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詩と歌の音  作者: ノリコ
5/15

詩と歌の音―4―





「やーっぱカッコイイよねー、シオン!

 表紙だったから思わず買っちゃった!」


ジャンッと男性ファッション誌を差し出す友人に、艶々とした黒髪の少女は呆れ顔で嘆息を返した。


「何よー、花菜ってばその反応。シオンだよ?シオン!

 最近私ら向けの雑誌に載ってくれないもんだからシオン切れなのー!」


高飛車風の大きな目を半眼にした花菜は、ぷくりと頬を膨らませる友人を鼻で哂う。


「そんなもの買わなくったって、花菜は本物見れるもん」

「えー?またまたぁ、嘘ばっかりー」

「ホントよ。

 シオン、花菜のお兄ちゃんなんだから」


ふふんと得意気に笑う。

実の所、ここ一ヶ月その姿を見ていないが。


「嘘嘘、絶対ウソ!」

「ホントだってば。美由紀って案外疑り深いんだね。

 証拠見せてあげるよ。多分、今頃はあそこにいると思うんだ」


ニッと笑う可愛い顔に、美由紀はきょとんと目を瞬かせた。

大量のストラップが揺れる携帯電話を片手に、花菜は目的地とは逆の方向へスタスタと歩いて行く。


「え?ちょっと待ってよ花菜!内田くん達との約束はー?!」

「パスパス!美由紀だって見たいでしょ?本物のシオン」

「え?!マジ?!本当にホント?!」

「大マジ。良いからついてきなって。

 花菜も久しぶりにお兄ちゃんに会いたいし」


一度だけ行った事のある病院。

母に連れられて見舞った異父姉はただでさえ陰気だった雰囲気を増していて、二度と行くものかと思ったものだが。

昨晩兄が帰っていたと知ったのは今朝の事で、その時既に彼の姿は無く。

「こうでもしないと会えないしね」と一人呟くと、その歩調を速めた。







『なあ、俺達はどうすれば良いんだろうな』


笑顔を識らない詩音が呟いた。


『適当にしてれば良いんじゃないの?』


笑顔だけの詩音が答える。


『カノはちゃんと生きていけるのかな』

『生きていけるよ。だって、俺達がいるんだからさ』


裏側の詩音は、歌音以外に攻撃的だが、歌音にはとても優しい。

表側の詩音は、誰にでも優しいけれど、歌音に対しての束縛性が強い。


どうしたら良い。

いっその事、籠の中の鳥のように、誰にも何にも見つからない場所へ隠してみるか。

けれど、それは歌音の自由と人格を奪う事になる。

でも、そうしないと全てのものから歌音を守れないような気がする。

どうすれば良い。


『なあ、俺達はどうすれば良いんだろうな…』


笑顔を識らない詩音が呟いた。

笑顔だけの詩音は淋しそうな笑みを浮かべ、何も答えなかった。




眩しい。

瞼の裏が疼き目を開けると、白電灯の無機質な光が天井を明らせていた。

此処は何処だ。思いながら頭をもたげる。乳白色の壁を見つめ、療養棟だと思い出した。

何故寝ていたのだろうと首を捻ると、頭がズキンと痛んだ。

ピリピリと痺れる痛みを頭部に感じながらのそのそと起き上がり――


「うわっ」


床に置かれている靴に足を突っ込もうとした所で、ベッドに自分のものではない髪が散らばっている事に気づいた。


「カノ……」


驚愕に早鳴る心臓を押さえ、ぐっすりと眠っているらしい妹の額を撫でる。

長い睫に覆われた目は安穏とした形で閉じていて、詩音は一人ふと微笑った。

自分の女版である顔に対して「可愛いなぁ」と思うのはナルシストのようで嫌な感じだが、可愛らしいと感じるのだから仕方がない。

床に下ろしかけていた足をベッドの上へ戻し、胡坐をかいた腿の上に頬杖をついた。

正午を少し過ぎた冬の午後の陽光が、カーテンに遮られながらも柔らかく室内を暖めている。


「覚えてる…?」


両手をついて上半身を折り、穏やかな寝息を立てる歌音の耳元へ唇を近づける。

ギッと、ベッドが軋んだ。一人用のパイプベッドは狭くて堪らないはずなのに、何処よりも広い空間のように思えた。


