第40話
「奈々」
放課後、荷物をまとめる奈々に声をかける。奈々は無言で頷いて、カバンのファスナーを閉めた。肩にカバンをかけると、奈々はギャル軍団を振り返る。
「アヤノ、かほち、あかり。バイバイ!」
「ばいばーい」
「気をつけて帰ってね」
カホとあかりが奈々に手を振る。
アヤノだけは手を振る代わりに、僕に向かって微笑んだ。薄気味悪いほどの笑顔に、『死ぬ気で奈々を守れよ』と書かれている気がして、背筋が寒くなる。
下駄箱で上靴を履き替える。昇降口は生徒の楽しげな声で賑やかだ。みんな何事もなかったかのように、平穏な生活を楽しんでいる。
「ねえ、悠斗」
校門を通り過ぎた時、ふと奈々が口を開いた。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「何言ってるんだよ」
奈々がこちらを向く。困ったように眉を下げて、奈々は微笑んだ。
「だってさ、毎日アタシのこと送っていかないといけないって、結構大変じゃん? アタシの家、駅とは反対方向だし」
道中、左手に見える上野公園の木がざわざわと揺れる。風が出ているから、そのうち雨が降るのかもしれない。
「こういうの、なんて言うんだっけ? 悠斗がよく言うやつ……あ、タイパ? が悪いってやつ」
奈々の瞳が不安げに揺れる。
「だからさ、あんまり心配しないで。アタシは一人でも……」
「ないよ」
間髪入れずに僕は声を上げる。奈々が驚いたようにこちらを見る。
「……タイムでもコストでも、奈々より大事なものなんかないよ。パフォーマンスとか知ったことか。僕は、奈々が無事ならそれでいい」
言い切った後、生ぬるい風が頬を撫でた。途端に恥ずかしくなってくる。
なんだかメロドラマのセリフみたいな気障ったらしいことを言ってしまった。ミナトならともかく、僕じゃ格好がつかない。
「いや、だから、そのぉ……つまりだな……」
しどろもどろに言い訳しようとした僕の体を、柔らかいものが包み込む。奈々だ。細い腕が僕の体をぎゅっと抱きしめる。その手は微かに震えていた。
「ありがとう、悠斗」
奈々が僕にこつんと頭をぶつける。
「……ああ」
短く答えると、奈々は一度体を離した後、僕の手を取った。指を絡めるようにして手を繋ぐと、奈々はにこりと微笑む。
「……帰ろっか」
「おう」
言葉少なに歩き出す。上野公園を通って信号を渡り、アメ横を突っ切って歩いていくと、奈々の家が前方に見えてくる。その間ずっと、奈々は確かめるように強く僕の手を握っていた。
奈々の家の前に着く。名残惜しそうに奈々の手が離れた。
「……ありがとね」
「いいって、僕がしたくてしてるから、お礼とか」
「でも言いたいの。アタシが嬉しいから」
奈々が顔をあげる。頬を赤く染め、奈々は目を細める。蕩けるような笑みに見つめられ、呼吸が止まりそうになった。
「……じゃあ、どういたしまして」
「うんっ」
奈々は元気よく頷いた後、玄関前の石段を駆け上がる。短いスカートがふわりと風に踊った。
「じゃあ、また明日!」
「ああ、また明日。ちゃんと鍵、かけろよ」
「分かってるって!」
奈々が扉を閉める。ガチャリと鍵がかかる音を確認してから、僕は駅の方に体を向ける。
ゴロゴロと頭上から音がして、僕は顔を上げた。空はどんよりと、厚く黒い雲が覆い尽くしている。雨が降る前に帰ろうと、僕は足早に駅へと向かった。
――
――そんな悠斗の背中を、奈々はこっそりと覗き見ていた。
一度かけた鍵を外し、扉を少し開けて悠斗の背中を見つめる。
(やっぱり、悠斗って優しいなぁ……)
奈々はうっとりと目を細める。
(あの頃と、変わらないなぁ……)
悠斗の背中が見えなくなってからもしばらく、奈々は扉を開けて外を見つめていた。今度こそドアを閉め、鍵をかけようとする。
――ガタン。
唐突に凄まじい力で扉を引っ張られ、奈々は体勢を崩した。ドアノブを握ったまま玄関前に膝をつく。目を白黒させながら顔をあげると、目の前に数人の男性の姿がある。
「……え」
奈々は小さく声をあげた。ドアノブを掴んでいた奈々の腕を、男の一人が掴んで立ち上がらせようとする。
「い、いや……」
奈々はドアノブを強く握って抵抗する。助けを呼ばなきゃ。声を出さなきゃ。そう思っても、声帯が震えて上手く声が出てこない。
「たすけ」
誰かの手が奈々の口を塞ぐ。体ごと引っ張られ、必死に掴んでいたドアノブが抵抗虚しく掌からすり抜ける。
そのまま抱えられるようにして家の横の路地に連れていかれる。そこには黒いバンが停まっていた。後部座席のドアが開き、乱暴に放り投げられる。慌てて逃げ出そうとするが、目の前でドアが閉められた。
「よお」
助手席から声がする。聞き覚えのある声に、奈々はゆっくりと助手席に目を向ける。
「……久住屋、センパイ」
名前を呼ぶと、助手席に座る久住屋先輩はニヤリと笑った。




