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写真に写らないもの

 朝から、ずっと気持ちが悪かった。

 熱があるわけじゃない。

 腹が痛いわけでもない。

 ただ、頭の奥に薄い霧がかかっているような感じがする。

 パソコンの画面には、昨日見つけた写真が開いたままだった。

NAOTO_0001.JPG

2000/08/18 23:40

 俺は何度も撮影日時を確認した。

 間違っていない。

 2000年8月18日。

 三年前。

 俺がまだ小学生だった頃。

 写真の中には、今とほとんど変わらない滝野川の旧道が写っている。

 古いバス停。

 山。

 田んぼ。

 そして俺たち三人。

 ……いや。

 四人。

 バス停の陰に、誰かがいる。

 顔は見えない。

 でも、俺には分かってしまう。

 あれは――

 俺だ。

「……そんなわけないだろ」

 声に出して否定する。

 2000年の俺が、2003年の服を着ている。

 そんなことがあるはずない。

 写真の人物は、俺と同じデジカメを持っている。

 そんなこともあり得ない。

 第一。

 俺はこの写真を撮っていない。

 撮影者が誰なのかも分からない。

 だったら、これは何なんだ。

 俺は写真をUSBメモリにコピーした。

 念のため、別のフォルダにも保存する。

 そして元のファイルを削除した。

 ゴミ箱も空にした。

 それから、もう一度USBを開く。

 写真は残っている。

 当然だ。

 コピーしたんだから。

 俺は少し笑った。

「……何やってんだ、俺」

 こんなことで怖がっている自分がおかしかった。

 写真なんて、いくらでも偽造できる。

 誰かが悪戯で作った。

 掲示板の連中かもしれない。

 恒一か、美咲かもしれない。

 そう考えれば、全部説明できる。

 俺は携帯を取り出した。

 恒一に電話する。

*

「知らねえよ」

 恒一の返事は早かった。

「本当に?」

「本当だって」

「この写真、お前が撮ったんじゃない?」

「俺が?」

「うん」

「だったら覚えてるだろ」

「……そうだけど」

 俺は黙った。

「何かあったの?」

 恒一が聞いた。

「いや」

「直人」

「何?」

「昨日から変だぞ」

「……」

「バスのことなら、俺も怖い」

 意外だった。

 恒一はいつも、こういうときに笑って済ませる。

 でも今日は違った。

「昨日の夜さ」

「うん」

「親父に聞いたんだよ」

「何を?」

「昔、滝野川の旧道にバスが走ってたか」

「……何て?」

「知らないって」

「そっか」

「でもな」

 恒一の声が少し低くなった。

「そのあと親父が変なこと言った」

「何?」

「昔、あの道で子供が一人いなくなったことがあるって」

 俺は息を止めた。

「……いつ?」

「知らない。かなり昔だって」

「名前は?」

「聞いてない」

「聞けよ」

「嫌だよ」

「なんで」

「親父が急に怒ったから」

 沈黙。

「……直人」

「ん?」

「今日、美咲にも聞いてみようぜ」

「何を?」

「2000年のこと」

「……分かった」

 電話を切った。

 俺はパソコンに映る写真をもう一度見た。

 2000年8月18日。

 子供が一人いなくなった。

 そして、その日に撮られた写真。

 偶然にしては、出来すぎている。

*

 午後三時。

 俺たちはいつもの川に集まった。

 美咲は、俺の顔を見るなり言った。

「……写真、見つけた?」

「え?」

「昨日の写真」

「何で知ってる?」

「直人の顔に書いてある」

「そんなに分かりやすい?」

「分かりやすい」

 恒一が笑った。

「こいつ昔から嘘つくの下手だもんな」

「お前に言われたくない」

「で?」

 美咲が聞く。

「何を見つけたの?」

 俺は携帯を取り出した。

 写真を見せる。

 2000年8月18日。

 四人の子供が写っている写真。

 美咲は画面を見た瞬間、

顔色を変えた。

「……これ」

「知ってる?」

「……知らない」

「嘘」

「知らないって」

「じゃあ何でそんな顔するんだよ」

「してない」

 美咲は携帯から目を逸らした。

 俺は写真を拡大した。

「この四人目」

 指で示す。

「誰?」

「……」

「美咲?」

「分からない」

「本当に?」

「分からない」

 その声は、明らかに震えていた。

 恒一が写真を覗き込む。

「これ、俺らじゃね?」

「三人はな」

「じゃあ、こいつ誰?」

「それを聞いてる」

「……」

 恒一も黙った。

 しばらくして、美咲が言った。

「昔ね」

「うん」

「私たち、四人で遊んでたことがある」

 俺と恒一は顔を見合わせた。

「……誰と?」

