第33話
「ご馳走様でした」
「はい、お粗末さまでした♡」
手を合わせると、奈々が食器を下げる。
「洗い物、しなくていいからな」
「いいって! 病気の時くらい、周りに頼ってくださーい」
奈々は流しに食器を置いたあと、後をついて歩いていた僕をソファに押し戻した。
仕方なくソファに座る。キッチンから食器を洗う水音と奈々の鼻歌が聞こえてきた。
家の中に人がいるのは久しぶりだ。ソファに座りながらぼんやりキッチンを眺める。一人暮らしを始めたのは高校生からだが、元々うちの家族は家にいないことがほとんどだった。何か特別な問題があったわけじゃない。ただ、折り合いがつかなかった。
いつからか、学校でも家でも一人なのが当たり前になっていた。それに疑問を持ったことなどなかった。脳裏に有名な心理学者の言葉が思い浮かぶ。
――孤独とは、周囲に人がいないことではない。自分にとって重要だと思うことを、伝えられないことである。
「なあ、奈々」
洗い物が終わってリビングに戻ってきた奈々に声をかけると、奈々は微笑みながら首を傾げた。
「なーに?」
「……ありがとう」
声は思っていたよりも小さく、掠れていた。それでもしっかり奈々の耳には届いたようだ。驚いたように目を見開いた後、奈々は目を細める。
「どういたしまして。こちらこそ、ありがとね」
「何が?」
「いつも、謎を解いてくれて」
困惑する僕の前に奈々が歩み寄る。僕の前に立ち、奈々は僕を見下ろした。
「悠斗は、いつもアタシのわがままを聞いてくれるよね」
「……そんな、謎解きくらい別に……僕じゃなくたって……」
「悠斗だからいいんだよ」
奈々がにっこりと、太陽のような眩しい笑顔を見せる。
「だって、悠斗は"本物のサイコパス"だから!」
――違う。
僕は下唇を噛む。違う、僕は本物のサイコパスなんかじゃない。偽物だ。本当のサイコパスっていうのは、ミナトみたいなやつのことを言うんだ。
僕は唇を震わせながら、口を開いた。言わなきゃ、全部嘘だったって。ミナトが横にいれば、いずれ奈々も僕が本物のサイコパスではないと気づくだろう。そうすれば、きっと僕は奈々に軽蔑される。
少しでも早く、自分から罪を認めた方が、罰は軽くなるんだ――
そう分かっているのに、僕の口からは何の音も出なかった。
「悠斗、大丈夫? 顔真っ青だよ?」
奈々がしゃがんで、気遣わしげに僕の顔を覗き込む。
「熱がぶり返しちゃったのかな」
違う、という言葉すら出てこない。代わりに口から出たのは嗚咽だった。涙を流す僕を見て、奈々は僕の横に座った。奈々の手が僕の背を撫でる。
「うんうん、熱があるときって涙もろくなるよね〜」
奈々の手の温かさが嬉しくて、辛い。僕は本当は、奈々にこんな風に優しくしてもらえる存在じゃないのに。
僕の嗚咽が落ち着いた頃、奈々は僕の手を引いて部屋の隅に敷きっぱなしになっていた布団に連れて行った。布団に僕を寝かせて掛け布団をかけると、奈々はポンポンと布団を叩く。
「しんどい時は無理せず寝ちゃいなよ。寝て起きて元気になったら、なんであんなに辛かったんだろうって思えるから」
恐らくそんなことはない。元気になったところで僕が奈々に嘘をついている事実は変わらない。しかしそれを説明することもできず、僕は曖昧に頷いた。
奈々は僕の呼吸が落ち着くまでポンポンと布団を叩いた後、立ち上がって置いてあった自分の通学鞄を掴んだ。鞄についた、ギャル軍団でお揃いにしている大きなストラップが揺れる。
「冷蔵庫にスポドリとか、レトルト系買ってきたの入れたから。お腹すいたら食べてね」
奈々が部屋を出ていこうとする。
「奈々」
もう一度奈々の名前を呼ぶ。奈々はこちらを振り返った。
「なぁに?」
「………………ごめん、やっぱり何でもない」
「そっか」
奈々は首を傾げてにっこりと笑う。
「おやすみ悠斗。また、学校で」
「……ああ」
奈々が廊下を歩いていく。玄関で靴を履いて、ドアを開ける。奈々が外に出た後、ゆっくりとドアが閉まっていった。扉が閉まるその瞬間まで見送った後、僕はまた天井に視線を移した。
いつの間にか部屋は夕焼けの気配が無くなって、暗くなっていた。天井の隅の暗闇から何かが這い出てきそうな気がして、僕は目を瞑る。
――元気になったら。
目を瞑りながら思う。満腹感と温まった体のせいで否が応でも眠気が忍び寄ってきていた。それでも、最後の悪あがきのように僕は思う。
――奈々に、全部話そう。今まで嘘をついてきたこと、ちゃんと謝ろう。
外からカラスの声が聞こえる。夜が来るのを嫌がるように、その声は物悲しかった。カラスの鳴き声に耳を傾けたまま、僕は意識を手放した。




