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第22話

「ゆいと!」


「……おかあさん」


 少年の声が震える。肩から降ろしてやると、少年は母親へと駆け寄った。


「おかあさん、おかあさん……!」


 母親も駆け寄ってきて、少年を抱きしめる。少年は母親の肩に顔を埋めて、声を上げて泣いた。


「ごめんね、目を離して。怖かったね」


「ぼくこそ、ごめんなさいぃぃ……」


 ぐすぐすとしゃくり上げる少年と、安心しきった顔で少年を抱きしめる母親を見つめてから、僕は二人に背を向けた。

 いそっぷ橋の前を通って、またこども動物園へと向かう。と、道中のベンチに奈々が座っていた。


「おかえり」


 奈々は僕を見て微笑んだ後、ぷくーっと頬を膨らませる。


「ひどいよ、返事も聞かずに置いていくなんて」


「ごめんごめん。二人で動き回る必要はないかなと思ってさ」


 笑いながら謝ると、奈々は困ったように眉を下げた。


「んもー、悠斗らしいけどね、そういうの。なんて言うんだっけ、タイパ?」


「そう、タイパ重視」


 僕の言葉に吹き出した後、奈々は首を傾げる。


「でも効率で言うなら、わざわざ悠斗がお母さんを探す必要はなかったんじゃない? 探し回るのだって疲れるでしょ?」


「ああ、まあそうなんだけどさ……」


 なんと言ったものか、と考えあぐねてから、僕は肩をすくめる。


「……ほら、母親がインフォメーションセンターを離れて子どもを探しているとすると、インフォメーションセンターに子どもを預けてから母親が戻ってくるまでに、タイムラグがあるだろ?」


「うん」


「……そうしたらその間、あの少年が寂しくて不安になるんじゃないかと思ったんだよ。それを考えると、直接探しに行く方が良いと思ってさ」


 いかにも凡庸な、サイコパスらしくない答えだ。さて、奈々にどう思われるだろうか――と思っていたが、奈々は僕を見つめたまま、微動だにしなくなった。


「……奈々?」


 呼びかけると、奈々の瞳が揺れる。その瞳は僕を見つめていながら、どこか遠くを見つめているようにも見えた。


「……やっぱり」


「うん?」


「……ううん、なんでもない」


 奈々は微笑んで、緩く首を振った。奈々がベンチから立ち上がる。奈々の背後にある不忍池は、沈みかけた夕陽を受けてオレンジに輝いていた。


「そろそろ帰ろっか」


「いいのか? まだ全部見てないだろ?」


「うん。アタシは何回も来てるし。悠斗も歩き回って疲れたでしょ」


 奈々の言葉に、思わず苦笑する。普段休みの日はゴロゴロしているばかりなので、正直足がパンパンだった。


「そうだな。他はまた見に来ればいいか」


「うん、また来ようよ。何回でも」


 奈々が僕に手を差し出してくる。僕が手を差し出し返すと、奈々は指を絡めて握った。

 不忍池の横を通って、行きに通った正門ではなく弁天門へと向かう。道中、歩きながら奈々がしなだれかかってきた。


「どうした? 疲れたのか?」


「ううん」


 奈々はふるふると首を横に振る。顔を覗き込むと、心なしか頬が赤いような気がした。


「顔、赤くないか? 熱でもあるのか?」


「ないない。夕陽のせいじゃないかな」


 夕陽のせいと言われれば、そうかもしれない。納得しつつも、不審な奈々の様子が気になって何度も顔を覗き込んでしまう。


「もう、こっち見すぎ」


「いやだって、具合悪いとかなら心配になるだろ」


「具合悪くないよ、元気」


 奈々は目をぱちぱちと瞬かせる。


「今、とっても幸せ」


「幸せ?」


「うん、悠斗と一緒にいられて、幸せ」


 とんでもない口説き文句に心臓がどくんと跳ねた。動揺を悟られないように奈々の顔を覗き込むのをやめ、正面を見据える。


「んん、そうか……そうか……」


 変に絡んだ痰に咳払いすると、奈々がくすくすと笑った。

 弁天門を通ると公園に出る。右手に見える不忍池辯天堂を横目に、左側の道路を渡った。このまま上野公園を突っ切って行けば上野駅だ。


 もうデートが終わってしまうのか、と少し寂しい気持ちになる。でも奈々は、また何回でも来ようと言ってくれた。何回でも。その言葉に思わず小躍りしそうになる。これからもずっと、僕と遊びに行ってくれる気なのか。


 次は動物園以外の場所でもいい。奈々が行きたいならどこでも行こう。水族館でも遊園地でも。希望を言えるなら、プールで水着姿なんて見れるといいな、なんて思ってしまうが。


 などと不埒なことを考えているうちに、上野公園を抜けていた。道路を挟んで向こう側にアメ横が見える。


「奈々の家はアメ横の方に歩いていくんだっけか」


「うん、向こう突っ切ってすぐだよ」


「そうか……」


 これは送って行った方が良いのだろうか。いやでも、家までついてくるのキモイとか思われるかもしれないし……などと考えているうちに、奈々の指が僕の手からするりと離れた。


「今日は楽しかった、またね悠斗」


「……ああ、うん、またな」


 奈々は小さく手を振って、信号を渡って行ってしまう。その背中が小さくなるまで見送ったあと、僕は奈々に背を向けて、上野駅に向かって歩き出した。

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