鳥の法則
翌朝。
ワイは昨日と違うことをした。
いつもなら土から這い出してすぐに腐葉土を食い始めるところやけど、今日はまず動かんかった。落ち葉の下に身を潜めたまま、じっと上を見る。
待っとった。
鳥を。
昨日の夜、土の中で考えとった。あの灰色の鳥はいつも同じ枝に止まる。同じ時間帯に。そこから地面を見下ろして、動いた蟲を狩る。
なら、確かめたらええやないか。
ワイの仮説が正しいかどうか。
朝の光が木々の隙間から差し込み始めて、しばらくした頃。
ばさっ、と羽音がした。
来た。
灰色の羽。黄色い嘴。昨日と同じ鳥が、昨日と同じ枝に止まった。
やっぱりや。
体の奥底から、ぞくっとする感覚が湧き上がった。怖さとは違う。なんやろう、これ。胸の辺りがじんわり熱くなるような。
――当たった。ワイの「読み」が、当たった。
鳥は枝の上からきょろきょろと地面を見回しとる。ワイの周りでは、何も知らん幼虫たちがのんびり腐葉土を齧っとった。
案の定、鳥が動いた。
枝から落ちるように急降下して、一匹の幼虫を咥え上げる。ばたばたと短い脚が空中で暴れて、すぐに動かなくなった。
鳥はまた枝に戻り、幼虫を飲み込む。
周りの幼虫は散り散りに逃げる。いつも通りや。
ワイは動かんかった。
落ち葉の下で、じっと観察しとった。
鳥が獲物を飲み込むのにかかる時間。飲み込んだ後、次に飛び立つまでの間隔。一度の狩りで何匹食うか。枝に戻る時のルート。
全部見た。全部、覚えた。
* * *
その日から、ワイは「記録」を始めた。
記録いうても、文字なんか知らんし、道具もない。ワイがやったのは、地面に体を押しつけて線を引くことやった。
湿った土の上に、短い線を一本。これが「鳥が来た回数」。枝の位置を示す丸い窪みを掘る。鳥が来た時間帯を、日の光の角度で覚える。
最初は自分でも何をしとるのか分かっとらんかった。ただ、見たことを「残したい」という衝動があった。頭の中だけでは溢れてしまう。この小さな脳みそでは、全部を覚えておけへん。
せやから、外に出す。地面に刻む。
三日続けて観察した結果、分かったことがある。
鳥は一日に三回来る。朝、昼、夕方。毎回同じ枝。一回の狩りで二匹から三匹食う。食い終わったら南の方に飛んでいく。次に来るまで、だいたい腐葉土を十回齧れるくらいの時間が空く。
つまり。
鳥が去った直後に飯を食い始めて、十回齧ったら隠れれば、食われる確率は大幅に下がる。
しかも、鳥が止まる枝の真下から離れた場所で食えば、もっと安全や。鳥の急降下には射程がある。枝から斜めに降りられる範囲は、だいたい地面の幅にして大きな葉っぱ三枚分くらい。
その範囲の外に出ればいい。
単純なことや。
でも、他の幼虫はこれをやらへん。鳥が来たら逃げる、鳥が行ったら戻る。同じ場所で、同じタイミングで。何度仲間が食われても、パターンを変えへん。
ワイだけが、パターンを変えた。
* * *
四日目の朝。
ワイはいつもの群れから少し離れた場所で腐葉土を食っとった。鳥の枝から葉っぱ五枚分離れた、倒木の影。ここなら鳥の射程外やし、倒木が目隠しになって上からも見えにくい。
予想通り、鳥が来た。予想通りの枝に止まった。
急降下。群れの中から一匹が消える。
ワイは齧り続けとった。
鳥がもう一匹咥えた。悲鳴。羽音。沈黙。
ワイは齧り続けとった。
怖くないわけやない。心臓がどくどく脈打っとる。でも、頭が「大丈夫や」と言うとる。距離と角度と、鳥の行動パターン。全部計算の範囲内。
鳥が二匹食って、南に飛び去った。
残された幼虫たちが、恐る恐る腐葉土に戻っていく。
