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幕間「剣士の違和感」

プロジェクトヘイルメアリー結構面白かったので、少しでも気になっているという方は是非ご覧ください。

 あの赤い甲虫が、頭から離れない。


 灰谷の迷宮の中層。薄暗い通路の曲がり角で、一瞬だけ目が合った赤褐色の甲虫。丸い甲殻に一本の角。テントウムシみたいな体型で、二本の脚で立っていた。


 ベルトさん――パーティリーダーが「蟲だ」と叫んで、マーラさんが矢を放って、甲虫は脇の通路に逃げた。後ろから巨大な蠍が出てきて通路を塞いだから、追うのは諦めた。


 それだけの出来事だ。


 迷宮じゃよくあること。モンスターに遭遇して、戦うか逃げるか判断して、次に進む。冒険者にとっては日常。


 なのに、俺はあの甲虫のことが忘れられない。


 なぜかって?


 あいつの目が、普通じゃなかったからだ。


    * * *


 俺の名前はレン。冒険者ギルドに登録して半年のE級冒険者。出身は王都カレドニアから遠く離れた農村で、家は代々続く農家の三男坊。家を継ぐ必要がなかったから、剣一本で冒険者になった。


 パーティは四人。リーダーのベルトさんは剣士でD級のベテラン。弓のマーラさんと魔術師のオルドさんはE級。俺もE級だけど昇給したばっかりで、実力的には皆の足を引っ張っている自覚がある。


 灰谷の迷宮は、俺にとって初めての本格的なダンジョン攻略だった。


 ベルトさんが言った。中層に珍しい蟲系モンスターの目撃情報がある。甲殻を持つ蟲は錬金素材として高く売れるから、見つけ次第仕留めろ、と。


 俺は頷いた、冒険者の仕事だ。モンスターを狩って、素材を売って、生活する。それが冒険者。


 でも。


 あの甲虫と目が合った瞬間、俺の中で何かが引っかかった。


    * * *


 最初の遭遇は、俺たちが気づく前だった。


 中層の通路を歩いている時、マーラさんが「何かの気配がする」と言った。俺には分からなかったけど、ベテランのマーラさんの感覚は鋭い。壁の窪みや天井の影を警戒しながら進んだ。


 結局、その時は何も見つからなかった。


 でも、俺はふと足元を見た。


 通路の脇の窪みの中に、微かな青白い光の残滓があった。静電気みたいな、ちりちりした光。


 何だろうと思ったけど、パーティは先に進んでいたから、気にせず追いかけた。


 後から考えれば、あれはあの甲虫が隠れていた痕跡だったんだろう。


 見つからなかったのは、あいつが意図的に隠れたからだ。


 モンスターが「意図的に」隠れる。


 普通のモンスターは、隠れるにしても本能的なものだ。巣穴に逃げ込むとか、擬態するとか。でも、通路の窪みに体を滑り込ませて、光を消して、気配を殺して、冒険者パーティをやり過ごす。


 それは「判断」だ。


 あの時点では、俺はまだそこまで考えていなかった。考え始めたのは、二度目の遭遇の後だ。


    * * *


 二度目。曲がり角で鉢合わせた。


 俺はパーティの最後尾を歩いていたから、甲虫を見たのはベルトさんたちより一瞬遅かった。


 でも、その一瞬で俺が見たものは、三人とは違うものだった。


 ベルトさんが叫び、マーラさんが弓を構える。その間の、ほんの一瞬。


 あの赤い甲虫は、俺たちを見て、固まった。


 固まって、それから動いた。


 横に跳んで矢を避けた。


 普通のモンスターなら、ここで二つの反応しかない。攻撃してくるか、逃げるか。本能に従った、単純な反応。


 あの甲虫は違った。


 矢を避けた後、一瞬だけ後ろを振り返った。自分の後ろに、瑠璃色に光る翅を持った蟲がいた。蛾みたいな、蜘蛛みたいな、不思議な姿の蟲。


 甲虫は、その蟲に向かって音を発した。短く、鋭い音。


 そして二匹同時に、脇の通路に飛び込んだ。


 その直後、通路の奥から巨大な蠍が現れて、俺たちの前に立ちはだかった。


 ベルトさんが「D級だ、退くぞ」と叫んで、俺たちは後退した。


 それで終わりだった。


 でも、俺の中では終わっていなかった。


 あの甲虫は、仲間の蟲に「声をかけた」。


 仲間を確認して、逃げる方向を指示して、同時に動いた。


 そして、あの巨大な蠍は、甲虫たちが逃げる時間を稼ぐために、俺たちの前に立ちはだかった。


 それは「連携」だ。


 ただの群れの行動じゃない。役割を分担して、互いを庇い合う、意図的な連携。


 蟲系モンスターが、そんなことをするのか?


