写っていたもの
フラッシュの残像が消えた。
俺は窓際に立ったまま、動けなかった。
さっきまで家の前にいた男。
白いTシャツ。
右手にカメラ。
顔は――見えなかった。
見えなかったというより。
見ようとした瞬間、頭の中から何かが抜け落ちるような感覚があった。
「……誰だよ」
返事はない。
窓を開ける。
夏の夜の湿った空気が入ってきた。
外には誰もいない。
道路にも。
田んぼにも。
旧道へ続く道にも。
ただ、アスファルトの上に何か落ちていた。
白い紙。
俺は玄関から外へ出た。
裸足のまま、紙を拾う。
写真だった。
ポラロイドみたいな古い写真。
でも、俺のカメラで撮った写真じゃない。
写真には、俺の部屋が写っていた。
窓。
机。
パソコン。
そして――
窓際に立っている俺。
「……」
写真の中の俺は、今の俺と同じ服を着ている。
同じ場所に立っている。
つまり。
これは今撮られた写真だ。
俺は裏返した。
何も書いていない。
もう一度、表を見る。
おかしい。
写真の右下。
小さなデジタル表示が焼き付いている。
『2003/08/19 23:40』
「……違う」
今は8月19日。
時間も23:40。
そこまでは合っている。
だけど。
写真を撮られたのは、ついさっきだ。
23:40になった瞬間。
それなのに。
どうして写真には――
俺が写真を見ているところまで写っている?
俺は写真から目を離した。
そして、もう一度見た。
写真の中。
窓際の俺の後ろ。
部屋の暗がりに。
誰かが立っていた。
「……え?」
俺は写真を近づけた。
白いTシャツ。
右手にカメラ。
顔は黒く潰れている。
さっき外にいた男。
同じだ。
でも。
その男が立っている場所はおかしい。
写真の中では――
俺の部屋の中にいる。
俺は勢いよく振り返った。
誰もいない。
部屋には俺一人。
机。
ベッド。
カーテン。
壁。
何も変わっていない。
もう一度写真を見る。
男はいる。
俺のすぐ後ろ。
右手にカメラ。
そして。
男の左手には――
古い携帯電話が握られていた。
画面に文字が表示されている。
俺は目を凝らした。
『帰った?』
「……」
さっき俺に届いたメール。
同じ文章だった。
俺は写真を机の上に置いた。
頭の中で、何かが繋がり始めていた。
メール。
掲示板。
写真。
23:40。
そして、2000年。
全部が同じ時間を指している。
でも。
ひとつだけ変だった。
写真が未来を予言しているなら。
どうして、写真の中に「今この写真を見ている俺」が写っている?
未来を撮ったんじゃない。
もっと別の何かだ。
俺は机の上に、これまでの写真を並べた。
2000年8月18日。
2002年8月18日。
2003年8月19日。
どれも同じバス停。
同じバス。
同じ23:40。
そして。
どの写真にも、微妙な違いがある。
2000年。
四人。
2002年。
三人。
2003年。
俺一人。
「……人数が減ってる?」
口にした瞬間。
携帯が鳴った。
メールだった。
差出人。
◆N4oT0
掲示板のトリップと同じだ。
本文。
『違う』
俺は固まった。
『人数が減ってるんじゃない』
次の一行。
『帰った奴が、写らなくなってる』
俺は写真を見る。
2000年。
四人。
2002年。
三人。
2003年。
俺。
じゃあ。
写真から消えた人間は――
「帰った?」
メールが届く。
『そう』
『正確には、帰ったことにされた』
俺はすぐ返信した。
『誰が?』
数秒。
『お前』
心臓が嫌な音を立てた。
『2000年の8月18日に、お前が一人を帰ったことにした』
俺は画面を見つめた。
『だから、そいつは写真から消えた』
指が震えた。
そんな記憶はない。
俺は2000年のことを覚えている。
川で遊んだ。
恒一が石を投げた。
美咲が怒った。
四人で帰った。
――そう思っていた。
でも。
ビデオには三人しか帰る姿が映っていなかった。
四人目は。
バス停に残った。
俺はアルバムを開いた。
2000年の写真。
四人目。
白い指。
傷。
俺と同じ右手。
そして。
さっきの写真。
白いTシャツの男。
俺は突然、あることに気づいた。
「……服」
2000年の写真に写っている四人目。
白いTシャツ。
短パン。
そして、2003年の俺。
Tシャツは違う。
ズボンも違う。
でも。
2003年の写真に写った男は――
白いTシャツ。
短パン。
まるで。
2000年の子供が、そのまま大きくなったような格好だった。
いや。
そんなわけがない。
写真に写っている男の体格は、俺とほとんど同じだった。
顔だけが見えない。
俺は写真を裏返した。
そこに。
今までなかった文字があった。
『2000/08/18』
その下。
『帰ったことにしたのは、誰?』
さらにその下。
『直人?』
俺は写真を落とした。
床に落ちた写真が、裏返る。
裏面に、もう一行。
『それとも、直人に帰らせたのは誰?』
その瞬間。
家の電話が鳴った。
午前0時を過ぎている。
こんな時間に電話をかけてくる人間なんていない。
俺は受話器を取らなかった。
鳴り続ける。
ジリリリ。
ジリリリ。
やがて。
留守番電話に切り替わった。
ピーッ。
数秒の無音。
そして。
子供の声。
『もしもし』
俺は息を止めた。
『直人?』
美咲の声だった。
でも。
今の美咲じゃない。
もっと幼い。
2000年の。
子供の美咲。
『直人、どこにいるの?』
ノイズ。
『早く帰ってきて』
俺は受話器を握った。
録音日時が表示されている。
2000年8月18日。
23:41。
「……なんで」
俺は呟いた。
2000年の留守番電話が。
2003年の家の電話に残っている。
ありえない。
なのに。
声は続いた。
『あの子が、帰れないって』
俺の呼吸が止まった。
『だから、直人が帰ったことにしてって』
そこで一度、声が途切れた。
そして。
小さな美咲が、泣きそうな声で言った。
『……お願い』
プツッ。
録音が切れた。
俺は受話器を置いた。
部屋の時計を見る。
00:03。
もう23:40は過ぎた。
なのに。
何も起きない。
バスも来ない。
メールも来ない。
俺は少しだけ安心した。
終わった。
そう思った。
その時。
パソコンの画面が勝手に点いた。
掲示板。
新しいレスが一つ。
◆N4oT0
『これで帰ったことになった』
俺は画面を見つめた。
次のレス。
『だから、次は2000年』
さらに。
『8月18日』
最後に。
『23:40』
画面が暗転した。
そして、真っ黒な画面の中央に。
白い文字が一つだけ浮かんだ。
『直人は、まだ一度も時間を移動していない』
俺は動けなかった。
だったら。
俺が今まで見ていた2000年の映像は何だった?
2002年の写真は?
未来から届いたメールは?
そして――
俺の部屋にいた、あの男は?
その答えを考えるより先に。
背後から、シャッター音がした。
カシャッ。
俺は振り返った。
誰もいない。
でも。
机の上に置いたはずの写真が一枚だけ消えていた。
2000年8月18日の写真。
四人の子供が写っていた写真。
代わりに。
机の上には、新しい写真が一枚置かれていた。
俺は震える手で、それを拾った。
写真には。
2000年8月18日のバス停が写っていた。
四人の子供。
バス。
23:40。
そして。
その後ろに立っている――
2003年の俺。
俺は写真を見ながら、初めて理解した。
時間を飛び越えているのは。
俺じゃない。
写真のほうだった。




