森の王
角が育つ。
日に日に、はっきりと。
ワイの頭にある米粒みたいな突起は、今や小指の先くらいの大きさになっとった。形も丸い瘤から、前方に僅かに反った角らしいシルエットに変わりつつある。先端は尖って、触れると硬い。体表の柔らかい皮膚とはまるで別物の、鉱物みたいな質感。
それだけやない。
体全体が変わってきとる。
乳白色やった体表に、うっすらと色が乗り始めた。暗い、赤褐色に近い色。まだ斑に薄く浮かんどるだけやけど、幼虫の透き通った体が少しずつ「甲殻」と呼べるもんに変わろうとしとるのが分かる。
そして、静電気。
もはや「静電気」と呼んでええのかも分からん。体表を常に電気が走り回っとって、湿った落ち葉に触れるとばちっと火花が散る。近くの小さな蟲が、ワイの体に触れた瞬間に痺れて動かんくなったこともあった。
ワイの体の中で、何かが閾値に近づいとる。
溜まっとるんや。何かが。菌類から摂った魔素か、それとも別の何かか。ダムに水が溜まるみたいに、少しずつ、着実に、限界に向かっとる。
ガゼンはそれを黙って見とった。
毎朝、ワイの角の芽を鋏腕で確認する。体表の色の変化を観察する。静電気の強さを測るように、甲殻をワイの体に近づける。
何も言わん。ただ見とる。
でも、あの目の奥の光は日に日に強くなっとった。
* * *
変化が起きとるのはワイだけやなかった。
ルリハの傷が、かなり回復した。
折れとった脚の二本が、まだ完全やないけど動くようになった。破れた翅も薄い膜が張り直されて、短い距離なら飛べるまでに戻っとる。体の毛並みもふわふわ感が復活して、瑠璃色が鮮やかさを取り戻しとった。
ルリハが飛べるようになったことで、ワイらの偵察範囲は一気に広がった。ルリハは音を立てずに飛べるから、上空から窪地周辺の地形を確認して、光の点滅でワイに伝えてくれる。
ワイの地上からの観察と、ルリハの空からの偵察。ガゼンの鉄脚震による地中の探査。三匹の情報を合わせると、朽葉の森の全体像がだいぶ見えてきた。
そして、見えてきたからこそ分かったことがある。
この森には、ワイらが知らん領域がまだある。
森の南側。日当たりがよくて、岩場が点在する開けた領域。ワイがずっと避けとった、蜥蜴たちの縄張り。
ガゼンに聞いた。あの南側には何がおるんや、と。
ガゼンの蟲音が重くなった。
「大きい」「蜥蜴」「森」「王」
森の王。
ガゼンの記憶の中に、その存在がおるらしい。
朽葉の森を支配する大蜥蜴。F級の上位。体長はガゼンの半分ほどやけど、この森に棲む生き物の中では頂点に近い捕食者。普段は南の岩場で日向ぼっこしとって、滅多に北側には来ん。
でも、季節が変わると獲物を求めて北に移動することがある。
ガゼンはそう告げた後、ワイを見た。
「気をつけろ」
短い一言。でもガゼンがわざわざ「気をつけろ」と言うということは、相当ヤバいということや。
ワイは頷いた。南には近づかん。少なくとも今は。
* * *
それから二日後。
ルリハが偵察から戻ってきた時、翅が赤紫に染まっとった。
警戒色。
ルリハの光の信号を読む。「南」「大きい」「動いた」。
ワイの背筋が凍った。
大蜥蜴が動き始めた。南の岩場から北に向かって移動しとる。
ガゼンに伝えると、ガゼンは地面に脚を叩きつけた。鉄脚震。大地の振動から情報を読み取る。
しばらくして、ガゼンが低い蟲音を出した。
「まだ遠い」「でも、来る」
来る。
森の王が、北へ向かっとる。ワイらの窪地の方向に。
ガゼンはワイとルリハを見回して、短く告げた。
「儂がおれば、あの程度は問題ない」
D級のガゼンにとって、F級上位の大蜥蜴は格下や。正面から戦えばガゼンが勝つ。
でも、ワイは別のことが気になっとった。
大蜥蜴が北に来るということは、大蜥蜴の縄張りだった南側が空くということや。南側の岩場には、日光を好む蜥蜴がぎょうさん集まっとる。その中に――
雷蜥蜴。
あの日、群れを襲いかけた、体に青白い電気を走らせる蜥蜴。
大蜥蜴は森の王やから、雷蜥蜴も大蜥蜴には逆らえへんはず。大蜥蜴が北に移動したら、南側の蜥蜴たちの行動パターンも変わるかもしれん。
なんでそんなことが気になるのか、自分でもよう分からんかった。
ただ、体の奥底で何かがざわついとった。あの雷蜥蜴を見た時と同じ。ワイの体を走る静電気と同じ種類の力を持つあいつを見た時の、あの感覚。
引き寄せられるような。
食いたい、とすら思えるような。
……食いたい?
