2002年の写真
その夜、俺は写真を全部見直した。
パソコンのフォルダを開く。
2003年8月。
川。
田んぼ。
美咲。
恒一。
バス停。
そして、あのバス。
どれだけ見ても、答えは出ない。
むしろ見るほど分からなくなっていく。
特に気になるのは、昨日見つけた古い写真だった。
NAOTO_0001.JPG
2000年8月18日。
俺たち三人と、顔の見えない四人目。
そして、俺と同じカメラ。
「……」
俺はフォルダを閉じようとして、ふと思った。
2000年があるなら。
2001年は?
そして、
2002年は?
俺は祖父母の家にある古いCD-Rを思い出した。
昔、父親がデジカメの写真を保存していたものだ。
確か、押し入れの奥に何枚かあった。
部屋を出る。
廊下は真っ暗だった。
時計を見る。
0:17。
家族はみんな寝ている。
足音を立てないように、押し入れを開けた。
古い箱。
新聞紙。
ビデオテープ。
そして、
CD-R。
油性ペンで、
2001 夏
2002 夏
と書かれている。
「……あった」
俺は部屋へ戻った。
パソコンにCDを入れる。
読み込みに時間がかかる。
古い写真が表示された。
祖父母。
家。
祭り。
川。
2002年8月。
写真を順番に見ていく。
その中に、
俺たち三人の写真があった。
「……」
川原。
俺。
恒一。
美咲。
三人で笑っている。
昨日の写真と同じ。
何もおかしくない。
次。
祭り。
三人。
次。
田んぼ。
三人。
次。
神社。
三人。
次。
――バス停。
俺の手が止まった。
「……何だ、これ」
2002年8月18日。
滝野川の旧道。
古いバス停。
写真の隅に、
俺たち三人が写っている。
ただし。
三人ともカメラの方を見ていない。
全員、
同じ方向を見ている。
バス停の向こう。
俺は写真を拡大した。
そこには、
バスが写っていた。
古い車体。
真っ黒な行き先表示。
そして、時刻表。
23:40
俺は椅子から立ち上がった。
「……なんで?」
2002年。
俺たちは、こんなバスを見たことがない。
少なくとも俺は覚えていない。
写真をさらに拡大する。
バスの窓。
暗くて、中は見えない。
でも、
ひとつだけ。
後ろの窓に、
白い顔のようなものが映っている。
俺は画面を閉じた。
息を整える。
「……気のせいだ」
もう一度開く。
やっぱりある。
顔。
いや。
顔に見えるだけだ。
写真なんて、光の反射でいくらでもそう見える。
そう自分に言い聞かせた。
そのとき。
背後から声がした。
「何してるの?」
「うわっ!」
俺は椅子から飛び上がった。
振り返る。
祖母だった。
「……びっくりした」
「何見よると?」
「昔の写真」
「そんな夜中に?」
「ちょっと気になって」
祖母が画面を覗く。
2002年のバス停。
その瞬間。
祖母の顔が変わった。
「……これ」
「知ってる?」
「知らんよ」
「でも――」
「直人」
祖母が俺を見る。
「その写真、どこから出した?」
「CD」
「そうじゃなくて」
声が低い。
「誰が撮った写真ね?」
「分からない」
「……そう」
祖母は画面から目を逸らした。
「もう寝なさい」
「ばあちゃん」
「何?」
「2002年の8月18日って、何かあった?」
祖母は答えなかった。
ただ、
「……そんな昔のこと、覚えとらん」
と言って、部屋を出ていった。
俺はしばらく動けなかった。
祖母は嘘をついている。
なぜか、そう思った。
*
翌朝。
恒一と美咲を呼んだ。
俺の部屋に二人を入れる。
「これ」
パソコンを見せる。
2002年8月18日の写真。
バス停。
バス。
23:40。
「……マジ?」
恒一が固まった。
「こんなの、俺知らねえぞ」
「私も」
美咲が写真に顔を近づける。