「カノと、シノしかいないんだよ…?」


ゆっくりと、囁く。

ぴくりと歌音の指が微かに動き、白い瞼が持ち上がった。

薄く開いた妹の目が、鈍く光る兄の目を見つめている。





「ねえ…花菜ぁ、ここ…ってさあ…」


スタスタと病院の敷地を歩く花菜の背に、美由紀は不安気な声をかけた。

勝手にスタジオかロケ現場へ連れて行ってくれるんだと勘違いしていた自分も悪いが、目的地と思われるこの病院は普段馴染みのない類のものだ。


「心配しなくてもシオンはどこも悪くないよ。悪いのはお姉ちゃんだから」


淡々とした声に、数回瞬いた美由紀は黄色い悲鳴を上げる。


「お姉ちゃんって、もしかしてカノト?!

 私カノトも大好きなのー!ねえねえ、雑誌載らなくなったのって、どっか悪くなったから?」


数年前まで、ティーンズ向けファッション雑誌の表紙の殆どを双子のモデルが飾っていた時期があった。

ジャンルを問わず着こなし、それに合った表情を造っているのではなく自然と出している様子が、同年代の少女達の間で爆発的な人気を呼んだのだ。

カノト一人が突然誌面から消えた今でも、二人のファンや彼女のファンは多いのではないだろうか。

うっとりと手を握り合わせていた美由紀は、数秒経っても何も返してこない花菜へ目をやった。

花菜は形の良い眉をぎゅっと寄せ、数部屋ある病室の内の一室を見ている。

怪訝に思いながら習って視線をやると、何もない部屋に置かれたベッドの上で、男が少女の肩口をぽんぽんと寝かしつけるように軽く叩いていた。


「うわあ、うわー!あれってシオンとカノトだよね…?!」


美由紀は思わず歓声を通り越し奇声を発しそうになった口元を押さえ、小声で問う。

つんつんとコートの袖口を引っ張る感触に、ぼうっとしていた花菜ははっと目を瞬くと振り返った。


「そ、そうだよ。詩音と歌音。花菜のお兄ちゃんとお姉ちゃん」

「うわー…超感動だよぉ…!花菜ほんっとありがとう!」

「ね?嘘じゃなかったでしょ?」


興奮を抑える友人にふふんと鼻を鳴らし、花菜は得意気に口角を上げた。




「あれ?君達、何?診察は別棟だよー」


そろそろ詩音を起こそうかと病室に向かっていた恭一郎は、場にそぐわない二人の少女に眉を寄せた。

右手に持っていたファイルをトントンと肩に当てながら声をかける。


「あ、す、すみません。私達診察に来たんじゃなくって…」

「お見舞いに来たんです。お姉ちゃんの」


慌てて両手を振る少女とは対照的に、ツンツンとした印象の少女が堂々とした態度で言葉を引き継いだ。

その少女に何となく見覚えのあった恭一郎は、ファイルを脇に戻しながらきょとんと首を捻った。




ピュウヒュウと冷たい風の音が聞こえてきそうな空をレースのカーテン越しに眺めていた詩音は、微かに聞こえる廊下の騒めきに気づいて目を向けた。

もう一人の妹である少女が、友人らしい少女を連れて何か言っている。

詩音はあからさまに表情を不機嫌にし、小さく舌を打った。


「カノ、腹減った?」


普段とは違う棟内の変化を見ないものとして、まどろみながらも眠る気配のない歌音に問う。

歌音は顔を上げ、数回ゆっくりと瞬いてから小さく頷いた。


「食べに行こうか」

「うん…」


声を出して答えた歌音の頭に軽く手を置いて靴を突っ掛ける。

歌音はのそのそと起き上がり、反対側のスリッパへ同様に足を入れて立ち上がった。

そのままぼうっとした様子で外の風景を眺める細い手を取り、詩音は不機嫌を露に病室の扉を開ける。


「あ、詩音。何だ起きたの?」

「お兄ちゃん!花菜もお見舞い来たのよ」

「うわぁぁ…ほ、本物だぁ…」


三つの声が綺麗に重なり、詩音は益々不快そうに眉を寄せた。





普段から利用者の少ない療養棟の食堂は、この日異常な賑わいを見せていた。

一方的に詩音へ喋りかける花菜、それに短く答えるだけで会話を続けようとはせず歌音の様子に気を配る詩音、のそのそと無表情で昼食を口に運ぶ歌音と、双子を飽きもせずぼーっとした目で見つめ続けている美由紀。

