表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/26

雷蜥蜴と益虫

ワイが樹皮の隙間を拠点にし始めてから、何日か経った頃のことや。

 その日は朝から空気がおかしかった。

 湿度が高い。風がない。木々の葉がぴくりとも動かんと、重たい空気が森の底に溜まっとる。こういう日は捕食者の動きが鈍くなる――というのは、ここ最近の観察で分かっとったことや。

 鳥は来ない。少なくとも朝の巡回は来なかった。

 代わりに、別のもんが来た。

 蜥蜴や。

 それも、普段見かける小型のやつやない。

 体長はワイの十倍以上。鱗は暗い灰色で、ところどころ青白い筋が走っとる。目が異様にぎらぎらしとって、舌をちろちろと出しながら地面を這い進んでくる。

 ワイは樹皮の隙間から見ただけで、全身が固まった。

 ――あかん。あれはヤバい。

 今まで見たどの蜥蜴とも、体から漂うもんが違う。空気がびりびりしとる。あの蜥蜴の周りだけ、空気が震えとるのが分かる。

 雷蜥蜴。

 もちろんその時のワイは名前なんか知らんかったけど、あの蜥蜴の体を走っとる青白い筋が、ワイの体表を時々走る「ぴりっ」と同じ種類のもんやということだけは、本能的に分かった。

 ただし、規模が全然違う。ワイのは火花にもならんくらいのちっぽけな静電気。あいつのは、鱗の間から青白い光が漏れるほどの、本物の電気。

 雷蜥蜴は地面をゆっくりと進みながら、獲物を探しとった。

 そして、その進路の先に――ワイの元の群れがおった。

 幼虫たちはいつも通り、何も気づかずに腐葉土を齧っとる。あの蜥蜴の接近に誰も気づいてへん。当たり前や。あいつらは目の前の飯しか見てへん。

 ワイは樹皮の隙間から動かんかった。

 ここにおれば安全や。蜥蜴は幹を登ってこん。あいつが群れを襲っても、ワイには関係ない。

 ――関係、ない。

 そう思おうとした。

 思おうとしたのに、体が動かへんかった。逃げることも、目を逸らすこともできんと、じっと蜥蜴の進行を見つめとった。

 あの群れの中に、ワイの「仲間」はおらへん。一緒に考えてくれる奴はおらへん。ワイが消えても誰も気づかんし、あいつらが消えてもワイは――

 ――覚えてしまう。

 食われた奴のことを、ワイは忘れられへん。

 あの日の蜥蜴に食われた幼虫。鳥に咥えられた幼虫。全部覚えとる。覚えてしまう。この頭が勝手に覚えてしまう。

 今ここで見てるだけやったら、また覚えてしまう。何匹も何匹も食われていくのを、黙って見とったことを。

 ……くそ。

 考えるな。動くな。ワイは最弱の幼虫や。あの蜥蜴に勝てるわけがない。

 でも。

 頭がぐるぐる回る。止まらん。

 蜥蜴の進路。速度。群れの位置。蜥蜴が到達するまでの時間。群れの幼虫たちが逃げるのに必要な時間。蜥蜴の死角。蜥蜴が嫌がるもの。

 ――ある。

 一つだけ、方法がある。

    * * *

 ワイは樹皮の隙間から飛び出した。

 飛び出した、いうても幼虫の全力移動なんかたかが知れとる。体を縮めて伸ばして、縮めて伸ばして、柔らかい体全体をうねらせるようにして地面を這う。ちっぽけなイモムシの必死の前進や。目指すのは群れやない。群れの手前にある、大きな朽木の塊。

 数日前に倒れた枯れ木が、まだ完全には腐りきっとらんで地面に横たわっとる。その木の表面に、ワイは見つけとった。

 燐光苔。

 夜になると光る苔の一種で、刺激を与えると強い光と刺激臭を放つ。蜥蜴の類は目が良い分、急な光に弱い。朽葉の森の暗い地面で急に光られたら、一瞬は怯むはずや。

 「はず」。

 確証はない。やったことないから当たり前や。でも他に方法がない。

 朽木に取りつく。体を押しつけるようにして、燐光苔の塊に何度も体当たりした。

 ばちっ。

 苔が弾けた。

 淡い緑色の光が朽木の表面にぶわっと広がり、同時に刺すような臭いが辺りに充満する。

 雷蜥蜴が、ぴたりと動きを止めた。

 頭を持ち上げ、光の方を向く。ぎらぎらした目が眩しそうに細まった。

 ――効いた。

 一瞬の怯み。でもそれだけでは足りん。蜥蜴はすぐに慣れる。

 ワイは苔を蹴り続けた。ばちばちと光が弾ける。体中が燐光にまみれて、ワイ自身が光る物体みたいになっとる。

 蜥蜴がこっちを見た。

 目が合った。

 冷たい、爬虫類の目。ワイの存在を認識した。ちっぽけな、光る幼虫を。

 ――来い。こっち見ろ。群れから目を逸らせ。

 蜥蜴がゆっくりとワイの方に向き直った。獲物の判定をしとるんやろう。光って鬱陶しい小虫が一匹。食う価値があるかどうか。

 その間に、群れの方で変化が起きた。

 燐光苔の匂いは蟲にとっても刺激になる。群れの幼虫たちが異臭に反応して、もぞもぞと地面に潜り始めた。考えて逃げたんやない。臭いから逃げただけ。でも結果は同じ。蜥蜴が群れに到達する前に、大半が土の中に消えた。

