第17話
上野動物園。正式名称を恩賜上野動物園。
説明するまでもない、日本で最も古い動物園である。パンダがいる動物園としても有名だったが、現在はパンダの展示はなくなっている。
正門は上野公園内にあり、休日の開園前にはそこそこの列が形成される。上野の人気レジャー施設だ。
その正門口付近にあるパンダのポストの横に立ち、先程からソワソワしている男子高校生がいる。僕だ。
奈々から指定された待ち合わせの時間にはまだ余裕がある。決して浮き足立って早く来たという訳では無い。
世間的にはデートの待ち合わせで女の子を待たせるのは大罪らしいので、電車の遅延を見込んで早めに来ただけである。
先程から何度も確認しているスマホ画面をまた開く。九時二十五分。待ち合わせの九時三十分までもうすぐだ。
「お待たせ〜!」
と、斜め後ろから聞きなれた声が響いてきた。声のする方向に体ごと向くと、奈々が走ってきていた。当然と言えば当然だが、私服姿だ。鎖骨と肩がありえないほど晒された私服に、思わず瞬きを繰り返す。
「……寒くないのか、それ」
やっとの思いで絞り出した言葉に、奈々は不思議そうな顔をして首を傾げる。
「えー? 今日最高気温二十八度あるし、オフショルでも平気じゃない?」
オフショル、オフショルダーの略らしい。奈々と出会ってから、ファッションへの造詣がやや深まっている。
「もうすぐ開園だし、行こっか?♡」
奈々は駆け寄ってきて、当たり前のように僕と腕を組む。そろそろ当たり前になってきた奈々の行動だが、今日は私服だ。しかもオフショルの。視界の端に映る肌色面積の多さに、僕は思わず天を仰ぎ見た。
「悠斗? どうしたの?」
「……いや、なんでもない。行こうか」
歩き出すと、奈々が嬉しそうに肩に頭を寄せる。女子特有の柔らかいシャンプーの香りに鼻をくすぐられながら、チケット売り場へと向かう。
「学生二人で」
「はい、楽しんでくださいね」
チケット売り場の女性に笑顔で見送られ、園内へと足を踏み入れる。
入ってすぐの場所にはちょっとした広場があり、トイレやコインロッカーなどが設置されている。
確かトイレの近くには小鳥の展示があったなと目を向ければ思った通り、コンクリートでできた小さい展示スペースがあった。
上野動物園に来るのは小学校の遠足以来だが、記憶の中にあるそれと大きく変わってはいないようだ。強いて言うなら記憶より広場が狭く感じるが、それは僕が成長したんだろう。
「確か、ちょっと行った先でお土産とかが売ってるんだよな」
「うん! でも荷物になるし、お土産は西園の方で買わない?」
「ああ、そうしよう」
広場を過ぎ、土産物屋も通り過ぎると、その先に謎の建造物が現れる。東南アジアや仏教を思わせるデザインの建物で、柱と屋根だけがあって四方が吹き抜けになっている。
「なあ、あれって何か知ってるか?」
僕が建物を指差すと、奈々は得意げに胸を張る。
「サーラータイって言うらしいよ。タイとの修好宣言? の記念に、タイから贈られたものなんだって」
「へぇ、知らなかった。上野動物園の中にも歴史的な建造物があるんだな」
奈々はうんうんと頷きながらサーラータイを見上げる。
「上野動物園も恩師公園の一部だからね!」
奈々の横顔はどこか誇らしげだ。奈々は地元トークをする時、よく顔を輝かせて喋る。よほど地元が好きなんだろう。地元に何の愛着もない僕からすると、少し羨ましい。
「とりあえず近くのアジアゾウを見てから、旧正門の方通って端から見る感じでいいかな?」
「奈々に任せるよ。僕より断然詳しいだろうからな」
「任せて!」
奈々はパッと顔を輝かせ、僕の腕を引く。あまりグイグイと引っ張られると、弾みで二の腕に柔らかいものが当たってしまうのだが。
アジアゾウの展示へと向かう。アジアゾウは朝ごはんを食べたばかりなのかご機嫌だった。大きなおしりをユサユサと振りながら、柵の中を闊歩している。
「ゾウっていつ見ても大きいよね! それにパワフル! ゾウが出るホラー映画って観たことないけど、凶暴化したゾウが街を襲う、とかなら普通に怖そうじゃない?」
奈々は僕の腕を離して柵を掴み、身を乗り出すようにしてゾウを眺める。ぴっちりとした細身のジーンズが綺麗なヒップラインを浮き彫りにしているのを眺めながら、僕は口を開く。
「B級映画感が否めない。怖がったらいいのか笑ったらいいのか、分からないだろ、それ」
「えー、そうかなぁ?」
不服そうに首を傾げながら、奈々は戻ってくる。かと思えば機嫌よく、また寄り添うようにして腕を組んでくる。
「この先に行くと猛禽類と、カワウソの展示だね」
「お、カワウソか」
聞きなれた名前に、自然と足が早くなる。丸い檻の前に半透明の箱のようなものが設置されたカワウソの展示が現れる。手前の箱は檻と筒状の通路で繋がっていて、運が良ければ手前の透明な箱までカワウソが出てくる仕組みになっている。
今は透明の箱にはカワウソはいないようだ。丸い檻の奥を覗くと、カワウソが数匹集まっていた。短い前足でくしくしと、頭の毛繕いをしている。
「おお……!」
僕の声に反応して、カワウソが顔を上げる。つぶらな瞳でこちらを見て、こてんと首を傾げる。ちょっと奈々みたいだな、なんて感想が頭に浮かんだ。
「悠斗、カワウソ好きなんだ。可愛いよねっ」
横から奈々が僕の顔を覗き込んでくる。ニコニコとしているが、本心は分からない。カワウソが好きなんてサイコパスっぽくないと思われているんじゃないかと、慌てて僕は口を開いた。
「い、いや、別に可愛いから好きなわけじゃない。ほら、カワウソって獲物を捕食するとき、結構猟奇的な顔するだろ? そこに惹かれるっていうか……」
「うんうん、確かに。そんなところも含めて可愛いよね!」
奈々は目を細めて微笑んだ後、カワウソの檻に目を向ける。
「あ、奥の子、のびーってしてる! 可愛い〜!」
きゃっきゃとはしゃぐ様子からして、僕がカワウソを好きなことはあまり気にしていないようだ。むしろ変に気にしすぎているのは僕の方だ、と嘆息する。もう少し肩の力を抜いて、素直にデートを楽しんでもいいのかもしれない。