「分からない」

「名前は?」

「分からない」

「じゃあ、なんで四人って分かるんだよ」

「……写真を見たから」

「この写真?」

「違う」

 美咲が首を振る。

「もっと昔の写真」

「どこにある?」

「家」

「見せて」

「……」

 美咲は答えなかった。

「お願い」

 俺が言う。

「これ、俺にも関係ある気がする」

 美咲はしばらく黙っていた。

 やがて、小さく頷いた。

「分かった」

*

 美咲の家は、川から歩いて十分ほどの場所にある。

 古いアルバムを引っ張り出してくる。

 表紙には、油性ペンで、

2000年

と書いてあった。

「これ」

 美咲がページを開く。

 家族写真。

 祭り。

 学校。

 川遊び。

 夏休み。

 俺たち三人の写真もあった。

 ただ――

 どの写真にも、

三人しか写っていない。

「……おかしい」

 俺が言う。

「何が?」

「さっき、四人で遊んでたって言っただろ」

「うん」

「なのに写真には三人しかいない」

 美咲は黙っている。

 ページをめくる。

 一枚。

 二枚。

 三枚。

 全部三人。

 俺。

 恒一。

 美咲。

 そして。

 最後のページ。

 一枚だけ、写真の端が黒く焼けていた。

「これ……」

 俺が手を伸ばす。

「触らないで」

 美咲が言った。

 声が強かった。

「……ごめん」

「これだけは、触っちゃ駄目」

「何で?」

「分からない」

「またそれかよ」

 美咲が写真を見る。

「昔、お母さんに聞いたことがある」

「何を?」

「この写真に誰が写ってるのか」

「それで?」

「お母さん、すごく困った顔して……」

 美咲は一度言葉を止めた。

「『三人しかいないよ』って」

「……」

「でも、私は覚えてる」

「何を?」

「この写真を撮ったとき、四人いた」

 俺は写真を見た。

 焼けた部分。

 そこに、何かが写っていたような跡がある。

 人影のようにも見える。

 でも、顔はない。

「美咲」

「何?」

「これ、写真を撮り直したらどうなると思う?」

「……分からない」

「俺、撮ってみる」

「やめて」

「大丈夫だって」

 俺はカメラを構えた。

 シャッターを切る。

 液晶を見る。

 写真には、古いアルバムと美咲の手が写っている。

 そして――

「……え?」

 俺は画面を凝視した。

「どうした?」

 恒一が覗き込む。

「これ」

 写真の中。

 アルバムの最後のページ。

 黒く焼けていた部分に、

白い指が写っていた。

 美咲の指ではない。

 俺の指でもない。

 恒一の指でもない。

 写真の端から、

誰かの手が伸びている。

「……これ、何?」

 美咲が震えた声で言う。

 俺はカメラを写真に向け直した。

 もう一枚。

 シャッター。

 今度は、

何も写っていない。

「……消えた」

 恒一が言った。

「何が?」

「今の手」

 俺は最初の写真を開いた。

 白い指。

 二枚目にはない。

 俺は写真を見比べた。

 そして気づいた。

 一枚目の写真。

 白い指の先に、

小さな傷跡がある。

俺の右手にある傷と、

まったく同じ場所だった。

*

 帰り道。

 俺は一人で歩いていた。

 空はもう暗い。

 ひぐらしが鳴いている。

 カナカナカナ――。

 携帯を見る。

 さっき撮った写真を確認する。

 一枚目。

 アルバム。

 美咲の手。

 白い指。

 二枚目。

 同じ場所。

 指は消えている。

 そしてもう一枚。

 今日、バス停で撮った写真。

 俺はそれを開いた。

 時刻表。

 23:40。

 何度見ても、

 そこに書いてある。

 俺は写真を閉じた。

 その瞬間、

 携帯が震えた。

 メール。

 差出人――

俺自身。

 今度は本文が違った。

写真を信じるな。

 添付ファイルはない。

 俺は立ち止まった。

 昨日は、

明日はバス停に行くな。

 今日は、

乗るな。

 そして今は、

写真を信じるな。

 誰かが俺を助けようとしている。

 そう考えることもできる。

 でも。

 もし送信者が俺なら。

 未来の俺が、俺に警告しているなら。

 どうして――

 俺は写真を撮っているんだ?

 答えが出ない。

 俺は空を見上げた。

 山の向こうで、

 ひぐらしが一斉に鳴いた。

 カナカナカナ――。

 その声に混じって、

 遠くから、

バスのクラクションが聞こえた。

 プッ。

 俺は振り返らなかった。

 ただ、ポケットの中のカメラを握った。

 なぜか。

 そのカメラだけが、

何かを知っている気がした。

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