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「灰谷の迷宮」


 穴は、ワイが想像しとったよりずっとでかかった。


 谷の奥に口を開けた洞窟の入り口。幅はガゼンが余裕で通れるくらい、高さはその倍以上ある。岩壁は灰色で、表面にびっしりと細かいひび割れが走っとる。入り口の縁に苔すら生えてへん。この辺りの土壌は乾ききっとって、何も育たんらしい。


 でも、穴の中から吹き出してくる空気は違った。


 湿っとる。温い。そして、魔素が濃い。


 朽葉の森で感じた魔素なんか比べもんにならん。穴の中に一歩踏み込んだだけで、体の中がじわっと温かくなる。魔素が肌を――甲殻の隙間を通じて体内に染み込んでくる感覚。


 ガゼンが先頭に立った。あの巨体が暗闇の中を進む。鉄脚震を一発。地面を通じて、通路の構造を読む。


 「しばらくは一本道じゃ。この先で広間に出る。そこから枝分かれしておる」


 ルリハが翅を光らせた。瑠璃色の光が洞窟の壁を照らす。蛍蜘蛛族の燐光は、暗闇ではこの上なく役に立つ。


 ワイはガゼンとルリハの間を歩く。角の先にぱちぱちと微かな電気を灯して、足元を照らす。


 三匹分の明かりが、暗闘の奥へ進んでいく。


    * * *


 浅層。


 ガゼンの言う通り、一本道を進むと広間に出た。天井が高い。ワイの角先の電気とルリハの翅の光では全容が見えへんくらい広い空間。地面は平らで、灰色の岩盤がむき出しになっとる。


 壁にはところどころ発光する鉱石が埋まっとって、薄暗いながらも完全な暗闇やない。緑がかった光。森の燐光苔とは違う、鉱物的な冷たい光。


 ワイは周囲を観察した。


 鳥のパターンを読んだ時と同じ。環境を見る。危険を探す。利用できるもんを探す。


 地面に足跡がある。細い三本爪の跡。ワイの脚跡やない。ガゼンのでもルリハのでもない。何か別の生き物が、この広間を通っとる。


 壁の発光鉱石の周辺に、小さな蟲がたかっとる。G級の雑魚。鉱石の光に集まっとるらしい。あれは気にせんでええ。


 問題は、天井。


 ルリハが翅を強く光らせて天井を照らした。


 おった。


 天井にぶら下がっとる蝙蝠みたいなモンスターが数匹。目が光っとる。こっちを見とる。


 ガゼンが低い蟲音を出した。


 「灰蝙蝠。G級の上位。群れで襲ってくる。面倒じゃが危険ではない」


 G級の上位。ワイが幼虫やった頃なら天敵レベルやけど、今のワイはF級。格上や。


 でも、群れ。天井に見えとるだけで五匹。暗がりにまだおるかもしれん。


 一匹なら余裕でも、群れで来られたら厄介。


 「ルリハ、天井に何匹おるか数えてくれ」


 ルリハが翅を細かく明滅させながら天井全体を照らした。索敵糸も投げる。糸が天井に張りつき、振動で生体反応を拾う。


 光の信号が返ってきた。


 「八匹」「起きてる」「二匹」「残りは眠ってる」


 起きとるのは二匹。残り六匹は寝とる。


 なら、起きとる二匹を素早く倒せば、残りが起きる前に通過できる。


 ワイはガゼンに目配せした。ガゼンが小さく頷く。


 角に電気を集中する。ぱちぱちと青白い光が角先に凝縮されていく。


 狙いを定める。天井の二匹。訓練で十発中三発の命中率やったけど、あの時より距離が近い。


 一発目。


 ばちっ!


 ボルトストライクが天井に走った。青白い光の線が暗闇を切り裂いて、一匹目の灰蝙蝠に直撃する。


 ぎゃっ、と短い悲鳴。天井から落ちてきた蝙蝠を、ガゼンが鋏腕で叩き潰した。


 二発目。すぐに角に電気を集め直して、二匹目を狙う。


 ばちっ!


 ……外れた。角先が微かにぶれて、蝙蝠のすぐ横を通過した。


 二匹目が目を覚まして、甲高い鳴き声を上げた。


 まずい。あの声で残りも起きる。


 ルリハの糸が閃いた。光糸が二匹目の蝙蝠に絡みつき、翅を封じて天井から引きずり落とす。落下してきた蝙蝠を、ワイが角で突いた。


 ぐしゃり。


 二匹撃破。でも天井で残りの六匹がもぞもぞ動き始めとる。


 「走れ」


 ガゼンの一言。


 三匹で広間を駆け抜けた。ワイは二本の脚で全力疾走。訓練のおかげで転ばん。ルリハは飛行で追従。ガゼンは八本の脚で悠然と、しかし速い。


 背後で蝙蝠たちの鳴き声が反響しとるけど、追ってくる気配はない。縄張りから離れたんやろう。


 通路の先に入り込んで、ワイは息を整えた。


 「……二発目外したのは痛かったな」


 ガゼンの蟲音。


 「甘い」


 わかぅとるわ。


    * * *


 浅層の探索を続ける。


 灰谷の迷宮は、朽葉の森とは全く違う世界やった。


 地上の森では鳥と蜥蜴と蜘蛛が脅威やった。パターンを読めば避けられた。でも迷宮は違う。通路が入り組んどって、角を曲がるたびに何がおるか分からん。天井から来るもの、地面から来るもの、壁の隙間から来るもの。三次元の脅威。