    * * *


 少し後、中層の安全地帯でキャンプを張った時、俺はベルトさんに聞いてみた。


 「さっきの蟲、変でしたよね」


 ベルトさんは干し肉を齧りながら、怪訝そうな顔をした。


 「変? 何がだ」


 「あの甲虫、仲間に声をかけてから逃げたように見えたんですけど」


 「はあ? 蟲が声をかけるわけねえだろ。鳴き声はモンスターの威嚇か求愛行動だ。ギルドの教本にも書いてある」


 マーラさんが付け加えた。


 「蟲系は群れで動くことがあるけど、それは本能よ。蟻が列を作るのと同じ。知性があるわけじゃない」


 オルドさんは興味なさそうに杖を磨いていた。


 「レン、新人にありがちだが、モンスターを擬人化するのはよせ。連中はただの魔獣だ。考えてなんかいない」


 三人とも、同じ答えだった。


 蟲は考えない。蟲はただの魔獣。それが常識。


 俺は黙って干し肉を齧った。


 でも、胸のざわつきは消えなかった。


 あの甲虫の目。曲がり角で一瞬だけ目が合った、あの目。


 くりっとした大きな複眼。モンスターの目。


 でも、そこに映っていたものは、ただの本能・反応じゃなかった。


 驚き。判断。そして、仲間を気遣う視線の動き。


 俺には分かる。


 なぜなら、俺は昔から生き物の動きを見るのが得意だったから。


    * * *


 畑仕事を手伝っていた子供の頃、俺は虫を観察するのが好きだった。


 畝の間を歩く蟻の列。葉っぱの裏に隠れるテントウムシ。土の中から出てくるカブトムシの幼虫。


 村の大人たちは、虫を二種類にしか分けなかった。畑を荒らす「害虫」と、害虫を食べてくれる「益虫」。それだけ。


 でも俺は、もう少し細かく見ていた。


 蟻は仲間が死ぬと、死体を巣に運ぶ。テントウムシは天敵が近づくと翅を開いて飛ぶ前に、一瞬だけ触角を動かす。あれは風向きを確かめているんだと思った。カブトムシの幼虫は、土の温度が高い場所を選んで移動する。


 全部、「考えている」ように見えた。


 村の子供たちが虫を捕まえて焼き殺そうとした時、俺は止めに入った。理由なんてない。ただ、「やめろ」と思った。あいつらも生きているのに、わざわざ殺すことはないだろうと。


 その時に手を出して、左手にやけどの跡が残った。


 父さんには「虫ごときの為にそんな事をするな」と叱られた。母さんには心配された。村の子供たちには「虫好きのレン」とからかわれた。


 でも、俺はおかしいとは思わなかった。


 生き物をよく見ること。その動きの中に「意味」を探すこと。それが俺のやり方だった。


    * * *


 あの赤い甲虫を見た時、子供の頃の感覚が蘇った。


 あいつは、考えている。


 根拠はない。ギルドの教本にも、先輩冒険者の経験則にも、そんなことは書いていない。


 でも、俺の勘が告げている。


 目が合った一瞬。あいつの複眼に映っていたもの。あれは「判断」の目だった。状況を把握して、選択肢を比較して、最善の行動を選ぶ。そういう目。


 俺が畑で蟻の行列を観察していた時の、あの感覚と同じだ。


 「こいつら、考えてるんじゃないか」


 でも、それを口にしたら、ベルトさんたちは笑うだろう。新人の戯言だと。モンスターを擬人化するなと。


 だから黙っている。


 黙っているけど、胸のざわつきは消えない。


 寝袋に入って天井を見上げる。迷宮の天井は暗い。発光鉱石の薄い光が、ぽつぽつと点在している。


 あの甲虫は今、どこにいるんだろう。あの蠍と、あの瑠璃色の蟲と、三匹で迷宮のどこかにいるんだろう。


 もし、もう一度会ったら。


 今度は、ちゃんと見てみたい。


 あいつらが「考えている」のかどうか。


 俺のこの目で、確かめたい。


 そう思いながら俺は、左手のやけど跡を無意識に擦っていた。


次回「第15話:中層へ」

――グロウたちは人間を避けながら中層の攻略を進める。そこでグロウは、ガゼンから戦いの真髄を叩き込まれる。

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