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「深層の主」

 深層への降り口は、中層の最奥にある巨大な縦穴やった。


 直径十メートルはある丸い穴が、地面にぽっかり口を開けとる。覗き込むと、底が見えへん。真っ暗な闇の奥から、熱気がもわっと立ち昇ってくる。


 空気が違う、そして魔素も。


 穴の底から湧き上がってくる魔素が、濃いなんてもんやない。空気の中に色がついとるんやないかと錯覚するくらい、目に見えそうな密度。ワイの角がびりびり震えとる。この魔素を吸い続けとったら、体が中から変わっていきそうな感覚や。


 ガゼンが穴の縁に立って、鉄脚震を踏んだ。


 いつもより長い。いつもより深い。振動を地中の奥へ奥へと送り込んどる。


 戻ってきた情報を読み取ったガゼンの体が、僅かに強張った。


 「……おるな」


 低い蟲音。


 「何が」


 「深層の主。この穴の底に棲んどる。でかい。中層のモンスターとは格が違う」


 ガゼンの声に、緊張がある。D級のガゼンが緊張しとるということは、相当ヤバい相手やということ。


 「どんなやつや」


 「百足じゃ。溶岩の中を泳ぐ百足。この迷宮の地熱は、あいつの体温が地脈を温めておるせいじゃと、儂は踏んでおる」


 迷宮全体を温める体温。スケールがおかしい。


 「等級は」


 「D級の上位。下手をすればC級に片足を突っ込んでおるかもしれん」


 D級上位からC級。ガゼンと同格か、それ以上。


 ワイはF級。二段階格上。


 「……勝てるんか」


 「儂一匹では五分じゃな。全盛期なら勝てた。今は分からん」


 ガゼンが正直に言う。五分。つまり負ける可能性もあるということ。


 「三匹なら」


 「三匹なら、策次第じゃ」


 策次第。それはつまり、ワイの頭次第ということ。


    * * *


 深層へ、すぐには降りんかった。


 ガゼンの判断で、まず二日間の準備期間を取ることにする。


 中層の拠点で体力を回復させながら、ガゼンが深層の主について知っとることを全部教えてくれた。


 溶岩百足。


 体長は推定十メートル以上。数十対の脚を持ち、体表が溶岩のように赤熱しとる。触れただけで焼ける。


 通常の物理攻撃は体表の高熱で弾かれる。近づくだけで火傷する。ガゼンの鉄甲殻でも、長時間接触したら溶ける可能性がある。


 弱点は頭部。百足の頭は感覚器官が集中しとるから装甲が薄い。そこを叩けば致命傷を与えられる。


 でも、頭部に近づくのが一番危険。百足の顎は何でも噛み砕く。


 「正面から頭を狙うのは自殺行為じゃ。側面か背後から回り込んで、頭部を一撃で仕留める。それが唯一の勝ち筋」


 ガゼンの分析を聞きながら、ワイは頭の中で戦術を組み立てとった。


 溶岩百足は熱を纏っとる。ワイの角による物理攻撃は、体表に触れた瞬間に角が焼ける可能性がある。


 でも、電撃はどうや。


 雷は熱を無視して体内に流れ込む、ワイのボルトストライクが、この迷宮内で最も有効な武器になるかもしれん。


 「ガゼン。ワイの電撃は、溶岩百足に通ると思うか」


 ガゼンが目を細めた。


 「……理屈は通る。じゃが、お前の電撃であのサイズの相手を仕留めるだけの威力があるかは分からん」


 「仕留めんでもええ。怯ませるだけでも」


 「怯んだ隙に、儂が頭部を突く。……いけるかもしれんな」


 「ルリハの糸で動きを制限して、ワイが電撃で怯ませて、ガゼンが仕留める」


 「雷蜥蜴の時と同じ構図じゃな。ただし相手の格が段違いに上じゃ」


