第30話
――一方その頃、用務員室では。
「ほら、どうなの奈々!」
「早く答えちゃいなよ!」
あかりとカホにせがまれた奈々が、戸惑いながら口を開いていた。
「アタシは……」
ふと、驚きでこわばっていた奈々の表情が柔らかくなる。
「……アタシには、悠斗がいるから」
奈々の答えに、盛り上がっていた用務員室はしんと静まり返った。
「悠斗って……秋津? え、奈々は、ミナトくんと秋津を比べて、秋津を選ぶってこと?」
困惑を顔に浮かべたあかりが問いかけると、奈々は頬を赤らめた。
「う、うん……悠斗は、アタシの理想のサイコパスだから……」
「え、え……? だから、サイコパスならミナトくんでもいいでしょ? 現に今、ミナトくんは秋津にサイコパス勝負で勝ったわけで……」
奈々はふるふると首を横に振る。
「勝負の勝敗は、ぶっちゃけどうでもいいんだ。アタシは悠斗がいいの。……悠斗じゃなきゃ、ダメなの」
「……意味わかんない、なんでそこまで……?」
カホの質問に、奈々は目を細めた。ゆるりと唇が弧を描く。
「……悠斗は、必ずアタシを助けてくれるから」
誰も言葉を発することが出来なかった。耳鳴りがするほど静かな用務員室の中で、沈黙を破ったのはミナトだった。ため息を吐き、ミナトは口を開く。
「まあ、奈々ならそう言うと思ってたよ。奈々の秋津くんへの想いは、散々聞いていたし」
「えへへ……」
照れ笑いをする奈々を少し寂しげな目で見つめてから、ミナトは肩をすくめる。
「とはいえ、僕も別に諦めるつもりはないよ。奈々は秋津くんは必ず自分を助けてくれると言うけれど、僕だって奈々がピンチの時には手を差し伸べるつもりだし」
ミナトの王子様のような言葉に、主に男子生徒から冷やかすようなヤジが飛ぶ。それを手で制してから、ミナトは奈々に向き直った。ミナトの目が真剣になる。
「――奈々。僕は君を、迎えに来た」
「迎えに?」
「ああ。……僕と一緒に、アメリカに来て欲しい。もちろん、僕のフィアンセとして」
衝撃的な言葉に、男子のヤジも鳴りを潜めた。全員が固唾を飲んで、ことの成り行きを見つめる。
「約束するよ、奈々。君がピンチになった時、僕は必ず君を助ける。だから僕が君の手を掴んだその時には、僕を"本物のサイコパス"だと認めて欲しい」
「アタシは……」
奈々は二の句を継げず、閉口する。困ったように眉を下げる姿を見て、ミナトは目を細めた。
「……考えておいてほしい。いつか、その時が来るまで」
――
ミナトの公開プロポーズの後、興奮冷めやらぬ様子でクラスメイト達は教室へと戻っていく。もちろん、用務員室から盗まれた私物を持ち帰るのは忘れない。
机の上に並べられた盗品が減っていくのを眺めながら、奈々は目を伏せた。
「奈々、どうしたの? いくよー」
アヤノが奈々に声をかける。
「……うん」
アヤノの言葉に頷きながら、奈々は再び机の上に視線を向ける。
(――ないな、アタシのハンカチ)
机の上に、盗まれたはずの奈々のハンカチはなかった。
(ハンカチが盗まれた時、確かに鞄に入れてあったはずなんだよね。でもハンカチはなくなって、カバンは閉まってた。カラスがわざわざ、盗んだ後に鞄を閉めたりするかな……? それにハンカチなんて、キラキラしたものでもないし……)
ミナトの推理に、奈々はずっと疑問を持っていた。他のクラスメイトの盗難事件はミナトの推理で十分説明できる。しかし、ミナトが列挙した盗品の特徴に、奈々のハンカチだけは当てはまっていなかった。
ただ、盛り上がるクラスメイトを前に、奈々はそれを指摘できなかったのだ。
(悠斗は……?)
奈々は辺りを見回す。悠斗なら、ミナトの推理の矛盾に気づいてくれるのではないだろうか。そう思ったが、いつの間にか悠斗の姿はどこにもなかった。
「奈々ー?」
もう一度、アヤノが奈々の名前を呼ぶ。
「ごめん、今行く」
用務員室を出て、教室に戻ろうとしたその時。どこからか刺すような視線を感じて、奈々は足を止めた。ゆっくりと周囲を見渡すが、どこにも異変は見当たらない。
「……どうしたの?」
奈々の不審な様子に、アヤノたちが心配そうに奈々の顔を覗き込む。慌てて奈々は首を横に振って、にっこりと笑ってみせた。
「なんでもない! 勘違いだったみたい」
「……そう? なら、いいんだけど……」
アヤノは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに歩き出した。
その背を追いかけるように歩きながら、奈々はもう一度周囲を見渡す。しかし、やはり何もおかしなところは見つけられない。
(……気のせい、だよね)
無理やり自分を納得させ、奈々はアヤノたちとのお喋りに興じ始めたのだった。
――その姿を、遠くから何者かに監視されているとも知らずに。