 問題はワイや。

 蜥蜴がワイの方に一歩踏み出した。

 走った。

 もう後のことは考えてへん。体を限界まで伸縮させて、がむしゃらに朽木の反対側へ回り込む。蜥蜴の体はでかいから、朽木の隙間には入れへん。ワイの小ささが有利に働く数少ない場面。

 朽木の下に潜り込む。狭い。暗い。土の匂い。

 蜥蜴の爪が朽木の表面を引っ掻く音がした。がりがりと。木の破片が降ってくる。

 心臓が止まるかと思った。

 でも蜥蜴は朽木を壊すほどの力は出さんかった。しばらくがりがりやった後、興味を失ったのか、のそのそと離れていく足音がした。

 ……助かった。

 朽木の下で、ワイはしばらく動けんかった。

 全身が震えとる。脚が痙攣しとる。体表の静電気がいつもより激しくばちばち弾けとって、朽木の裏側が微かに帯電しとった。

 怖かった。死ぬかと思った。

 でも、生きとる。

 群れも、多分大半は助かった。

    * * *

 夕方、群れのところに戻った。

 幼虫たちは何事もなかったかのように腐葉土を食っとる。ワイが助けたことなんか、誰も知らんし、知る能力もない。

 それでええ。

 感謝されたかったわけやない。ワイが勝手にやったことや。勝手に飛び出して、勝手に光って、勝手に生き延びた。

 ただ――一つだけ、変わったことがあった。

 群れの中の一匹が、ワイの近くに寄ってきた。

 別にそいつがワイに感謝しとるわけやない。他の幼虫と何も変わらん。ただ、ワイが燐光苔を蹴った朽木の周辺には蜥蜴の匂いが残っとって、他の幼虫が近づかへんだけの話。で、そいつだけがワイのおる方に来た。それだけ。

 でも、ワイはふと思った。

 ワイのやったことは、結果的に群れを救った。ワイ個人が強なったんやない。ワイの「知恵」が、ワイ以外の命も守った。

 益虫、という言葉を知ったのはもっとずっと後のことやけど、あの瞬間のワイは多分、そういうもんに片足を突っ込んどったんやと思う。

 自分だけ生き延びるんやなくて、周りも生かす。

 それが、単なる生存以上の意味を持つということを、ぼんやりとやけど感じ始めとった。

    * * *

 夜。

 土の中に潜って、体を丸めて、目を閉じた。

 今日も生き延びた。明日も生き延びる。鳥の法則、蜥蜴の死角、燐光苔の使い方。ワイの頭の中の「武器」は少しずつ増えとる。

 体表の静電気が、今日はやけに強い。ぴりぴりと、断続的に全身を走る。隣の幼虫がまた跳ねて、ワイから少し距離を取った。

 ……なんやろう、これ。日に日に強うなっとる。

 答えが出んまま、意識がまどろみに沈みかけた、その時やった。

 音が聞こえた。

 森の奥の方から。

 ぎぃ、という。

 蟲の音や。でも、今まで聞いたどの蟲の音とも違う。

 群れの幼虫たちが出す音は単純で短い。「危険」とか「餌」とか、そういう一音の信号。

 今聞こえた音は、もっと複雑やった。

 長くて、抑揚があって、何かを伝えようとしとるような。意味がある音。

 体が勝手にそっちを向いた。

 暗い森の奥。木々の間に、微かな光が瞬いとる。瑠璃色の、淡い光。蛍蛾の光に似とるけど、もっと繊細で、もっと意図的に明滅しとる。

 まるで、誰かを呼んどるみたいに。

 ……気のせいやろか。

 多分、気のせいや。あの光もあの音も、ただの蟲の生態活動に過ぎひん。

 でも、ワイの中の何かが囁いとった。

 あれは、ワイと同じや。

 あの光を出しとる蟲は、ワイと同じように「考える」蟲なんちゃうか。

 確かめたい。

 確かめたいけど、夜の森を一匹で行くのは自殺行為や。暗闇にはG級の幼虫にとっての天敵がうようよしとる。

 明日や。

 明日、あの光の方に行ってみよう。

 ワイは体を丸め直して、目を閉じた。

 心臓がまだどくどく言うとる。怖さやない。

 これは多分、期待っちゅうやつや。

次回「第4話:瑠璃色の光」

ーーワイは森の奥で、初めての「仲間」と出会う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