第31話
熱が出た。
知恵熱だろうか、と自嘲する。赤ちゃんがなるものらしいが、僕みたいなひよっこにはお似合いだろう。
竹ノ塚駅徒歩十分のワンルームマンションに敷かれた布団に寝転がったまま、僕は学校に欠席の連絡をした。
「そうか、秋津は一人暮らしだったよな。何かあればすぐに連絡しなさい」
担任教師の優しさが身に染みて、ちょっと泣きそうになった。ダメだ、熱で脆くなっている。涙声でお礼を言って電話を切った。
天井を見上げてぼーっとする。普段なら暇になってスマホでもいじるところだが、熱で頭がハッキリしないせいで何もしたくない。寝返りすら打たずに、ただただ天井のクロスの模様を眺めていた。
今頃奈々たちはどうしているだろうか。ぼんやりと頭に奈々の顔が浮かぶ。いつも通りの可愛い笑顔。だが、頭の中の奈々が笑顔を向けている相手は、僕じゃない。ミナトだ。
見つめ合う奈々とミナトをクラスメイトたちが囲んでいる。皆が二人を祝福する。そんな光景を想像して、僕は首を振った。いけない、熱で弱気になって、変な想像をしてしまっている。
現実から逃げるように目を瞑る。だが、目を瞑っても脳内の嫌な想像からは逃れられない。お似合いの二人、祝福する周囲――ああ、もう。僕はきつく目を瞑る。勘弁してくれ。こんなこと、考えたくないんだ。
でも考えないようにしようとするほど、かえって脳内の映像は鮮明になっていく。
転がっていたイヤホンを掴み、耳に突っ込む。気分が落ち着かない時に静寂は毒だ。適当にスライムのASMR動画を流しながら、僕は考えることを放棄した。
――
――ピンポーン。
チャイムの音で目が覚める。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。部屋の中は夕焼けでオレンジに染まっている。随分長く寝ていたらしい。
寝起きでぼんやりとしているが、熱っぽさはさっきより随分マシになっていた。先程まであった頭を締め付けられるような気持ち悪さがなくなっている。
――ピーンポーン。
またインターホンが鳴る。宅配だろうか。何か買ったかと思い、スマホを手に取る。取りに出るのも面倒なので、適当にドアの前にでも置いていってくれないだろうか。
――ピーンポーン。
注文履歴を確認するより前に、再度インターホンが鳴る。随分しつこい配達員だな。もしくは、配達員ではないのか? 管理会社から怒られるようなことは、していないはずだが……。
ドンドンドンドン。
今度はドアを叩く音がする。どうやら異常事態だと見て、僕は怠い体を起こす。それなりの造りの建物ではあるが、賃貸だ。あまり騒がれるとご近所から苦情が出る。
それにしても、今どきドアを叩く人がいるのか。借金取りくらいしかしないと思っていた。取り立てされるような金を借りた覚えもないしな……と思いながら廊下を歩く。その間ずっとドアは叩かれ続けている。
「はいはーい、どちら様で……」
チェーンロックをしたままドアを開けると、隙間から茶色のツインテールが覗いた。次いで、隙間をのぞき込むようにまん丸の瞳がひょこっと現れる。
「やっほ〜」
明るい声で言って、隙間から覗いた奈々がにっこりと笑った。慌ててドアを閉めてチェーンロックを外す。あまりに慌てていたせいで少しもたついたが、チェーンロックが外れた途端、勢いよくドアを開けた。
「な、奈々?」
見間違いではないかと疑ったが、確かに奈々はそこにいた。学校帰りなのか制服姿のまま、マンションの廊下に佇んでいる。
「悠斗が熱出して休んだって聞いたから、来ちゃった♡ おうち、上がってもいい?」
奈々が首を傾げる。あまりにも自分に都合の良い状況に、一瞬まだ夢を見ているんじゃないかと疑った。頬をつねってみる。痛い。
「ああ、えと、その、家? 上がる?」
「うん。ご飯とか、いろいろ買ってきたからさ」
奈々は僕の目の前にスーパーの袋を掲げた。レジ袋には近所の激安スーパーのロゴが描かれている。困惑しながらひとつずつ状況を飲み込んでいく。奈々がうちに来た。レジ袋を持って。そして家に上がりたいらしい。……家に?
「ちょ、ちょっと待ってて!」
慌ててドアを閉めて、僕はリビングへとダッシュする。ゴミ箱に入れるのが面倒で放置した鼻をかんだティッシュをゴミ箱に投げ捨てて、机の上に乱立したエナジードリンクの缶を袋に入れてベランダに出す。誰も来ないからと油断して出しっぱなしだったアレな本やDVDは押し入れに突っ込んだ。
部屋の中を人が入れる程度の体裁に整えた後、僕は恐る恐るドアを開けた。全部幻で、開けたら奈々はいないんじゃ――なんて妄想を吹き飛ばすくらい可愛い奈々は、まだ玄関の前に立っていた。
「片づけ、終わった?」
奈々はくすくすと笑う。急いで部屋を片付けたのがバレていたようだ。恥ずかしい。
「いや、その……」
「分かるよー、アタシも来客予定ない時は結構散らかってるし。よくおばあちゃんに怒られてる」
奈々のほっこりエピソードに僕が小さく笑うと、奈々は肩をすくめた。
「それじゃあ……散らかってますが、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
奈々が玄関をくぐってうちの中に入ってくる。見慣れた玄関なのに、奈々がいるだけでまるでそこが知らない場所のように思えた。




