帰ったことにする
赤いテールランプは、しばらく動かなかった。
旧道の奥。
街灯もない。
人家もない。
そんな場所に、赤い光だけが浮かんでいる。
バス。
そう思った。
でも、さっき見たバスには、赤いテールランプなんて見えなかった。
そもそも。
あれがバスなのかどうかも分からない。
俺はカーテンを閉めた。
携帯を見る。
23:20。
さっき届いたメールは、まだ画面に残っている。
『23:40を守れば、8月18日は終わる。』
意味が分からない。
俺は机の前に座った。
そして、ふと思い出した。
掲示板。
この町には、昔から地元の人間が使っている小さな掲示板がある。
今ではほとんど書き込みもない。
それでも、過去ログだけは残っている。
俺はパソコンを起動した。
古いモニターが、ブゥン、と音を立てる。
ダイヤルアップじゃない。
もう普通にネットには繋がる。
検索欄に、適当な言葉を入れた。
『滝野川 23:40』
何件か出てくる。
ほとんどは意味のない書き込みだった。
バス停の場所。
昔の道路の話。
「夜は鹿が出る」
「携帯圏外になる」
そんな程度。
さらに検索する。
『滝野川 バス』
古いスレッドが一つ引っかかった。
【田舎の怖い話】伊毬市の旧道について
2001年に立てられたスレッドだった。
俺はクリックした。
最初のほうは、くだらない話ばかりだった。
『旧道のトンネル出るってマジ?』
『出ない。普通に鹿』
『23時過ぎにバス見たって爺ちゃんが言ってた』
『廃線なのに?』
『知らん』
そこまで読んで、俺は手を止めた。
23時過ぎ。
やっぱり昔から見られている。
ページを下へ送る。
すると、一つだけ妙な書き込みがあった。
『2000年8月18日に旧道でバス見た奴いる?』
書き込み日時。
2001年8月19日。
ちょうど一年後だった。
その下に返信。
『あの日は雨だったろ』
『雨じゃねーよ』
『子供がいなくなった日?』
『その話すんな』
俺の指が止まった。
子供。
やっぱりだ。
恒一の父親が言っていた話と同じ。
2000年。
子供が一人、旧道で消えた。
俺はさらにスクロールした。
すると、そのスレッドの中に、一つだけ他とは違う投稿があった。
『帰ったことにするな』
投稿者の名前。
名無しさん。
その横にトリップが付いていた。
◆N4oT0
「……」
俺は画面を見つめた。
偶然だ。
たぶん。
そう思った。
でも、次の書き込みを見て、背中が冷たくなった。
『23:40までに帰れ』
同じトリップ。
◆N4oT0
さらに。
『バスには乗るな』
◆N4oT0
そして最後。
『写真を信じるな』
◆N4oT0
俺は椅子から立ち上がった。
「……なんだよ、これ」
書き込みの日付を確認する。
2001年8月19日。
2001年8月19日。
2001年8月20日。
全部、三年前のものだった。
しかも。
俺がここ数日で受け取ったメールと、ほとんど同じ内容。
俺は掲示板の投稿者欄をクリックした。
トリップについての説明が出る。
昔の掲示板では、本人確認のために使われていたものらしい。
◆N4oT0。
俺の名前。
NAOTO。
そう見えなくもない。
でも。
俺はこんなトリップを使ったことがない。
というより。
2001年の俺は、まだ掲示板なんて知らなかった。
そもそも。
俺はこの町にずっといたわけじゃない。
夏休みで帰ってきただけだ。
ページを戻す。
書き込みの一番下に、さらに一つだけレスがあった。
『お前、誰だ?』
◆N4oT0
『俺だよ』
投稿日時。
2001年8月20日。
その一時間後。
『じゃあ名前言ってみろ』
◆N4oT0
『直人』
俺は息を止めた。
次の書き込み。
『名字は?』
しばらく間が空いている。
そして。
『まだ分からない』
そこで、そのトリップの書き込みは終わっていた。
俺は画面を見ながら考えた。
名字が分からない?
