5話 子供たち
商業都市メーリオルで起きた連続殺人事件。
これまでの7人の被害者達は全員ウィッツ・アルベンという青年の姿だった。
事件の真相は魔術師であるウィッツが『複写魔術』を用いて、被害者達を自分自身に変えていた。彼は別の魔術師に狙われていて、被害者達はその囮のためにウィッツに姿を変えられていた。
――そして、もうすぐ8人目の被害者が出てしまうかもしれない。
ギィィという重苦しい音と共に扉が開く。
扉を開けて部屋の中に足を踏み入れる白髪の少女が1人。
その少女、魔術監察官のユロは扉を開けて狭い廊下を進む。
ユロが足を踏み入れたのは、古いアパートの一室だった。
『……この部屋にウィッツが複写魔術で自分自身に変えた人間がいる筈ダ』
ユロの肩に乗るトカゲのドラが呟く。
ドラの言葉にユロも頷く。
人形の襲撃の後、ユロはウィッツ本人から住所を聞き出した。
彼はユロに合う前の3日前に、別の人間に複写魔術を使っていた。
彼が言うには、対象を自分自身に完全に変えるのは時間がかかり、最低でも3日は必要らしい。
ユロはすぐにアパートに向かうことにした。
本当はウィッツも連れて行くつもりだった。彼に複写魔術を解除させるためだ。しかし王国軍が強引に彼を刑務所まで連れ去ってしまった。
ユロは王国軍の動きに違和感を抱いたが、今は複写魔術をかけられた人を助けることが優先だった。
――ユロは廊下をゆっくりと進む。
「…………」
廊下はゴミに溢れて足の踏み場もない。
壁は汚れて、ところどころ凹んでいる。
「…………」
ウィッツが魔術を使って自分に変えた相手はまだ8歳の男の子らしい。
親が金ほしさに子供を差し出したのだと、ウィッツは面白そうに語った。
(やっぱりウィッツさんを殴っておけば良かった)
とユロは後悔する。
『ユロ。大丈夫カ?』
とドラが言う。
ユロは頷いて、彼の頬を軽く撫でる。
「うん。大丈夫だよ」
ユロは廊下を進み、リビングの扉を開ける。
リビングは同じようにゴミが溢れて、酷い匂いもした。
部屋の中は外からの月明かりで照らされているため、廊下よりは明るかった。
ごそり、と何かが動く音がする。
ゴミ山の近くで、息を潜めている小さな子供がいた。
「…………」
情報通りなら8歳の少年だが、相手は顔を隠すようにフードを被っている。
部屋の中は暗くて顔は全く見えなかった。
ユロは少年にゆっくりと近づき、視線を合わせるために、床に膝をつく。
にっこりと笑う。
「……勝手に入ってごめんなさい。私は魔術監察官のユロ、といいます。こっちはトカゲのドラ」
と肩に乗っかるトカゲを指す。
「あなたを助けに来ました。もう安全ですよ」
とユロが言うと、目の前の少年は僅かに反応する。
「……まじゅつ、かんさつかん?」
少年の声は随分と低かった。
ユロは少年の言葉に頷く。
「ええ。魔術師です。その証拠に、ほら」
ユロは少年の前に手をかざす。
彼女の手のひらには1枚のハンカチが置かれていた。
少年が見ていると、まるで風が吹いたようにハンカチがユロの手の上から飛び上がった。
月の光に照らされて、ハンカチがくるくると舞う。
そしてハンカチは同じようにユロの手の上に戻っていた。
「ね?」
少年はユロの顔を見て、こくんと頷く。
ユロは少しだけ少年に近づき、最初の言葉をもう一度言う。
「私はあなたを助けに来ました。もう安全ですよ」
「……助けに?」
「ええ。もうすぐ王国軍からも、あなたの力になってくれる人が来ます。だから――」
「……僕なんかが助かって良いのかな?」
という少年の言葉にユロは言葉につまる。
少年は俯いたまま言う。
フードから赤い髪の毛が覗いていた。
「……お、お父さんがいつも言ってたから……お前はできそこないだって……。お前はいるだけで無駄だって……だから……」
部屋の中にはユロと少年以外に人間は見当たらない。
「お父さんはどこにいるか分かりますか?」
