「西へ」
迷宮を遡る。
深層から中層へ、中層から浅層へ。来た道を逆に辿って、地上を目指す。
体が違う。
四本の脚が地面を踏みしめるたびに、ズン、と重い振動が通路に響く。天井が低い。ヴォルトビートルの時は余裕やった通路が、今は角を下げんと通れへん場所がある。二又の大角が天井に擦れて、バリバリと岩が削れる。
甲殻の上を紫色の雷が常に這い回っとる。ワイが歩くだけで、通路の壁に埋まった発光鉱石がビリビリと共鳴して光が強くなる。
でかくなった。強くなった。
でも、三匹で通った道を二匹で戻っとる。
その事実が、新しい体のどこかにずしりと重くのしかかっとった。
* * *
中層の通路を歩いとる時、モンスターと遭遇した。
岩鎧蜥蜴。ワイがヴォルトビートルの時に正面からボルトストライクを撃って弾かれたE級の中堅。ガゼンに弱点を教わって、ようやく倒せるようになった相手。
そいつが通路の先に立っとった。
ワイと目が合って、蜥蜴が身構える。尻尾を持ち上げて、突進の体勢に入ろうとした。
ワイは歩き続けた。
足を止めへんかった。角も構えへんかった。ただ、まっすぐ歩いた。
甲殻を走る紫電がバチバチと弾けて、通路の空気が帯電する。
岩鎧蜥蜴が、凍りついたみたいに動きを止めた。
ワイがあと五歩の距離まで近づいた時、蜥蜴がぐるりと背を向けて、全力で走り去った。尻尾を巻いて、一目散に。
E級の中堅モンスターが、戦わずに逃げた。
……これが、D級の威圧か。
ガゼンが朽葉の森を歩いた時、周囲のモンスターが逃げていったのと同じ。格が違う相手の気配を感じたら、本能が「逃げろ」と叫ぶ。
ヴォルトビートルの時は灰岩虫に道を譲られただけやった。今は岩鎧蜥蜴すら逃げる。
強くなっとる。確実に。
でも、嬉しさよりも先に浮かんだのは、ガゼンの言葉やった。
「強さだけでは足りん」
分かっとるよ、おっちゃん。
* * *
浅層まで戻った辺りで、ワイは新しい体を一通り確かめた。
まず、体の基本スペック。
脚力はヴォルトビートルの比やない。2本の脚で地面を蹴れば、通路の端から端まで一瞬で跳べる。甲殻は銀灰色の重甲殻で、浅層のモンスター程度の攻撃では傷一つつかへん。
角は二又の大角。全長50センチ。力を込めて突けば、岩壁を砕ける。ガゼンが教えてくれた「弱点を突く」戦い方と組み合わせたら、D級相手でも通じるはず。
翅鞘がある。展開してみたら、中に薄い翅が入っとった。試しに震わせてみると、体がふわりと浮いた。飛行とは呼べん。地面から数十センチ浮いて、10メートルくらい跳躍飛行ができる程度。でも、移動の幅は格段に広がった。
そして、雷。
甲殻の上を常に紫電が走っとる。ヴォルトビートルの時は時折バチッと走るだけやった。今は常時。どこかで誰かがワイの甲殻を叩き続けとるみたいに、ずっとバチバチ言うとる。
ボルトストライクを撃ってみた。角に電気を集中して、壁に向かって放つ。
ドガンッ。
壁が抉れた。
直径三十センチくらいの穴がぽっかり開いとる。浅層の岩壁を貫通しとる。
……威力が桁違いや。
ヴォルトビートルの時は石の表面をちょっと焦がすだけやった。今は壁を貫く。しかも溜めの時間が短い。ほぼ反射的に撃てるくらいまで速度が上がっとる。
連射もできる。溜めなしの速射は威力が落ちるけど、それでもE級のモンスターには十分効く。
そして、新しい感覚がもう一つ。
ブリッツチャージと呼ぶ事にする。
全身に雷を纏って突進する、感覚で分かった技。角を前に構えて、四本の脚で地面を蹴り、雷を推進力にして一直線に突っ込む。
試しに通路でやってみた。
ガガガガガッ、と2本の脚が地面を抉りながら加速。体全体が紫電に包まれて、残像を引きながら通路を突き抜ける。
壁にぶつかった。
ドゴンッ。
