第34話
三日後には熱が下がった。体のだるさも抜け、もう全回復している。肩を回しながら健康に感謝しつつ、僕は教室の扉を開けた。
数日ぶりの教室は、何やら異様な空気に包まれていた。いつもなら騒がしい朝の教室がしんと静まり返っている。
まさか僕のせいかと身構えたが、そうではないようだ。教室の視線は一様に中央の席に向けられている。
中央には奈々が座っていた。いつもは太陽のように明るい奈々の顔が、珍しく曇っている。その周囲にあかりとカホが、おろおろとした様子で寄り添っていた。
一体何があったのかと眺めていると、少し離れた位置から奈々の様子を見つめていたアヤノの視線がこちらを捉えた。そのままずんずんと近づいてくる。
「ちょっといい?」
問いかけておきながら、アヤノは返事を待たずに僕の肩を掴むようにして廊下へと連れ出す。それからドンと仁王立ちで、僕の前に立ち塞がった。
「アンタ、奈々になんかしたりしてないわよね」
「? なんかって?」
首を傾げると、アヤノはイラついた様子で眉を上げる。
「とにかく、何か余計なことよ。どうなの。したの、してないの?」
「そう言われても……別に何もした覚えはないけど」
アヤノは僕の顔をじーっと眺める。バツが悪いが、目を逸らすと面倒なことになりそうな予感がして見つめ返していると、アヤノはため息を吐いた。
「……まあ、そうよね。アンタみたいなチキン野郎に、変なことする勇気はないか」
「随分な言いようだな……」
「事実でしょ」
アヤノは言葉でぐさぐさと人の心を抉ったあと、腕を組んで唸る。
「奈々がアンタの家にお見舞いに行くって言った日からずっとあんな感じだから、てっきりアンタが何かしたのかと思ってたけど……」
「あんな感じっていうのは……」
「見たままよ」
アヤノは顎で教室の中の奈々を指し示す。あかりとカホが何事か話しかけているようだが、奈々は心ここに在らずといった様子で曖昧に微笑むだけだ。
「確かに様子がおかしいな」
「でしょ。だからもしアンタが原因なら、ぶっ飛ばしてやろうと思って待ってたのよ」
アヤノはニヤリと笑って、手のひらに拳を打ち付ける。女子とは思えない硬質な音が廊下に鳴り響き、思わず身震いする。
「ないない、絶対にないよ」
「分かってるわよ。アタシだって本気で思ってたわけじゃない。ただ、その可能性もあるかなって思っただけ」
アヤノは肩をすくめる。
「僕より、今奈々に何かあるとしたら、アイツ……ミナト関連じゃないのか?」
自分から出したくない名前をぶっきらぼうに挙げると、アヤノはきょとんとした顔をする。それから何か合点がいったかのように、あーと声を上げた。
「そっか、アンタあの時いなかったんだっけ」
「あの時?」
「こっちの話。別にアンタが休みの間に、ミナトと奈々の間になんかあったとかは無いわよ。元々あの二人幼なじみだし。そんな数日で進展する関係でもないでしょ」
アヤノの言葉にホッとしてしまった自分に気づき、咳払いで誤魔化した。危ない危ない。
「まあ、とりあえず何もないならいいのよ。他に用事ないから、さっさと席に座ったら?」
呼び出した張本人でありながら、アヤノは面倒くさそうに手をヒラヒラと振って僕を追い払った。本当になんて偉そうなやつなんだ。
とにかくもう僕に用はないようなので、ありがたく席に向かうことにした。教室の後方にある自席に向かう途中、否が応でも暗い顔をした奈々が目に入る。
(奈々のやつ、一体どうしたんだ……?)
気になる。声をかけてみたいが、なんと声をかけていいか分からない。十五年以上生きてきて、暗い顔をしている女子を慰める言葉の持ち合わせなど何もないのだ。つくづく自分のコミュ障が嫌になる。
自席に鞄を置いて、どうしたものかと奈々の方にこっそり視線を送る。相変わらずあかりとカホが話しかけているが、状況の改善は見られない。
さあ、どうするか。尖塔のポーズを取りながら、僕は考える。奈々が塞ぎ込んだ理由は気になる。気になるとして、一体何と話しかけよう。
「どうしたんだよ暗い顔して」か? いや、いくらなんでも普通過ぎる。「ガッカリしてメソメソしてどうしたんだい?」か? いや、大人気アニメに喧嘩を売るようなことはしたくない。
「おはよう、奈々」
などと死ぬほどくだらないことを考えている隙に、ミナトが奈々に声をかけた。奈々がぼんやりと顔をあげる。
「ああ、ミナト……おはよう」
「大丈夫かい? 今日も元気が無さそうに見えるけど。心配だな」
くそ、スマートだ。心の中で悪態をつきながら、僕は頬杖をついた。完全に出遅れた。ミナトが話しかけたのなら、もはや僕が話しかける必要もないだろう。
「全員席に着けー」
ちょうど良いタイミングで担任教師が教室に入ってくる。ミナトは名残惜しそうな様子で奈々から離れていった。心の中でざまあみろと舌を出しながら、僕は担任教師の話に耳を傾けた。