賑わいは花菜のキャイキャイとした十代の女の子らしい声が殆どだったが、愛妻弁当を突く恭一郎は興味深げにその一団を眺めていた。


「先生、これ、訳し終わりましたぁ…」


一団から離れた所で弁当を広げている恭一郎の前に、弁当袋と日記、プリントアウトした紙の束を持った夕実が座る。


「うわ、早いねぇ。さすが夕実ちゃん」

「でもぉ、これぇ…あんまり双子ちゃんには見せない方が…」

「何で?」

「過激っていうか…三年ダイアリーなんですけどぉ、ちゃんとした日記になってるのは一年くらいでぇ…」


むっと眉を寄せる夕実は、普段よりもトロトロとした口調と小声で喋りながら弁当の米を突いた。


「取り敢えず先生が見て下さいよぉ。

 詩音くんはしっかりしてるから大丈夫かもしれないけどぉ…歌音ちゃんには絶対見せちゃ駄目ですよぉ……」

「うぃーっす」


歌音に見せてはいけないのなら、詩音には尚更見せられない。

恭一郎は箸を噛んだまま了解を返し、束の紙を受け取った。

多分二人は父親が自殺した事を知っているだろう。

胎児の記憶があるというのだから、過去の出来事を覚えていやすいタイプに違いない。

ある程度の量とはいえ、妙に重く感じる紙束を大きな封筒に入れ、しっかりと封をした。



「花菜、うるさい」


「ねえお兄ちゃんお兄ちゃん、お兄ちゃんったら!」という呼びかけを五回程繰り返した花菜は、漸く返ってきた反応にむすりと唇を尖らせた。

相変わらず冷たい目で軽く睨まれるだけだ。司郎はあんなに優しかったのに、詩音には一度も優しく接してもらった覚えがない。

それもこれも歌音のせいだ、と思いながら姉を見ると、彼女はもそもそと口を動かしながら窓の外を眺めていた。


兄とよく似た顔の姉の目には生気がない。

幼いながらに彼女が何をされたのか何となく判り、彼女が大好きだった異母兄を殺してしまった事も解った。

心の病気になったのだと母は言ったが、本当だろうか。

もしそれが本当でも、自分の都合の良いように逃げただけに過ぎない。

花菜はじっと姉を見つめ、軽く息を吐いた。


「うわっ、内田くんからメール入ってる…怒ってるよー。

 ねえ花菜、今からでも行こうよ」


歌音が最後の一口を飲み込んだ所で、美由紀は「ああっ」と素っ頓狂な声を上げた。


「えー?やだよ。花菜ここにいる」

「一緒に帰れ」


焦った様子で携帯を突きつける美由紀に花菜は眉を歪めて首を振ったが、詩音は目も向けずに彼女の言葉を煽る。

そこへ、昼食を終えた恭一郎がニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて近づいて来た。


「詩音、終わったら続きな」

「はあ?またですか?嫌ですよ」

「嫌よ嫌よも好きの内って言うじゃなーい。

 って事で、花菜ちゃんだっけ?詩音と大事な話があるから、今日はちょっと君との時間を取れないと思うんだ」

「えー?!何それー!」


ぎゃあぎゃあと喚く花菜と、それに気圧されて乾いた笑い声を立てる恭一郎を見比べた詩音は怪訝そうに目を細める。

まさかとは思うが、助け舟を出してくれたとか。

花菜のマシンガントークを笑顔で受ける恭一郎の目は笑っておらず、更にそのこめかみに微かな青筋を見つけた詩音はその考えを払拭した。やれやれと首を振りながら歌音の手を取る。