壁が大きく陥没して、ワイの体の形の窪みができとる。
……制御が難しい。走り出したら止まれへん。曲がれへん。まっすぐしか行けん。
でも威力はすさまじい。二又の角に体重と速度と雷を全部乗せた一撃。これが直撃したら、C級でもただでは済まんやろう。
「ルリハ、どうやった」
壁に突き刺さったまま振り返ると、ルリハが10メートル離れた場所で翅を赤紫にしとった。
……怖かったんか。すまん。
* * *
浅層の出口が見えてきた。灰色の光。外の空気。乾いた風が通路に流れ込んでくる。
ワイは立ち止まった。
迷宮の入り口に近い通路。ここを抜けたら外や。
その時、声が聞こえた。
人間の声。
迷宮の入り口付近で、誰かが話しとる。声が通路に反響して、ここまで届いとる。
ワイは反射的に体を壁際に寄せた。隠れようとして、でもこの体じゃ壁の窪みに収まらんことに気づいた。ヴォルトビートルの時とは体格が違いすぎる。
仕方なく通路の暗がりに身を潜めて、耳を――蟲に耳はないけど、音を感じる器官を研ぎ澄ませた。
人間の声が響く。
「――明日また潜るか?」
「いや、一旦休もう。一晩では回復しきらないだろう」
「あの蠍、結局深層で死んだのかな。もったいねえ、D級の甲殻は金になったのに」
声が聞こえる。
聞こえる、のは前からや。人間の声は音として聞こえとった。
でも今は、違う。
意味が分かる。
「明日」「潜る」「休む」「回復」「死んだ」
一つ一つの音の塊が、意味を持った言葉として頭に流れ込んでくる。全部やない。断片的にしか分からん。でも、「何を言っとるか」がぼんやりと掴める。
……なんで。
何が変わった。
進化。
トニトルスに進化したことで、脳が――、情報を処理する器官が発達したんやろう。ガゼンの蟲音教育で「言葉」という概念を叩き込まれた下地の上に、進化で強化された処理能力が乗った。
人間の声はずっと聞いとった。迷宮で何度も聞いた。意味は分からんかったけど、音のパターンは頭のどこかに蓄積されとったんや。
それが今、進化で閾値を超えて、「意味」として繋がり始めとる。
まだ全然足りん。単語の断片が拾える程度で、文の構造なんか分からん。でも、これは入り口や。
人間の言葉が、分かり始めとる。
ワイの頭の中で、あの緑の目の剣士の顔が浮かんだ。
いつか、あいつと言葉を交わせる日が来るかもしれん。
まだ遠い。遠いけど、道が見えた。
* * *
人間が去るのを待ってから、ワイらは迷宮を出た。
灰色の大地。乾いた空気。空が、広い。
ワイは2本の脚で灰谷の大地に立って、空を見上げた。
青い空。白い雲。太陽の光が銀灰色の甲殻に反射して、紫電がバチバチと弾ける。
隣にルリハがおる。翅を広げて、瑠璃色の光を太陽の下で輝かせとる。
二匹。
朽葉の森を出た時は三匹やった。今は二匹。
でも、ワイらは止まらへん。
ガゼンが教えてくれたことが、全部この体に刻まれとる。蟲音の言葉。戦い方。覚悟。蟲族の誇り。蟲帝の伝説。蟲淵への道。
ガゼンの分まで、生きて、強なって、前に進む。
ワイは西を向いた。蟲淵は大陸の果てにあるとガゼンは言うとった。ここから西に、ずっと遠くに。
その途中に、人間の王都があるらしい。
人間の言葉が少しずつ分かるようになっとる今のワイなら、何かが変わるかもしれん。
いや、変える。ワイが変える。
「行こか、ルリハ」
ルリハの翅がぱあっと瑠璃色に光った。
二匹が、灰谷を背にして歩き出す。
ワイの角を、ぱちり、と雷が一つ走った。
紫色の、太い雷。
これは誓いや。
第二章「灰谷の試練」了
次回「幕間:蟲を見た少年」
――灰谷の迷宮から帰還した若き剣士レンは、酒場で仲間たちに語る。「あいつらは、ただのモンスターじゃない」と。誰も信じてはくれなかったけれど。