「これ……」
「何?」
「このバス」
「うん」
「昨日のと同じ」
「……」
俺もそう思っていた。
車体の傷。
窓の数。
後ろの赤いランプ。
全部同じ。
「じゃあ、2002年にもいたってこと?」
恒一が聞く。
「たぶん」
「じゃあ、2000年は?」
俺は黙った。
2000年の写真を開く。
バスは写っていない。
でも、時刻表には、
23:40。
恒一が腕を組んだ。
「なあ」
「ん?」
「これ、バスが最初じゃなくね?」
俺は顔を上げた。
「どういうこと?」
「だって2000年にはバスが写ってないのに、23:40はある」
「……」
「じゃあ、最初から23:40って時間だけあったんじゃね?」
その言葉に、
背中が冷たくなった。
バスが来るから23:40なのではない。
23:40だから、バスが来る。
そんな考えが浮かんだ。
「……だったら、写真は?」
美咲が呟いた。
「写真が先なのか、バスが先なのか分からない」
俺は言った。
「もしかしたら――」
そこで言葉が止まる。
携帯が鳴った。
メール。
差出人。
俺自身。
本文は、
2002年の写真を消せ。
俺は画面を見つめた。
「……また?」
恒一が聞く。
「何?」
「いや……」
俺はメールを閉じた。
その瞬間。
美咲が言った。
「消さない方がいいよ」
「え?」
「その写真」
美咲は画面を見ていた。
「消したら、たぶん駄目」
「何で?」
「分からない」
「またそれかよ」
美咲は黙った。
そして、
「でも……」
小さな声で続けた。
「写真って、消したら本当に無かったことになるの?」
俺は答えられなかった。
*
その日の午後。
俺は一人で旧道へ向かった。
2002年の写真と同じ場所。
バス停。
ベンチ。
時刻表。
何も変わっていない。
俺はカメラを構えた。
撮影。
写真を見る。
バスは写っていない。
23:40の文字もない。
普通の写真。
「……やっぱり」
写真が怪しいわけじゃない。
そう思った。
もし写真そのものが怪異なら、
今撮った写真にも何かが写るはずだ。
でも何もない。
だったら――
写真は結果を記録しているだけなのかもしれない。
怪異の原因は別にある。
俺はそう考えながら、バス停の時刻表を直接見た。
紙は古い。
23:40の文字は、
やっぱり見えない。
「……」
俺はカメラの写真と、目の前の時刻表を見比べた。
写真には写っている。
現実にはない。
なら、
写真は嘘をついている。
そう思った。
そのとき。
背後から、
「直人」
声がした。
振り返る。
誰もいない。
山だけ。
蝉の声。
風に揺れる田んぼ。
俺は周囲を見回した。
「……誰?」
返事はない。
もう一度、カメラを確認する。
さっき撮った写真。
バス停。
山。
田んぼ。
そして、
写真の右端。
木の陰に、
白いTシャツの男が立っている。
「……!」
俺はすぐ後ろを振り返った。
誰もいない。
もう一度、写真を見る。
男はいる。
拡大する。
顔が見えない。
手にカメラを持っている。
俺と同じ機種。
そして。
その男の足元に、
小さな文字が写っていた。
誰かが石で地面に書いたような文字。
23:40までに帰れ
俺は画面を見つめた。
時計を見る。
23:12。
あと28分。
その瞬間。
遠くの山から、
低いエンジン音が聞こえた。
ブゥゥゥン……。
俺は自転車に飛び乗った。
帰らなきゃいけない。
理由は分からない。
ただ、
23:40までに帰らなければならない。
そんな確信だけがあった。
ペダルを踏む。
背後で、
ひぐらしが鳴いていた。
カナカナカナ――。
そして俺はまだ知らなかった。
この日、
「23:40までに帰る」というルールを破った人間が、過去に一人だけいることを。




