第39話
翌日も、登校するとイタズラが施されていた。
今度は奈々の机がカラースプレーでめちゃくちゃに塗られている。
ツンとした塗料の匂いが、教室の入口まで漂っていた。
赤や青、黄色、黒で派手に着色された机の周りに教師陣が集まって、難しい顔をしている。
「これはさすがに……」
「やはり警察に……」
ごにょごにょと小声で何事か相談する大人たちの姿を見ながら、僕は教室の扉にもたれかかる。
正直昨日の下駄箱の件で通報したっておかしくなかったと思うが、教師としては穏便に済ませたい意図があったらしい。学校に警察が来るというのはそれだけで外聞が悪いのだろう。
まして校内で起きたこと。犯人が本校の生徒だった場合、いじめ疑惑など別の問題が浮上しかねない。
つくづく大人というのは自分のことばかりだな、と肩をすくめると、すぐそばに立っていたミナトが小さく笑った。
「どうする? 警察が来るかもしれないってさ」
「いいだろ別に。本来こういうのは、ちゃんとした機関が捜査するべきものなんだよ」
「それはそうかもしれないけどさ」
ミナトはまだ何かを囁きあっている大人たちに目を移す。
「それならそうと、昨日の下駄箱の時に通報すれば良かったのに。外聞を気にして、初手が遅れるなんて……って思ってるでしょ」
「ああ。そしたら下駄箱からも何か証拠が見つけられたかもしれない。今はもうみんなが面白半分で触ったから、指紋もつきまくってるだろうな」
「まあ、勝負のためには好都合だったんだけど」
僕が睨むと、ミナトは余裕の笑みを浮かべる。
「どうしてお前はそんなに、僕に勝ちたいんだよ」
「決まってるだろう、奈々が好きだからだよ」
「……本当に?」
ミナトはこちらを見て、数度目を瞬かせた。きょとんという言葉が似合う表情をしている。
「どういう意味?」
「……いや、昨日からお前、勝負のことばっかりだからさ。奈々のこと、ないがしろにしてる気がして」
ああ、と小さく呟いて、ミナトは僕から視線を外す。どこかぼんやりとした様子で虚空を見て、ミナトは口を開く。
「……僕は多分、君ほどには奈々のことを思っていないんだろうね」
「どういうことだ?」
「分からないんだよ、好きとか嫌いとか」
ミナトは指先で、男子学生にしては少し長めの髪を弄ぶ。
「奈々のことは好きだよ。でもそれが特別なのかよく分からない。どうにも周りの人の恋のエピソードと、僕の感情はリンクしない」
僕は頷きもせずにミナトの言葉を聞いていた。ミナトも返事を期待していないのか、勝手にペラペラ喋り出す。
「ときめく。心を揺さぶられる。そういうのが、全部よく分からないんだよね。相対的に見て奈々は魅力的な異性だし、関わってきた期間も長い。好感度が高いのは、当然のことだと思うんだけど」
「……お前は」
僕は口を開く。
「本当にサイコパスなんだな」
「そうみたいだね。色々調べた上で自認しているよ」
ため息を吐くと、ミナトはくすくすと笑った。腹立たしいほど上品な笑いだった。
「その割に、勝負してる時は随分楽しそうだな」
「うん。君のこともそれなりに気に入ってるからね。偽物のサイコパスくん」
「勝手に言ってろ」
教師たちがバラバラと動き出す。担任教師がこちらに近づいてきて、空き教室に移動するように指示を出した。皆がのそのそと移動するのに合わせて、僕も足を踏み出した。
――
「ねえ、誰がやったんだろうね」
空き教室ではコソコソと囁き声の大合唱が始まっていた。みんな声を潜めてはいるが、あまりにも皆が皆同じ話題で喋るので騒々しい。
「他の人なら分かるけど、浦野さんでしょ? 恨まれること無さそうなのにね」
「あれじゃない? ストーカーとか」
コソコソと話すクラスメイト達を、ギャル軍団が教室の隅から睨みつけている。それでも一度火がついた噂話は止まらない。
アヤノと目が合った。アヤノの唇がパクパクと音もなく動く。
『は・や・く・な・ん・と・か・し・ろ』
「……そう言われてもねぇ……」
僕が肩を落とした時、担任教師が教室に入ってきた。
「静かに。出欠を取るぞ」
担任教師は名簿を片手に一人一人名前を読み上げていく。出席番号一番の僕も、もちろん適当に返事をした。
「佐藤。……おい、佐藤はどうした?」
担任教師が一人の生徒の名前を呼んだ時、空き教室の扉が開く。
「すみませぇん、遅くなりましたぁ……」
ツンツン頭に眼鏡の少年がふらふらと教室に入ってくる。
「遅いぞ佐藤」
「すみませぇん……朝から久住屋くんに呼ばれて……へへ……」
佐藤がへらりと笑うと、担任教師は眉を顰める。
「……また久住屋とつるんでたのか? 大概にしとけよ」
「へへ……」
佐藤はへらへらと笑ったまま、空いている席にひょこひょこと向かう。
「久住屋って、有名な不良生徒だよね。確か、他校との喧嘩で一つの地域を地図から抹消したって噂の」
横の席のミナトが僕に耳打ちする。僕は鷹揚に頷いた。
「話に尾ひれが付きすぎてるがそうだな。佐藤はよくそいつらのパシリやらされててさ。ただのパシリなのに、友達だと思い込んでるらしいんだ」
「それはそれは……」
ミナトは微妙な笑顔を浮かべる。言わんとすることは分かるが、言わないでやるのも親切と言うものだ。
「……よし、全員揃ってるな。今日は自習が多めになると思うが、みんなしっかり勉学に励むように」
担任教師の言葉に盛り上がる教室をよそに、僕は奈々の席を見る。
奈々の顔は相変わらず暗かったが、その手元で僕があげたハンカチを握っていた。ピンクの長い爪がハンカチの上を滑るのを見て、僕は何とも言えない気持ちで天井を見上げたのだった。




