写真の中の時間
写真を握ったまま、俺は動けなかった。
2000年8月18日。
滝野川旧道入口。
四人の子供。
その後ろに――俺。
2003年の俺。
ありえない。
写真の中にいる俺は、確かに今の俺だった。
髪型も。
服も。
右手の傷も。
何より、俺が首から下げているカメラ。
今、俺の机の上に置いてあるものと同じだった。
「……じゃあ、これを撮ったのは誰だ」
俺は写真を裏返した。
日付。
『2000/08/18 23:40』
撮影者の表示はない。
ただ、その下に小さく文字が焼き付いていた。
『IMG_0818.JPG』
俺のカメラのファイル名と同じ。
俺はカメラを手に取った。
電源を入れる。
液晶には、最後に撮影した写真が表示された。
家の前。
23:40。
白いTシャツの男。
そして――
俺。
画面を送る。
次の写真。
物置。
2000年のビデオテープ。
その次。
古いアルバム。
その次。
知らない部屋。
「……なんだ、これ」
知らない部屋の写真。
木造。
六畳くらい。
壁に子供の絵。
窓の外には田んぼ。
机の上に、小さな目覚まし時計。
時刻は23:40。
俺は写真を拡大した。
壁に貼られた紙。
そこに名前が書いてあった。
『なおと』
「……」
俺は写真をさらに拡大する。
名前の横。
小さな傷のようなものがある。
右手。
あの写真と同じ。
俺はカメラを置いた。
頭が混乱していた。
知らない部屋。
知らない写真。
でも。
名前だけは俺。
その時。
携帯が鳴った。
メール。
差出人――
◆N4oT0
『写真を見つけたなら、もう戻れない』
俺は返信した。
『誰だ』
すぐに返事。
『知ってるだろ』
『俺だよ』
『直人』
俺は歯を食いしばった。
『お前は誰なんだ』
返信は来ない。
数十秒。
一分。
二分。
何も来ない。
代わりに。
掲示板が更新された。
『質問に答える』
◆N4oT0
『俺は、お前じゃない』
俺は画面を見つめた。
『でも、お前の続きを生きてる』
続けて。
『だから、俺の記憶にはお前がいる』
意味が分からない。
いや。
分かりかけている。
俺は、別の時間軸の自分。
別の世界の直人。
そういうことなのか。
でも。
それなら――
2000年の写真に、どうして俺がいる?
書き込みが続いた。
『2000年の8月18日』
『俺は、そこで初めて写真を撮った』
『その写真には四人いた』
俺は息を止めた。
『でも、四人目は俺じゃなかった』
次の一行。
『だから俺は、そいつを帰らせた』
「……帰らせた?」
俺は呟いた。
その瞬間。
家の外から、蝉の声が聞こえた。
夜中なのに。
ミーン。
ミーン。
ミーン。
おかしい。
夏でも、こんな時間に蝉は鳴かない。
しかも。
その声が。
だんだん近づいてくる。
窓の外。
田んぼ。
旧道。
木々。
そして。
庭。
俺はカーテンの隙間から外を見た。
誰もいない。
なのに、蝉の声だけがすぐそこにある。
ミーン。
ミーン。
ミーン。
俺は窓から離れた。
その時。
テレビが勝手についた。
砂嵐。
そして。
2000年8月18日の映像。
今度は、ビデオじゃない。
もっと古い。
家庭用カメラで撮影された映像だった。
四人の子供。
川原。
俺。
恒一。
美咲。
そして四人目。
カメラを持っている。
俺は画面に近づいた。
四人目がカメラをこちらに向ける。
映像が揺れる。
そして。
カメラ越しに、声がした。
『直人』
俺は凍りついた。
2000年の声。
幼い声。
でも。
確かに俺の声だった。
『写真、撮るよ』
シャッター。
カシャッ。
画面が一瞬真っ白になる。
次の瞬間。
写真が映った。
四人。
全員笑っている。
その写真の中央に。
白いTシャツの男が立っている。
2003年の俺。
俺はテレビの前で息を止めた。
すると。
画面の中の幼い俺が、こちらを見た。
映像の中なのに。
まっすぐ。
俺を見ている。
『ねえ』
幼い俺が言う。
『そっちの俺』
俺の喉が鳴った。
