第41話
スマホが震えている。画面にミナトの三文字を見つけて、僕は顔を顰めた。
シャワーを浴びて出てきたばかりだというのに、気が滅入る名前を見た。無視してやろうかと思ったが、あまりにもしつこく通知が鳴るので、苛立ちながらスマホを手に取る。
ロックを外すと、トークアプリが表示される。特に設定していないので、デフォルトの青空の壁紙の手前にメッセージが表示された。
『奈々が誘拐された』
その一文に、世界の音が消えた。キーンと耳鳴りがして、視界がグラグラと揺れる。手からスマホを取り落としそうになって、慌てて指に力を込めた。
『どういうことだ?』
『どうもこうも、そのままの意味だよ。奈々の祖父母から連絡があった』
指が震えて上手く文字が打てない。何度も誤タップを繰り返しながら返事を打つ。
『警察に』
『落ち着きなよ。警察にはとっくに奈々の祖父母から通報済みだ。今から来れるかい?』
僕はスマホと鍵と定期券だけ引っ掴んで、部屋着のまま外に飛び出した。駅まで走り、定期券でホームに飛び込む。
電車が来るまでの時間が永遠に感じられた。落ち着きなくスマホを見るが、ミナトからのメッセージはない。
三十分ほどかけて上野駅に到着する。改札から飛び出した時、タイミングを見計らっていたようにミナトから新着メッセージが届いた。
『上野公園。駅を出て、階段を上がってすぐのところだよ』
コンコースを走り、駅構内を飛び出す。上野公園がある右に折れると、目の前の歩行者用信号は青だった。点滅をはじめた信号機を見つめながら横断歩道を走りきる。
勢いのまま階段を駆け上がると、広場の中央の街灯にもたれかかるようにしてミナトが立っていた。薄いグレーのTシャツに、シワひとつないスラックスを履いている。僕に気づくと、ひらりと軽く手を振った。
「やあ、君の家の経路からここまでの最短時間で来たね」
「……な、なな、は」
ハアハアと呼吸を乱す僕を横目に、ミナトは肩をすくめる。余裕たっぷりの表情が神経を逆撫でしてくる。息を整えながら睨みつけた。
「奈々が攫われたのは帰宅後すぐだろうってことは分かってる。ドアが乱暴に開けられて壊れていたけど、鍵穴は壊されていなかったからね。恐らく、奈々の帰宅時を狙ったんじゃないかな」
「あり、えない……鍵、確認、して」
僕の途切れ途切れの言葉を正確に理解して、ミナトは頷く。
「なるほど、悠斗くんは鍵を閉めるところまで確認したんだね。なら、何らかの理由で奈々が鍵を開ける瞬間があって、その時に攫われたか」
ミナトは腕を組み、空を見上げる。
「そうだとしても、犯行時間に大きな違いはない。奈々が帰宅したすぐ後に、買い物に行っていた奈々のお祖母様が帰宅している。その時には既に奈々はいなくて、扉が壊されていた」
相変わらず冷静なミナトに言ってやりたい言葉が山のように頭に浮かんだが、今は呼吸を戻すことに専念する。ハアハアと荒い呼吸を繰り返す僕を気にせず、ミナトは言葉を続ける。
「さて、そろそろ解決編と行こうよ、偽物のサイコパスくん」
「おまえは、それに」
「こだわるなって? そりゃこだわるよ。僕は本物だからね」
ミナトはくすくす笑ってから、人差し指を立てた。
「整理しよう。これまでの事件で何があったか。それが分かれば、奈々を連れ去った犯人が分かるはずだ」
ようやく呼吸が整ってきた。僕は苦虫を噛み潰したような表情でミナトを見つめる。
「一件目のハンカチの事件。犯人はカラスではない。不審な人物もいなかった。つまりこれは、どういうことだと思う?」
「……考えられるのは、教室にいても不思議じゃないタイミングで、教室にいても不思議じゃない奴が盗んだんだろう」
生ぬるい風が髪を荒らす。
「つまり、犯人はクラスのやつだ。移動教室が終わった後に少し早く教室に戻って、急いでハンカチを盗んだ」
「そうだね、僕もそう思う」
ミナトはうんうんと頷く。
「下駄箱と机の件でお前が言ってた、見落としってのは何なんだ?」
僕の問いかけに、ミナトは軽く首を傾げた。
「悠斗くんが、嫌いな奴の机や下駄箱にイタズラするとして」
「お前の机や下駄箱にか?」
ミナトは一瞬目を丸くした後、くすくすと笑う。
「その前提でもいいよ。僕の机や下駄箱にイタズラするとして……何を使って、机や下駄箱をめちゃくちゃにする?」
僕は少し悩んでから口を開いた。
「そりゃ、カッターナイフとか、彫刻刀とか。あとはまあ落書きだよな。絵の具とか油性ペンとか、そういう落ちにくくて手に入りやすい……」
そこまで言って僕は閉口する。ミナトは肩をすくめた。
「そう。僕らは学生で、現場は学校だ。イタズラに使えるものは校内にいくらでもある。それなのに、犯人はわざわざカラースプレーを用意したんだ。何のために?」
「……犯人は、内部の人間。それが、前にお前と出した結論だったよな」
「そう、内部の人間。でも犯人はイタズラに使うための備品がどこにあるか、あまり詳しくなかったんだろう。ちゃんと使っていなかったから」
ミナトが得意げな笑みを浮かべる。街灯に照らされた笑顔は、腹立たしいほど美しい。
「犯人は内部の人間でありながら、学校の授業などで使う備品に詳しくない人間。つまり、授業にちゃんと出ていない、弊校の不良生徒だ」
「……三年の、久住屋先輩が」
「奈々にフラれたらしいね。あかりから聞いたよ。動機は、きっとそれだ」
ミナトは呆れたように目を細める。
「……そう考えれば、ハンカチを盗んだ人間も分かる。きっとパシリにされてる佐藤くんだろうね」