ワイは自分の感覚に驚いた。何を馬鹿なことを。あの蜥蜴はワイの何倍もでかいんやぞ。幼虫が蜥蜴を食うなんて、どう考えても無理や。
でも、ざわつきは消えへんかった。
* * *
大蜥蜴が北に向かっとるという情報を受けて、ワイらは警戒態勢に入った。
ガゼンが窪地の入り口に陣取り、ルリハが上空から監視。ワイは地上での索敵を担当。
でも、大蜥蜴はすぐには来んかった。
ルリハの偵察によると、大蜥蜴は北に向かいながら途中で何度も立ち止まっとる。獲物を探しながらゆっくり移動しとるらしい。到達まであと一日か二日はかかるやろう。
その間に、ワイは一つの決断をした。
南に行く。
ガゼンに言うたら絶対に止められる。ルリハにも心配される。でも、ワイの中のざわつきがどうしても収まらん。
大蜥蜴が北に行っとる今、南側は普段より安全なはずや。雷蜥蜴を含む小型の蜥蜴たちは、王がおらんくなったことで行動パターンが変わっとるはず。混乱しとる今なら、観察できるかもしれん。
いや、観察だけやない。
ワイは、あの雷蜥蜴に近づきたいんや。
なんのためにかは、自分でもまだ分かっとらん。ただ、体が言うとる。行け、と。近づけ、と。
早朝、ガゼンとルリハがまだ眠っとる時間に、ワイはこっそり窪地を出た。
* * *
南への移動は、北西の密林とは全然違った。
木々の間隔が広がり、地面に日光が差し込む。落ち葉の層が薄くなり、代わりに苔むした岩が増える。空気が乾いて、温かい。
鳥の縄張りに注意しながら、日陰を縫って進む。ワイの体表には常に電気が走っとるから、小さな蟲や虫が近づいてこん。一種の結界みたいなもんや。
岩場が見えてきた。
大小の岩が積み重なった、開けた空間。日当たりがよくて、岩の表面が陽光で温まっとる。
蜥蜴たちがおった。
小型の蜥蜴が何匹か、岩の上で日を浴びとる。普段ならもっと秩序立った配置なんやろうけど、今日はなんとなく散らばっとる。大蜥蜴がおらんくなったことで、縄張りの境界が曖昧になっとるんやろう。
その中に。
おった。
雷蜥蜴。
暗い灰色の鱗に青白い筋。体長はワイの五倍ほどの小型種。以前見た大きな雷蜥蜴やなくて、もっと若い個体やろう。でも、鱗の間を走る青白い光は本物の電気や。
ワイは岩の影に隠れて、雷蜥蜴を観察した。
そいつは岩の上でぐったりしとった。動きが鈍い。目が半開き。体の電気も弱々しい。
弱っとる?
よく見ると、雷蜥蜴の脇腹に傷がある。何かに噛まれたような跡。大蜥蜴にやられたんやろうか。
弱った雷蜥蜴。ワイの五倍の体。でも、今の状態なら――
体の中のざわつきが最大になった。
食え。
本能が叫んどる。あいつを食え。あいつの中にあるもんを取り込め。
あの青白い電気。ワイの体を走る静電気と同じ根っこのもん。あれを取り込んだら、ワイの中で何かが変わる。
確信があった。根拠はない。理屈もない。ただ、ワイの全身がそう告げとる。
でも、ワイは動かんかった。
食える。多分、食える。弱っとる今なら。
でも、一匹で行くのは危ない。失敗したら死ぬ。ワイの体はまだ幼虫で、甲殻も完成してへん。雷蜥蜴が最後の力を振り絞って反撃してきたら、終わりや。
考えろ。ワイの武器は頭や。
雷蜥蜴の位置。周囲の地形。他の蜥蜴との距離。逃走経路。
そして――仲間の力。
ワイ一匹では無理でも、三匹なら。
ガゼンの鉄の甲殻と毒針。ルリハの光糸と偵察。ワイの知恵。
三匹で、あの雷蜥蜴を狩る。
ワイは体を翻した。窪地に戻る。ガゼンとルリハに伝える。
勝手に出てきたことを怒られるかもしれん。いや、絶対怒られる。ガゼンの「甘い」が何発飛んでくるか分からん。
でも、ワイの中の確信は揺らがんかった。
あの雷蜥蜴を喰ったら、ワイは変わる。
何に変わるのかは分からん。でも、変わる。
体を必死にうねらせて、北へ戻る。窪地を目指して。仲間の元へ。
角の芽が、体の動きに合わせて微かに振動しとった。
まるで、早く行けと急かすみたいに。
次回「第9話:初めての狩り」
――三匹の知恵と力を合わせた、雷蜥蜴との戦い。そしてグロウの体に、決定的な変化が訪れる。