『まだ帰ってないの?』
俺は一歩下がった。
『早く帰って』
画面が暗くなる。
そこで映像は終わった。
テレビの電源が切れた。
部屋が静かになる。
俺は震える手で、写真を見た。
四人の子供。
その後ろに立つ俺。
だが。
さっきまで四人目の顔は黒く潰れていたはずなのに。
今は、少しだけ見えていた。
目。
鼻。
口。
まだ完全には見えない。
でも。
その顔は――
俺だった。
「……俺?」
写真を近づける。
その瞬間。
写真の中の俺が。
笑った。
俺は写真を床に落とした。
カシャッ。
またシャッター音。
今度はカメラからだった。
勝手に撮影された。
俺は液晶を確認する。
新しい写真。
撮影時刻。
23:40。
場所。
滝野川旧道入口。
俺はそこにいない。
今、家にいる。
なのに。
写真の中には俺が立っていた。
そして、その隣に――
幼い美咲。
幼い恒一。
もう一人の子供。
2000年の四人。
俺は写真を拡大した。
四人目がこちらを向いている。
今度は顔が見える。
俺だった。
いや。
違う。
俺と同じ顔。
でも。
右手に傷がない。
代わりに。
左手に傷がある。
「……左右が逆?」
俺は自分の右手を見る。
傷。
間違いなく右。
写真の中の子供は左。
つまり。
同じ顔だけど。
同じ人間じゃない。
その時。
掲示板に新しい書き込みが入った。
『やっと分かった?』
◆N4oT0
『写真に写ってる俺は、全部別人だ』
俺は画面を見つめた。
『2000年の俺』
『2002年の俺』
『2003年の俺』
『全部違う』
そして。
『でも、同じ場所に帰ろうとしてる』
俺は返信した。
『帰る場所って何だ』
しばらくして。
返事。
『家じゃない』
その一行のあと。
もう一つ。
『時間だ』
俺は画面を見つめた。
そこで。
初めて気づいた。
この数日。
俺はずっと「帰る」という言葉を、家に戻ることだと思っていた。
でも。
この町の怪異が言っている「帰る」は。
もっと別の意味だった。
――元いた時間に戻る。
そう考えれば。
全部つながる。
23:40までに帰れ。
バスに乗るな。
写真を信じるな。
2000年の俺は、帰らなかった。
だから。
2003年の俺が、その続きを引き受けている。
俺は立ち上がった。
そして。
机の上の写真を一枚ずつ確認した。
2000年。
2002年。
2003年。
全部違う俺。
なのに。
同じ傷。
同じカメラ。
同じ23:40。
最後の写真だけが違った。
そこには。
誰も写っていない。
バス停だけ。
そして。
時刻。
23:40。
写真の裏には、一文。
『次に帰るのは、誰?』
俺はその文字を見つめた。
すると。
玄関の外から声がした。
「直人」
俺は振り返った。
女の声。
美咲だった。
「直人、いる?」
俺は玄関へ向かった。
ドアを開ける。
美咲が立っていた。
泣きそうな顔をしている。
「……美咲?」
「うん」
美咲は俺を見る。
そして。
俺の右手を見る。
傷を確認するように。
「やっぱり……」
「何が?」
美咲は少し黙った。
それから。
小さな声で言った。
「直人」
「ん?」
「私ね」
美咲は俺を見上げた。
「2000年の8月18日から、ずっと一人だけ、帰ってきてないと思ってた」
「……誰が?」
美咲は答えなかった。
代わりに。
俺の後ろを見た。
家の中。
机の上。
写真。
そして。
真っ白な画面になったパソコン。
美咲の顔から血の気が引いた。
「……まだ、いる」
「何が?」
美咲は震える声で言った。
「四人目」
俺が振り返る。
誰もいない。
でも。
パソコンの画面には。
新しい書き込みが表示されていた。
『違う』
◆N4oT0
『四人目は、帰ってきてないんじゃない』
その下。
『帰る場所を失ったんだ』
最後の一行。
『だから、誰かの時間を借りてる』
俺は画面を見つめた。
そして。
背後で。
美咲が小さく息を呑んだ。
「直人……」
「何?」
「今、後ろに――」
そこで。
家の電気が消えた。