 ワイの観察力と分析力が試される。


 足跡。匂い。空気の流れ。壁の傷跡。全部が情報や。


 三本爪の足跡が多い通路は、何かの縄張り。避ける。壁に引っ掻き傷が多い場所は、大きなモンスターが通った証拠。警戒する。空気が特に湿っとる場所は水場が近い。水場にはモンスターが集まる。


 朽葉の森で鍛えた「パターンを読む力」が、ここでも通用する。環境が変わっても、やることは同じ。観察して、分析して、最善の行動を選ぶ。


 ただし、スピードが要求される。


 森では時間をかけて何日も観察できた。迷宮では、角を曲がった瞬間に判断せなあかん。


 一つ曲がり角を覗き込んだ。


 通路の先に、何かおる。地面にうずくまっとる丸い影。


 ワイは動きを止めて、目を凝らした。


 灰色の体。六本脚。甲殻。ワイと似た体型やけど、一回り大きい。角はない。代わりに、背中に棘が何本か生えとる。


 灰岩虫。


 ガゼンが小声の蟲音で教えてくれた。


 「F級の下位。大人しい性質。こちらから手を出さなければ襲ってこん」


 F級の下位。ワイと同格か、やや下。


 通り過ぎようとした時、灰岩虫がこっちを向いた。


 目が合った。


 小さな複眼。知性はない。ただの虫の目。ワイの群れの幼虫たちと同じ、何も考えてへん目。


 でも、ワイが近づくと、灰岩虫はのそのそと道を譲った。


 ……なんや今の。


 ガゼンが蟲音を出した。


 「お前の雷気にあてられたんじゃろう。弱い蟲は強い蟲の気配を感じると退く」


 ワイの体から発する微弱な雷気が、格下のモンスターを威圧しとるらしい。


 G級の幼虫やった頃は、全部の生き物から逃げとった。それが今は、逆に道を譲られとる。


 不思議な感覚やった。嬉しいような、少しだけ寂しいような。


    * * *


 浅層を半日かけて探索した。


 分かったことがいくつかある。


 まず、迷宮の構造。浅層は比較的単純な通路の繋がりで、広間がいくつかある。広間は休憩に使える。モンスターは通路よりも広間に集まりやすい。


 次に、モンスターの分布。浅層にはG級上位からF級下位のモンスターがおる。灰蝙蝠、灰岩虫、それに壁に擬態する灰蜘蛛。どれもワイ一匹で対処できるレベルやけど、油断したら群れに囲まれて面倒なことになる。


 そして、一番重要なこと。


 迷宮の奥に行くほど、魔素が濃い。


 浅層でも森より濃かった魔素が、奥に進むにつれてさらに濃くなっとる。体の中がじわじわと満たされていく感覚。菌類を食うより、ただ呼吸しとるだけで魔素が入ってくる。


 ワイの角が微かに疼く。この濃い魔素の中にいると、体が変化を求めとるような感覚がある。進化の衝動。まだ遠いけど、確かに体の奥底でくすぶっとる。


 もっと奥に行きたい。もっと強いもんを喰いたい。


 ガゼンがワイを見とった。ワイの目に宿った光を読み取ったんやろう。


 「焦るな。まずはこの階層に慣れろ。己の力を正確に把握しろ。それが生き残る術じゃ」


 分かっとる。焦っても碌なことにならんのは、幼虫時代に学んだ。鳥のパターンを読むのに何日もかけたやろ。急がば回れや。


 ワイは角を下げた。


 「……おっちゃんの言う通りや」


 ガゼンが一瞬、動きを止めた。


 「おっちゃん、と呼ぶな」


 「なんでや。おっちゃんやろ」


 「儂はまだそこまで老いとらん」


 嘘つけ。体中傷だらけで、目は半分潰れとって、甲殻は錆びた鉄みたいな色しとるやんけ。どう見てもおっちゃんや。


 ルリハの翅がちかちか光っとる。


 また笑っとるな、あいつ。


    * * *


 浅層の広間の一つを、三匹の拠点にした。


 朽葉の森の窪地でやったことと同じや。ルリハが入り口に光糸を張り、ワイが周辺の通路の安全を確認し、ガゼンが鉄脚震で地中を探る。


 拠点が決まると、気持ちが落ち着いた。


 夜――迷宮の中に昼夜の区別はないけど、三匹の体内時計で「夜」と決めた時間に、体を寄せ合って休む。


 ガゼンの甲殻に背を預けて、ルリハの光に照らされながら、ワイは目を閉じた。


 明日から、本格的に迷宮を攻略する。


 浅層を制覇して、中層に降りる。中層のモンスターを倒して、さらに強くなる。


 そしていつか、深層の主に挑む。


 ガゼンの蟲音が静かに響いた。


 「この迷宮には、人間も来る」


 ……人間。


 ワイはまだ人間というもんを見たことがない。ガゼンから聞いた話では、二本脚で歩いて、手に武器を持って、モンスターを狩る種族らしい。


 「気をつけろ。人間は蟲族を害虫としか見ておらん。見つかれば殺されるか、捕まるかじゃ」


 害虫。


 ワイらが知性を持っとることなんか、人間は知らん。知ろうともせん。


 ガゼンの蟲音に、重い感情が乗っとった。ガゼンは過去に人間と戦ったことがある。右の鋏腕の古傷は、人間の冒険者につけられたもんや。


 人間。


 どんな相手なんか、想像もつかへん。


 でも、いずれ出会う。この迷宮で。


 その時、ワイは何を感じるんやろう。


 目を閉じた。角の先で、微かな雷がぱちりと弾けた。


次回「第13話:三匹の連携」

――浅層のモンスターを相手に、グロウ・ルリハ・ガゼンの連携が磨かれていく。そしてグロウは、新しい技の可能性に気づく。

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