーカー、誘拐まで。警察にバレたらタダでは済まないでしょうね」
ミナトの言葉に、パイプ椅子に座っていた男たちがワラワラと立ち上がる。ミナトは男たちの背格好を観察した。若くはあるが、どうやら高校生ではない者も混じっているようだ。倉庫手前にあったバンはその中の誰かが運転したのか、と結論づけて、ミナトは微笑む。
「どうでしょう。ここで手を引きませんか? 僕としては奈々が無事であればそれでいい。穏便に奈々を返していただけるなら、警察には上手いこと誤魔化しますが」
「テメェの言うことを信じろってか?」
久住屋がボキボキと指を鳴らしながらゆっくりとミナトに近づく。ミナトは肩をすくめた。
「……まあ、そうなりますよね」
「ふざけるな!」
久住屋の背後から一人の男が迫り来る。男の固く握られた拳はミナトの顔を狙って繰り出された。しかし、ミナトは片手で難なく衝撃をいなす。それから、男の腹に拳を叩き込んだ。
「ぐっ……」
苦しそうな声を上げて男が数歩よろめく。ミナトはその体に蹴りを入れて吹っ飛ばした。それを合図とばかりに、男たちが一斉にミナトに襲いかかる。
多勢に無勢だが、ミナトは上手く攻撃を避け、避けられないと見ると衝撃を和らげるように動いた。それから的確なタイミングで反撃に出る。不良たちも喧嘩慣れしているらしいが、ミナトの正確な武術の前には形無しだった。
「くそ……っ」
「ほら、どうします先輩方。ここの場所は知り合いが通報してくれているでしょうから、いずれ警察が来ますよ? 早めに撤退した方が良いと思いますけど」
ミナトの言葉に久住屋は一瞬唇を噛んだが、すぐにミナトに掴みかかった。ミナトはシャツの襟首を掴む腕を抑えながら、ここから久住屋がどう出るつもりなのか観察する。
――ゴッ。
鈍い衝撃が走ったのはその時だった。
「っミナト!」
奈々の叫び声を聞きながら、ミナトはその場に倒れ込んだ。視界がグラグラと揺れ、後頭部がジンジン痛む。思い通りに動かない体で何とか背後に視線を向けると、鉄パイプを手にした佐藤が立っていた。その膝はガクガクと震えている。
「さ、と……くん……」
「あ、いや、違くて……その……俺は……」
ガタガタ震える佐藤に、久住屋が口笛を鳴らす。
「やるじゃん、佐藤。これで死んだら、お前豚箱行きだな」
「え、豚箱って、え、あの」
「大丈夫大丈夫、その時はちゃんと俺らが証言してやるよ。全部お前が勝手にやったことだってな」
久住屋たちがゲラゲラと笑う。佐藤は鉄パイプを取り落とし、膝をついた。鉄パイプが虚しく床を転がる。
「ミナト! しっかりして、ミナト!」
慌ててミナトに駆け寄ろうとした奈々が、久住屋に肩を掴まれて床に投げ飛ばされる。
「痛……っ」
体を打ち付けられて苦痛に顔を歪める奈々の体に、久住屋が覆い被さる。
「嫌だ、どいて! あっち行ってよ!」
奈々は必死に抵抗するが、圧倒的な力の差で押さえつけられてしまう。久住屋の手が奈々の足に触れ、ぞわりと鳥肌がたった。
(いやだ、助けて……悠斗――!)
奈々は目を瞑る。床に倒れたミナトは悔しげに唇を噛んだ。
その瞬間、備品倉庫に轟音が響き渡った。