「部屋、戻ろう」


詩音に習って立ち上がった歌音は、小さく頷いた。直毛の長い髪がさらりと揺れる。


「ちょまーっ!詩音、ちょ、お待ち!」


我侭、と額に堂々と書いているような花菜の文句の羅列に早くも参り始めていた恭一郎は、この場を救済してもらう意味合いも含ませて詩音を呼び止めた。

嫌そうに眉を顰めた顔が振り向く。


「何ですか?」

「すぐにカウンセリングの続きです。君は第一診察室へ直行するように!」

「ちょっと、歌音は?」

「歌音は君よりもこの院内に詳しい子です。一人で帰れるよな?歌音」


ふい、とそっぽを向く歌音に、恭一郎はがっくりと項垂れた。

詩音は嘆息しながら腰を屈め、歌音の視界に移動する。


「一人で帰れる?」


長い前髪に隠れた目を見つめて問うと、歌音は少し淋しそうな目をして頷いた。

「第一診察室だかんね!」としつこく呼び掛ける恭一郎に手を振り、詩音は歌音に苦笑して見せると「出口まで一緒に行こう」と食堂を出た。


「先生、お姉ちゃん喋れるんでしょ?」

「んあ?まあ、詩音とならコミュニケーション取れるかな」


とは言っても微笑っているだけで、声と言葉に感情は無いが、取り敢えず会話は成立している。

自我の強い少女に多少ビクつきながら答えると、花菜はむっと眉を寄せたまま唇を尖らせた。


「私とは話せないの?」

「へ?そりゃ、どうかなぁ。俺とも未だ話してくんないからねぇ、あの子。

 でもまぁ、詩音と話せるようになったんだし、お互いに努力すれば君とも話してくれるようになるんじゃない?その内」

「ほんとに病気なの?」

「ええ?そりゃ、病気じゃなきゃ入院しないでしょ。

 って事で僕はお仕事に行かなければならないので、気をつけて帰るんだよ〜」


ピッとロボットのように手を上げ返事を待たずにスタスタと立ち去る恭一郎の背に、花菜は立てた親指をガッと地面に向けて振り下ろした。


「花菜、急いでー!早く行かなきゃ」

「だから、花菜は行かないってば!美由紀一人で行ってきなよ。

 花菜は急用出来て行けなくなったって言っといてくれれば良いから」

「ええー!?ダブルデートなのに?!」

「良いの!じゃあね!」


ぷりぷりと肩を怒らせる花菜は、ダスダスと足音も煩く食堂を後にする。

一人ぽつんと残された美由紀は「うえー」と情けない声を上げたが、ブルブルッと震える携帯電話に「ああー!」と叫びながら病院を後にした。




一度来たきりだが、大して広くもない、むしろ狭い療養棟で、歌音の病室を見つけるのは思いのほか簡単だった。

淡色の壁紙に彩られた部屋は見るからに清潔そうで殆ど物が無い。壁面収納型のクローゼットと小さな三段の靴箱、本の無い本棚やベッドに洗面台。生活に必要な最低限の家具ばかりだ。

そういえば、自宅の兄の部屋やそのままにしてある姉の部屋もこんな様子だ。ただそこに生きているだけのような、感情や個性の見えない部屋。


大きな窓に向かってベッドに腰を下ろし、歌音は絵本をパラパラと捲っているようだった。

数分その姿を眺め、花菜はノックもなしに扉を開ける。開閉の音が聞こえているはずなのに、姉は振り向きもしない。


「お姉ちゃん」


背後から声をかけると、絵本を捲る手がぴたりと止まった。

何だ、やっぱり聞こえているじゃないか。そう思いながら、歌音の前へ回り込む。


「本っ当にお姉ちゃんはずるっ子だね」


窓の手前に置いてあった椅子にどかりと腰を掛けると、歌音と丁度同じ目の高さになった。

ふい、と目を逸らす姉を、腕を組んで睨みつける。

小さい頃から、姉の持っているもの全てが欲しかった。そうしたら、同等になれると思ったからだ。


「お姉ちゃん、聞こえてるよね?」


病気なんかじゃない。

司郎を殺した現実から、一人勝手に逃げているだけなんだ。

花菜は大きな目に愛憎を滲ませ、目を逸らせる歌音の視界へ移動した。


逃げてもずいっと身体を曲げて視界に割り込む花菜に歌音は立ち上がり、膝に置いていた絵本がバサリと落ちた。

おずおずと後退する姉に花菜も立ち上がり、その軌跡をゆっくりと辿る。


「演技なんでしょ?お姉ちゃん」


あまり広くない病室。

歌音の背は冷たい床にぶつかった。



“妹”の、目が、怖い。








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