第15話
「その人って……確かこの前事故にあった人だよ」
「事故って……」
奈々の言葉を繰り返す土田さんの唇が震える。その様子を見て、奈々は慌てたように首を振った。
「あ、違う違う! そんな大した事故じゃないよ! ただ足の骨を折っちゃったらしくて、入院中なの」
「ああ、そうなんだ……良かった……」
ほっとした様子で胸を撫で下ろす土田さん。何やら最悪の事態を想定していたようだ。全く想像力が豊かなことこの上ない。そもそも死者が出るような大それた事故なら、僕らも知っているはずだろうに。
「じゃあ、その入院先の病院に届ければいいか」
再度ノートを手に歩き出した僕を、今度は前から奈々が、後ろから土田さんが囲む。きゅっと唇を引き結び、真剣な顔で奈々が僕を睨む。
「ダメだよ悠斗!」
「何がだよ」
止められる理由がわからず首を傾げると、そーだそーだと後ろから土田さんの声が響く。
「そのノートは、白井先輩ともう一人の誰かの、秘密のノートなのよ。届けてしまったら、アタシたちが暗号を解読したってことがバレちゃうじゃない」
「そりゃまあ、そうだろうが」
言外に何が問題か分からないという気持ちを含めて返答すれば、土田さんは呆れたように目を細める。
「あんた、ロマンの欠片もないのね……」
突然批判された理由も分からないまま、土田さんは僕の手からノートを取り上げる。
「とにかく、これは図書委員で預かってる落し物だから。勝手なことは許さないわよ」
僕から奪ったノートをカウンターの抽斗にしまい、土田さんは思い出したようにポケットから鍵を取り出した。抽斗の鍵を閉めてから、ドヤ顔でこちらを見つめてくる。PCを勝手に操作したことを恨んでいるようだ。
「直接渡す方が、手っ取り早いのになぁ」
ぽつりと呟くと、途端に奈々が吹き出す。その横で、土田さんは何とも言えない表情を浮かべた。
「なんだよ」
「ううん、今日も悠斗は最高だなって思っただけ♡」
奈々がにっこりと笑うが、意味がわからない。落とし物の持ち主が見つかったのだ。しかもそのノートは告白のページで止まっている。届けてあげるのが、誰にとっても手っ取り早いと思うのだが。
しかしどうあれ、奈々は納得してくれたようだ。今回も他のサイコパスに奈々を奪われることはなかった。それどころか、奈々は上機嫌に僕の手を取る。
「なんか交換ノート見てたら、アタシも交換ノートはじめたくなっちゃった! ねえ悠斗、ノート買いに行かない?」
「交換ノートって……今どきそんなの、やるやついるのかよ」
「いいじゃん! レトロで可愛いじゃん!」
言い合う最中、ふと奈々の指が僕の指の間にすっと差し込まれる。そのまま奈々の手がぎゅっと握られた。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。理解が追いつかずに目を瞬かせる僕を見つめ、奈々は悪戯っぽく笑う。
「……ダメ? なんか、今日はそういう気分なんだけど」
繋がれた手の甲を、奈々の爪が甘えるように軽く引っ掻く。爪が当たったところが熱を持ったようにじんじんと疼いて、思わず生唾を飲み込んだ。
「ダメじゃ、ない、デス」
「そっか、良かった♡」
奈々の手に引かれるまま、図書室を後にする。去り際、奈々は土田さんの方を振り返った。
「またね、つーちゃん!」
「……奈々、こんなこと言うのはお節介かもしれないけど」
土田さんが奈々を見つめて重い口を開く。その瞳は完全にしらけ切っていた。
「あんた、ほんと男の趣味悪いわ」
「えー、それって、悠斗をほかの女に狙われる心配がないってコト? ラッキー!」
奈々はケタケタと笑ってから、図書室の扉に手をかける。
「ホント良かった、皆の趣味と、アタシの趣味が合わなくて」
一瞬奈々の喋りから、いつもの軽薄さのようなものが消えた。低く淡々とした話し方をする奈々がどんな顔をしているのか、僕の位置からでは窺えない。
ただ、奈々の肩越しに見えた土田さんの顔が、ひどく引き攣っていた。何か嫌なものを見たと言わんばかりに、土田さんは目を逸らす。
「……破れ鍋に綴じ蓋、ね」
ガラガラと音を立てて図書室の扉が閉まる。奈々はひとつ息を吐いた後、こちらを見上げた。整った顔には、いつもの笑顔が浮かんでいる。
「じゃあ、行こっか!」
歩き出そうとした奈々の腕を引いて足止めする。キョトンとした様子で振り返った奈々に、僕はずっと気になっていたことを聞くことにした。
「なあ、奈々は何で、サイコパスが好きなんだ?」
僕の質問に、奈々は目を丸くした。少し考える素振りを見せたあと、奈々は首を傾げる。
「サイコパスなら、困ってる時に救ってくれそうな気がするから、かな?」
「サイコパスが? そんなわけないだろ」
あまりにも僕の中のサイコパス像と違う奈々の言葉に反論すると、奈々は唇を尖らせた。
「えー、そうかな? サイコパスなら閉じ込められてても、ドアとかバーンってぶち破って、助けに来てくれそうじゃん」
「いやいや、そういうのはヒーローの役目だろ」
「いいの! アタシにとっては、サイコパスってそういうものなんだから」
この話は終わり、と奈々は今度こそ僕の手を引いて歩き出す。目の前でぴょこぴょこと跳ねるツインテールを見つめながら、僕は内心独りごちる。
――じゃあ、いつか君を救ってくれる別の誰かが現れたら、今度はその人の手を取るのか?
――
「――そうそう、今回も悠斗の大手柄ってわけ。すごいよね」
薄暗い部屋に奈々の弾んだ声が響く。部屋のデジタル時計は深夜一時を示していた。普通なら非常識な時間だが、電話の相手との時差を考えればベストなタイミングである。
「最後に秘密のノートを本人に突きつけようとしちゃうのが、いかにも悠斗っぽいよねぇ。空気読めないっていうか、そういうところがホント好き♡」
目を蕩けさせて宣う奈々に、電話口の相手が失笑する音がイヤホンから微かに漏れ出る。
「……え? 彼氏? だから違うって、悠斗とはそんなんじゃないよ。ただの友達!」
慌てたように答えて、奈々は足を無意味にバタバタと動かした。
「そっちこそ、アメリカでめちゃくちゃセクシーな美女と付き合ったりしてるんじゃないの?……えー、ほんとかな?」
キャッキャとはしゃいだ様子で奈々は会話を続ける。が、電話越しの相手が何かを言った瞬間、奈々は驚いて目を見開いた。
「……え、そうなの? うっそ、本当に! うわぁ、楽しみ!」
膝を抱えるようにしてベッドの上で体育座りになり、奈々は目を細める。
「うん、日本に来たら、またいっぱい遊ぼうね!……オススメ? えー、どこにしよっかなぁ」
楽しげな会話は留まることを知らず、結局奈々が通話を切った時には朝日が昇っていたのだった――




