「剣士の目」
中層の攻略を進めるうちに、ワイらと人間の行動範囲が再び交差し始めた。
中層は浅層より通路が限られとる。使える安全地帯も少ない。人間の冒険者パーティもワイらも、結局は同じ構造のダンジョンを攻略しとるわけやから、いずれぶつかる。
今回の遭遇は、こっちから気づいた。
ルリハの索敵糸が人間の足音を拾った。赤紫の光が瞬く。
「人間」「四つ」「前方」「近い」
前方。今回は正面や。曲がり角の向こうに、あいつらがおる。
ワイは動きを止めた。ガゼンも足を止める。
引き返すか。別のルートを探すか。
でも、この先にしか中層から深層への降り口がない。ガゼンの鉄脚震で確認済みや。ここを通らんと先に進めへん。
「どうする」
ガゼンに聞いた。
ガゼンがしばらく黙って、それから低い蟲音を出した。
「通路の天井に隙間がある。お前とルリハはそこに隠れろ。儂が囮になって別の通路に誘導する」
「おっちゃんが囮って、また戦う気か」
「戦わん。人間にとっては足場の悪い地形に誘い込むだけじゃ。その間にお前らが通路を抜けろ」
ガゼンの作戦。ガゼンが人間を引きつけて、その隙にワイとルリハが降り口を通過する。
「……分かった。けど無茶すんなよ、おっちゃん」
「おっちゃんと呼ぶな」
いつものやりとり。でも今回は、ちょっとだけ声に力がこもった。
* * *
天井の隙間に体をねじ込んだ。
ヴォルトビートルの体は小さいから、岩の裂け目にすっぽり収まる。ルリハも翅を畳んでワイの横に潜り込んだ。光を消して、暗闇に溶ける。
足音が近づいてくる。松明の光が通路を照らす。
人間が来た。
四人。前と同じ面子。先頭の大きな剣士、弓の女、杖の男、そして最後尾の若い剣士。
ワイは天井の隙間から見下ろしとった。この角度なら、あいつらの顔がよく見える。
先頭の男――ベルトとかいうリーダーが、通路の先を警戒しながら進む。目が鋭い。周囲の壁、天井、地面。全部を一瞬で見回す、熟練の動き。
でも、天井の裂け目の中までは見てへん。ワイの体が小さいおかげで、視界に入らん。
四人がワイの真下を通過していく。
ワイは息を殺して、じっとしとった。体の帯電を限界まで抑え込む。ぱちっと一発でも火花が散ったら終わりや。
三人が通り過ぎた。
最後の一人――若い剣士が、ワイの真下に差しかかった。
その時。
若い剣士が、ふと足を止めた。
顔を上げた。
天井を見上げた。
ワイの目と、あいつの目が合った。
* * *
一瞬やった。
暗い天井の裂け目の中に、赤褐色の甲殻がわずかに覗いとる。角の先端が微かに光を反射しとる。
見つかった、と思った。
全身が硬直した。次の瞬間、叫ばれる。「蟲だ」と。そしたら矢が飛んでくる。
でも、若い剣士は叫ばなかった。
あいつはワイを見上げたまま、動かんかった。
緑色の目。明るい色の目。他の三人の「狩人の目」とは何かが違う。
あいつの目には、殺意がなかった。
あるのは――何やろう。驚き? 好奇心? もっと別の、ワイには名前がつけられへん感情。
二秒か、三秒か。
体感ではもっと長かった。
若い剣士がゆっくりと視線を逸らした。天井から目を離して、前を向いて、何事もなかったかのように歩き出した。
仲間の後を追って、通路の奥に消えていった。
……見逃された?