というユロの質問に少年は首を振る。
「初めてお前が役に立つ日が来たって……僕を眼鏡のお兄さんのところまで連れってったんだ……役に立つために頑張れって、お父さんは言ったんだ……。お父さんは眼鏡のお兄さんからお金を受け取って……何処に行ったかは分からない」
ユロは自分の足が震えるのが分かった。
地面が抜けて、そのまま地下深くまで落ちていくような感覚に襲われる。
「お、お姉さん……ぼく」
目の前の少年も震えていた。
「……昨日から変なんだ……。体がかゆくて、なんだか……自分の体じゃないみたいなんだ……僕じゃない人の記憶が頭に入ってきて……このままじゃ、僕が僕じゃなくなるみたいで……!」
フードの中から涙がぽたりと落ちる。
「で、でも……僕、頑張らなきゃ……我慢しなきゃ。我慢すれば、お父さんも褒めてくれるよね?」
ユロは。
少年に近づいて、彼の両手を取った。
優しく少年の手を握りしめる。
「……?」
首をかしげる少年を見て、ユロは言う。
「もう大丈夫ですから。もう頑張らなくて良いんです」
――こういうとき、もっと素晴らしい言葉を言えたら良いのに、とユロは思った。
目の前の少年の苦痛を全て取り除いて、困りごとを全て解決できるような何かがあれば良いのにとも思う。
「あなたは充分に頑張りました。1人で、耐えて、頑張って……もう十分に頑張りましたよ」
かけるべき言葉だって、もっと別の素晴らしい言葉があるように思えてくる。
それなのに出てくる言葉は。
「あとは私に任せてください。私が何とかします」
昔。まだ自分が子供のときに、誰かにかけて欲しかった言葉だけ。
「まずはあなたにかけられた悪い魔法を取り除きますね」
ユロは思考をめぐらす。
(複写魔術を解除させるために、彼をウィッツさんの元まで連れて行きたい……けど、もう彼が複写魔術をかけられてから3日経っている。完全にウィッツさんに変わってしまうまで時間がない……なら!)
――ユロは干渉魔術を発動させた。
対象は少年にかけられた複写魔術。
干渉魔術は命を持たないものを操ることができる。
魔術という存在も対象にできるのだ。
少年をウィッツに変えようとしている魔術を引き剥がそうとする。
「………ッ」
ユロは思わず顔をしかめる。
干渉魔術で少年にかけられた複写魔術を引き剥がすことには成功した。
しかし複写魔術自体を消すことはできない。ただ剥がしただけ。
放っておくと、複写魔術は再び少年の体の中に戻ってしまいそうだった。
思いつく解決策は一つだけ。
『オイ……、ユロ。まさカ……』
ドラがユロのやろうとすることを察して止めようとするが、ユロはその解決策を実行する。
解決策は、複写魔術の対象を別の人間に移動させる。
ユロは複写魔術を自分の体内へと移動させた。
唐突にユロはめまいに襲われる。
自分の意識が遠のいていく感覚もある。
少年がウィッツに変わるのは阻止できたが、代わりにこのままではユロがウィッツに変わってしまう。
「ん。大丈夫だよ。私が完全にウィッツさんに変わるまでは時間がかかる。まずはウィッツさんに私にかけられた複写魔術を解除してもらおう」
――しかし。ユロの狙い通りにはならなかった。
王国軍の基地まで戻り、少年を保護してもらったあと。
ウィッツが逃げ出したことをユロは知った。
責任者の少尉が言うには、内部の手引きがあった可能性が高いらしい。
ウィッツを狙う犯人の言葉をユロは思い出す。
『私たちは複写魔術をより強い魔術にしようと研究してきたが――その研究には多くの出資者がいる。軍や政界の各有力者たちだ』
彼らの協力者がウィッツの手助けをしたのだろう。
(でも問題ない)
ユロは焦っていなかった。
(犯人は私を狙ってくるはずだ。そこで全ての片を付ける)
彼女は確信していた。
複写魔術が自分の体内に移動したことにより、ユロはウィッツの記憶を見た。
そして全ての真相を理解したのだった。