ワイは最初から食い続けとった。時間のロスがない分、今日は昨日より多く食えた。体の中にじわりと魔素が満ちていく感覚がある。
――知恵は、力や。
牙がなくても、爪がなくても、翅がなくても。
頭を使えば、生き延びられる。
その実感が、ワイの中に確かな熱を灯した。
* * *
五日目。
ワイの「安全地帯」に問題が起きた。
蜥蜴や。
倒木の裏側に、小型の蜥蜴が棲みついとった。ワイが安全やと思うとった場所は、蜥蜴にとっても都合のいい隠れ家やったらしい。
鳥は避けられても、蜥蜴に食われたら元も子もない。
朝、倒木に近づいた時に蜥蜴の尻尾がちらっと見えて、慌てて引き返した。心臓が爆発するかと思った。
……考えろ。
ワイは少し離れた葉っぱの裏で体を丸めながら、頭を回した。
鳥は上から来る。蜥蜴は地面にいる。両方から安全な場所なんて、あるんやろうか。
ある。
少し考えて、気づいた。
木の幹や。
地面から少し高い位置にある樹皮の裂け目。鳥は上から急降下するから、幹にへばりついとる蟲は狙いにくい。蜥蜴は地面を這うから、垂直の幹は登りにくい。
両方の死角になる場所。
問題は、そこまで移動する間に見つかるリスクがあることやけど、鳥が去った直後に素早く移動すれば大丈夫やろう。蜥蜴は昼間は日向にいることが多いから、日陰の幹を選べばさらに安全。
翌朝、実行した。
鳥が去った直後、地面を全力で這って、一番近い木の幹に取りついた。樹皮の裂け目に体を滑り込ませる。ちょうどワイの体がすっぽり収まるくらいの隙間。
裂け目の中には、樹皮の裏についた菌類がある。腐葉土よりちょっと苦いけど、食えんことはない。しかも、この菌類は腐葉土より魔素が濃い気がする。
なんや、ここ最高やんけ。
安全で、飯も食えて、しかも栄養価が高い。
ワイは初めて、「考えて動いた結果、得をした」という経験をした。
嬉しかった。
ちっぽけな樹皮の隙間で、菌類を齧りながら、ワイは多分笑っとった。蟲に笑顔はないけど、体の中がじわっと温かくなるあの感覚は、きっと笑うということやったと思う。
* * *
七日が経った。
ワイの生存率は、明らかに上がっとった。
群れの幼虫は日に日に減っていく。鳥に、蜥蜴に、蜘蛛の巣に。毎日誰かが消えていく。
ワイは一度も危ない目に遭うとらん。
観察と分析。パターンの把握と、それに基づく行動の修正。ワイがやっとることは、ただそれだけや。でも、それだけで生存率がこんなに変わる。
……変わるからこそ、孤独が深くなる。
夜、土の中で群れの端っこに丸まりながら、ワイはいつも思う。
こいつら、なんで同じことを繰り返すんやろう。なんで鳥のパターンを覚えへんのやろう。なんで安全な場所を探さへんのやろう。
答えは分かっとる。
考えてへんからや。考える力がないからや。
ワイだけが違う。ワイだけが、考えてしまう。
その「違い」が、日に日にワイを群れから引き離していく。
同じ種類の、同じ見た目の幼虫たちの中にいるのに。体を寄せ合って夜を越すのに。ワイだけが、ぽつんと一匹、別の世界にいるような気がする。
――誰か。
ワイと同じように、考えてくれる誰かがおったら。
この「なぜ」を共有してくれる誰かがおったら。
そんなことを思うてしまう夜が、増えていった。
体の表面を、ぴりっと静電気が走る。
隣の幼虫がびくっと跳ねた。
……最近、これが多い。なんなんやろう、これ。
疑問は増える一方で、答えはまだどこにもない。
でも、ワイは明日も生きる。
明日も観察して、明日も考えて、明日も生き延びる。
この小さな体と、この頭だけを頼りに。
次回「第3話:雷蜥蜴と益虫」
――ワイの知恵が群れを救う。そして、森の奥から聞こえた不思議な「音」。