ワイは天井の裂け目の中で、しばらく動けんかった。
なんで。
なんであいつは、ワイを見つけたのに、仲間に言わんかったんや。
ルリハが横でワイを見とった。翅の光が消えたまま、金色の目だけが暗闘で光っとる。あいつもあの瞬間を見とったんやろう。
ワイは首を振った。考えても分からん。今は先に進むことが優先や。
ガゼンが囮として別の通路に走り込む音が遠くで響いた。人間たちの足音がそっちに向かっていく。
今のうちや。
ワイとルリハは天井の裂け目から降りて、通路を駆け抜けた。
* * *
深層への降り口を確認してからガゼンと合流し、ひとまず中層の拠点に戻った。
ガゼンは無傷やった。人間の足では移動し難い通路に誘導して、途中で撒いたらしい。
「うまくいったな」
「当然じゃ。若造どもに儂の足は追えん」
ガゼンは平然としとるけど、あのでかい体で迷宮の通路を走り回ったんやから、結構な体力を使っとるはずや。
ワイは拠点の壁にもたれながら、さっきの出来事を考えとった。
あの若い剣士。
あいつは、ワイを見つけた。見上げて、目が合った。それは確かや。
なのに、仲間に言わんかった。
なんでや。
いくつか可能性を考えてみる。
一つ。暗くて見えんかった。――いや、目が合った。あの一瞬、あいつは確実にワイを認識しとった。
二つ。戦う気がなかった。疲れとったとか、面倒やったとか。――でも冒険者にとって蟲の甲殻は金になる。見つけたら仕留めるのが普通のはず。
三つ。わざと見逃した。
三つ目の可能性が、ワイの頭の中に引っかかっとる。
わざと見逃す理由なんかあるか? 蟲は素材。害虫。踏み潰して当然の存在。それが人間の常識やろ。
なのに、あいつは見逃した。
あの目。あの緑色の目に映っとったのは、「獲物を見る目」やなかった。
もっと違うもんやった。
ワイが朽葉の森で鳥を観察しとった時の目。ルリハの翅の光のパターンを読もうとした時の目。
「知ろうとする目」。
あいつは、ワイを知ろうとしとったんか。
* * *
その夜、ワイはガゼンに聞いた。
「人間にも、色んなやつがおるんか」
ガゼンは少し考えてから、蟲音を返した。
「おるじゃろうな。蟲族にも色んな個体がおるように、人間にも色々おるはずじゃ。儂は人間に攻撃されたことしかないから、良い人間というものを知らんがな」
「さっきの人間のパーティの中に、一人だけ変なやつがおった」
「変?」
「ワイを見つけたのに、仲間に言わんかった。目が合ったのに、攻撃してこんかった」
ガゼンが黙った。
しばらくの沈黙の後、ガゼンが低い蟲音を出した。
「……それは、珍しいな」
「珍しいってだけか」
「今の段階では、それ以上のことは分からん。次に会った時にどう出るか、じゃ。見逃したのが気まぐれか、それとも何か考えがあるのか」
ガゼンの言う通りや。一回だけのことで判断はできへん。
でも、ワイの中に小さな疑問が芽生えた。
人間は全員が敵なんか。
蟲族を素材としか見てへん人間ばかりなんか。
あの緑の目の剣士みたいに、違う目で見る人間もおるんやないか。
まだ答えは出えへん。出す材料が足りひん。
でも、「全員が敵」やないかもしれんという可能性が、ワイの頭の片隅に刻まれた。
* * *
翌朝。
ワイは中層の拠点を出て、通路の壁に寄りかかりながら考えとった。
人間のことだけやない。もっと大きなことを考えとった。
蟲族の現実。人間に素材として狩られる側。害虫として駆除される側。
それを変えるために、ワイは強くならなあかん。ガゼンの言う通り、蟲淵にたどり着いて、蟲族の真実を知らなあかん。
でも、今日あいつの目を見て、ほんの少しだけ思った。
もしかしたら、強くなるだけやなくて、「伝える」ことも必要なんちゃうか。
ワイらがここにおること。ワイらが考えとること。ワイらに名前があること。
それを、人間に伝える方法が、いつか必要になるんちゃうか。
今のワイには人間の言葉は分からん。話すこともできへん。
でも、いつか。
いつか、あの緑の目の剣士に、ワイの声が届く日が来るんやろうか。
角がぱちりと帯電した。
答えは、まだ先にある。
次回「第17話:深層の主」
――いよいよ深層へ。ガゼンが警戒し続けたその存在の気配が、地の底から這い上がってくる。