 段違いなのは分かっとる。雷蜥蜴は弱っとった小型種やったからな。


 でも、やるしかない。


 この先に進むために。強くなるために。


 そして――深層の主を喰うために。


 体の奥底で、あの衝動がまた疼いとる。雷蜥蜴の時と同じ、「喰え」という本能の叫び。


 溶岩百足を喰ったら、ワイは変わる。


    * * *


 深層突入前、最後の夜。


 ガゼンが、珍しく長い蟲音を紡いだ。


 語り部の調子。蟲帝の伝説を語った時と同じ、あのゆったりとした抑揚。


 でも今夜の話は、蟲帝の伝説やなかった。


 ガゼンが語ったのは、「蟲族の誇り」についてやった。


 「蟲族はこの大陸で最も弱いと言われておる。ほとんどがG級。害虫。素材。踏み潰される側。それが今の蟲族じゃ」


 知っとる。嫌というほど。


 「じゃがな、グロウ。弱いことと、誇りがないことは違う」


 ガゼンの蟲音が深くなった。


 「蟲族は数が多い。この大陸で最も数の多い種族じゃ。どこにでもおる。森にも、洞窟にも、平原にも、山にも。人間の街の中にすらおる」


 確かに。蟲はどこにでもおる。


 「それは、蟲族が最も『生きる力』に優れとるということじゃ。どんな環境にも適応し、どんな状況でも生き延びる。他の種族が滅びても、蟲族だけは残る。それが蟲族の本質じゃ」


 「生きる力……」


 「お前が幼虫の頃にやったことを思い出せ。鳥のパターンを読んで、蜥蜴の死角を見つけて、燐光苔を使って生き延びた。あれは蟲族の力じゃ。弱いからこそ、考えて、工夫して、何としてでも生き残る。その『しぶとさ』こそが蟲族の誇りじゃ」


 ガゼンの鋏腕が、自分の傷だらけの甲殻を叩いた。


 「儂はこの体で何十年も生き延びてきた。人間に狩られそうになり、モンスターに襲われ、仲間を何度も喪った。それでも死ななかった。死ねなかったんやない。死なんと決めたんじゃ」


 死なんと決めた。


 覚悟。


 昨夜ガゼンが語った「覚悟」が、ここで繋がった。


 「明日、深層の主と戦う。お前にとっては格上の相手じゃ。じゃがな、格が上か下かなんぞ、蟲族には関係ない」


 ガゼンの蟲音が力を帯びた。


 「蟲は、生き残る。どんな相手でも、どんな状況でも。それが蟲族の戦い方じゃ。正面からぶつかれん相手なら、搦手で攻める。一撃で倒せん相手なら、百回噛みつく。力が足りんなら、仲間と束になる」


 ガゼンがワイを見た。それからルリハを見た。


 「お前たちは、儂が出会った中で最も聡い蟲族じゃ。二匹とも。儂が果たせなかった夢を託すに足る蟲じゃ」


 ルリハの翅が揺れた。瑠璃色が一瞬強く輝いて、すぐに穏やかな光に戻る。


 「明日は儂の全てを使う。この老いた体の、最後の一滴まで絞り出す。じゃから――」


 ガゼンの蟲音が途切れた。


 一瞬の沈黙。


 「――お前たちも、全てを出せ。蟲族の誇りにかけて」


 ワイは立ち上がった。二本の脚で。角を天井に向けて。


 体表を、青白い雷が走った。ぱちっ、と弾ける音が広間に響く。


 「任せとき。ワイらで、あの百足を仕留めるんや」


 ルリハが翅を広げた。瑠璃色の光が広間全体をぼんやりと照らす。


 三匹の影が、壁に映った。


 小さな甲虫。瑠璃色の蛾蜘蛛。巨大な蠍。


 大きさも形もばらばらの三匹。


 でも、今この瞬間、この三匹の間にある絆は、どんな甲殻よりも硬い。


 明日。


 深層に降りる。


次回「第18話:溶岩百足」

――三匹の知恵と力と絆の全てを賭けた死闘が今、始まる。

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