そんなことがあるのか。
自分の名前なのに。
いや。
違う。
これは俺じゃない。
俺と同じ名前を名乗る誰かだ。
そう考えるほうが自然だった。
俺はページを保存しようとした。
その時。
掲示板が突然更新された。
「え?」
新着レス。
ありえない。
このスレッドは三年前のものだ。
なのに。
画面の一番下に、新しい書き込みが表示された。
『お兄ちゃん、まだ起きてる?』
俺は固まった。
誰だ。
数秒後。
さらに投稿。
『23:40まで、あと17分』
トリップ。
◆N4oT0
「……ふざけんな」
俺はパソコンの電源を切ろうとした。
その瞬間。
また書き込まれた。
『電源切るな』
俺の手が止まった。
続けて。
『今から書くことを読め』
◆N4oT0
『2000年8月18日の23:40に、バスに乗ったのは一人だけ』
俺は画面に顔を近づけた。
『ただし、乗った本人は、自分が乗ったと思っていない』
意味が分からない。
次のレス。
『バスに乗る必要はない』
『必要なのは、帰ること』
『でも、家に帰っても意味がない』
俺は唾を飲み込んだ。
『23:40までに「帰ったこと」にしろ』
そこで投稿が止まった。
俺は時計を見る。
23:27。
あと13分。
何をすればいい?
家に帰る?
もう家にいる。
じゃあ「帰ったことにする」って何だ。
その時だった。
背後で物音がした。
カタ。
振り返る。
誰もいない。
廊下。
暗い。
俺は立ち上がった。
そして、ふと気づく。
廊下の壁に掛けてあった時計。
針が止まっている。
23:40。
「……」
さっきまで動いていたはずだ。
近づいてみる。
秒針が動かない。
23:40。
時計を外した。
裏蓋を見る。
電池が入っていなかった。
「なんだよ……」
その瞬間。
携帯が鳴った。
メール。
差出人は――
俺。
本文。
『帰った?』
俺は返信した。
『もう家にいる』
送信。
数秒。
返信が来た。
『それじゃ駄目』
続けて。
『2000年の俺も、そう言った』
俺は画面を見た。
『「家にいる」って答えた』
『だから、帰ったことにならなかった』
そこでメールが途切れた。
俺はしばらく動けなかった。
そして。
物置のほうから、ビデオデッキの再生音が聞こえた。
誰も触っていない。
なのに。
テレビが点いていた。
砂嵐。
ザーッ。
画面中央に、映像が映る。
2000年8月18日。
23:29。
バス停。
四人の子供。
そして。
画面の中の四人目が、カメラに向かって振り返った。
顔は見えない。
でも。
右手だけは見えた。
傷。
俺と同じ場所。
その子供が、カメラに近づく。
画面いっぱいに顔が映る。
黒い。
何も見えない。
そして。
音声だけが、はっきり聞こえた。
『直人』
俺は息を止めた。
『お前、まだ帰ってないだろ』
画面の時刻が変わる。
23:30。
23:31。
23:32。
時間だけが進んでいく。
俺はテレビから目を離せなかった。
そして23:39。
映像の中の四人目が、バス停から一歩だけ道路へ出た。
その瞬間。
映像が途切れた。
真っ黒になった画面に、白い文字が一行だけ浮かんだ。
『帰る場所を間違えるな』
俺の携帯が鳴った。
23:40。
着信。
表示された名前は――
直人。
俺は電話に出た。
向こうから、俺の声が聞こえた。
『……やっと帰ってきた』
その瞬間。
家の外で、バスのドアが開く音がした。
プシューッ。
俺は窓の外を見た。
赤いテールランプは、もうなかった。
代わりに。
家の前に、白いTシャツの男が立っていた。
顔は見えない。
右手にカメラを持っている。
そして。
男は俺を見上げて、ゆっくり手を上げた。
シャッター音。
カシャッ。
俺の部屋が、フラッシュで真っ白になった。




